一年ほど前、吉田兼好の『徒然草』を初めから最後まで通して読んだ。
『徒然草』は学校の授業で読んだ程度だったから、一度全部読んでみたかった。昔習った教科書には、お祝いの宴席で鼎《かなえ》をかぶって抜けなくなってしまったという仁和寺の法師の話が載っていて面白かった。隠者という生き方にも惹かれるものがある。デカルト曰く、「よく隠れるものはよく生きる」。洋の東西を問わず、「さわがしい世間から隠れる」という生き方にはなにか共通するものがあるのだろう。人生にとって大切なことが書いてありそうだ。
なんとなく岩波文庫版の『徒然草』を買って中国へ持ってきたのだけど、読みはじめてから、ちょっと失敗したかなと思った。なにせ簡単な注釈だけで現代語訳がない。受験勉強以来、ほとんど古文に触れていないから、単語や文法などはとうに忘れてしまっている。なかなか意味を読み取れない。もどかしい限りだ。おまけに、読んでいてもどうもしっくりこなかった。目が文字のうわっつらをすべるようで、言葉が頭のなかへ飛びこんでくれない。
はたと思い当たって、声に出して読んでみた。さいわい、『徒然草』の章はどれも短いから、すぐに読み返せる。
一度目はかなりつっかえた。語釈を見て意味を確かめなくてはいけない単語もいろいろあるから、立ち止まってばかりいる。だけど不思議なもので、同じ文章を二度三度と音読しているうちになんとなく意味がわかるようになった。なぜか心にすとんと落ちる。理屈で理解するのではなく、ただ意味を感じるのだ。
物の本によれば、ヨーロッパで黙読が始まったのは十二、三世紀頃のことらしい。それまでは読書といえば音読するのが当たり前だったそうだ。一冊の本をすべて音読するのはけっこう体力を使うから、読書はいい運動になったのだとか。あごの筋肉と肺活量が鍛えられそうだ。
ところで、古代中国の書物は句読点がついていないうえに改行もしなかった。たとえば、
先帝創業未半而中道崩殂今天下三分益州疲弊此誠危急存亡之秋也……(三国志・諸葛亮伝・出師の表)
といった具合に漢字がずらずら並んでいるだけだから、どこでセンテンスが終わって、どこで始まるのかも定かではない。現在出版されている『史記』や『論語』といった古典の本には句読点がついているけど、それはすべて現代になってつけられたものなのだとか。中国で留学している時に先生からそんな話を聞き、僕は驚いてしまった。
「先生、それじゃ昔の人はどうしていたんですか? だって、どう読めばいいのかぜんぜんわからないでしょう?」
僕は先生に質問した。さいわいというか、僕が通っていた学校は、大学というよりも塾みたいなところだった。教室も小さくて人数も少なかったから質問しやすかった。
「音読してたのよ」
先生は言った。
「それでわかるんですか?」
「そうよ。声に出して読んでみれば、どこでどう文章が切れるのかなんて、自然にわかるものなのよ。昔の人はみんな音読していたから、句読点も改行も必要なかったの」
僕は中国語の古文を読めないので、そんなものなのかなと思っただけだったのだけど、毎朝学校の庭を通るたび、若い学生たちが立ったまま英語の教科書を開いて朗々と音読している姿を見ていたから、中国には音読の伝統がいまだに残っているような気がした。
「中国の学生は、朝音読するのが好きなんだね」
と、なにげなく地元の友人に言ったら、
「だって、晴れた朝に朗読するのは気持ちいいでしょ。空気だってさわやかだし、気分が晴れやかになるわよ」
という答えが返ってきた。たしかに、みんな気持ちよさそうに音読していた。
いつから日本で黙読が始まったのかは知らないけど、ほかの国と同じように昔はみんな音読していたのだろう。当然、書き手も音読されることを前提に書いているから、音読した時の文章のリズム感といったものにも気を配ったのかもしれない。黙読を前提にした文章と音読を前提にした文章では、文章のリズムやテンポがぜんぜん違うと感じた。『徒然草』は音読が合う。というよりも、音読しかできない書物なのかもしれない。少しずつ音読してじっくり味わった。含蓄のある話や興味深い話がいろいろあって面白かった。学校の教科書には載っていない大切なことが書いてある「人生の教科書」とでも呼びたくなるような、じつに味わい深いエッセイだ。
僕は、『徒然草』の最終章が大好きだ。
八つになりし年、父に問いて云《い》はく、「仏は如何《いか》なるものにか候《さうら》ふらん」と云う。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候《さうら》ふやらん」と。父また、「仏の教《をしえ》によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教《をし》へ候ひける仏をば、何が教《をし》へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云う時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言いて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍《はんべ》りつ」と。諸人《しょにん》に語りて興じき。
わかりやすく噛み砕いて現代語訳するとだいたい次のようになる。
八つの頃、父に、
「お釈迦様はどういうものなのでございましょうか」
と訊ねた。
「お釈迦様はもともと人だったのだけど、仏になったのだよ」
父はこう答えたので、私はまた訊いた。
「どうやって仏になったのでしょうか」
「お釈迦様の先生だった仏の教えを勉強して仏になったのだよ」
「そのお釈迦様に教えた先生はどうやって仏になったのでございますか」
「それもまた、先生の先生だった仏の教えを勉強したのだよ」
「それでは、仏の教えを始めたいちばん最初の仏はどういった仏なのでございましょうか」
「さてさてどうなのだろうねえ。空から降ってきたのだろうか。それとも、地面から湧いてきたのだろうか。私もよくわらかないねえ」
と言って、父は笑った。
「こんなふうに問い詰められて、答えられなくなってしまいましたよ」
父は、このことをいろんな人に楽しく語ったそうだ。
兼好法師は子供の頃から好奇心が強くて、様々なことに疑問を持つ人だったようだ。子供の「なぜなぜ」質問に丁寧に答える父親の姿にも好感を覚える。ほほえましい親子の会話だ。兼好法師の父親が幼い彼の頭をなでながら楽しげに笑う姿が目に浮かぶ。
『徒然草』は何度読み返しても飽きのこない文章が多い。時折、『徒然草』のページを適当に開いてみては、珠玉の随筆を声に出して味わっている。そのたびに、大切ななにかが体に染みこんでいくようで心地よい。
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第23話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/