「織田信長は歴史の変革者である。
だが日本史学界は今、信長はごくごく普通の戦国大名だったと大合唱している。
唯物史観を信奉する人たちは「英雄はいらない」し、
手早く成果が欲しい人たちは、とりあえず世間と違うことを言っておこう、というところか。
けれど冷静に考えてみれば、そこに無理があることはたちどころに分かるはずだ。
信長のほかに、宗教の総本山たる比叡山を焼いた人物がいるか。
万を超える民を虐殺した人物がいたか(但〈ただ〉しこれらは全く褒められた話ではない)。
だれが石垣を積み、天守閣を創造したか。
茶の湯を政治に取り入れたか。
そして何より、他の何者が、日本は一つであるべしと考え、天下の統一を試みたか。」
2月28日(日)の朝日新聞読書欄に載っていた,本郷和人氏の書評の最初の部分です。
最近,本郷先生がテレビのバラエティに出て,歴史の面白いお話しをされているのをちらっと見ました。
広く歴史に興味を持ってもらおう・・・と言う意味ではいいのでしょうが,
先生の専門の中世ではなく,面白い逸話的なことを話されていたので,
私としては,興味がありませんでした。
でも,この書評の出だしは,久々に本来の日本中世史の本郷先生でした。
(本当は,いろんなところでもっと学者としての本郷和人氏が活躍されているのでしょうが,
私としては,久々でした。
新聞に載っていた書評ですから,学者としてではなく,
ちょうど,JMOOCで学んだような人にあった文章ですよね。)
私が学生だった頃は,唯物史観が主流でしたから,
「たとえば,信長がいなかったとしても,別の信長のような人が現れ,
早かれ遅かれやはり時代は,中世から次の時代へと向かっていった・・・と言う事だ。」
と先輩から聞いたように覚えています。
戦国大名は,自分の領国を守るのが精一杯だった。
戦国大名の誰もが天下を目指したわけではない,信長だけが,
「日本は一つであるべしと考え、天下の統一を試みた」
久々の“本郷節”を読んで,このページを書きました。
私ごとき者には,信長とは何だったのか・・・なんて分かりませんが,
少なくとも学生時代と今とでは,
歴史学は変わったのだと思います。
だが日本史学界は今、信長はごくごく普通の戦国大名だったと大合唱している。
唯物史観を信奉する人たちは「英雄はいらない」し、
手早く成果が欲しい人たちは、とりあえず世間と違うことを言っておこう、というところか。
けれど冷静に考えてみれば、そこに無理があることはたちどころに分かるはずだ。
信長のほかに、宗教の総本山たる比叡山を焼いた人物がいるか。
万を超える民を虐殺した人物がいたか(但〈ただ〉しこれらは全く褒められた話ではない)。
だれが石垣を積み、天守閣を創造したか。
茶の湯を政治に取り入れたか。
そして何より、他の何者が、日本は一つであるべしと考え、天下の統一を試みたか。」
2月28日(日)の朝日新聞読書欄に載っていた,本郷和人氏の書評の最初の部分です。
最近,本郷先生がテレビのバラエティに出て,歴史の面白いお話しをされているのをちらっと見ました。
広く歴史に興味を持ってもらおう・・・と言う意味ではいいのでしょうが,
先生の専門の中世ではなく,面白い逸話的なことを話されていたので,
私としては,興味がありませんでした。
でも,この書評の出だしは,久々に本来の日本中世史の本郷先生でした。
(本当は,いろんなところでもっと学者としての本郷和人氏が活躍されているのでしょうが,
私としては,久々でした。
新聞に載っていた書評ですから,学者としてではなく,
ちょうど,JMOOCで学んだような人にあった文章ですよね。)
私が学生だった頃は,唯物史観が主流でしたから,
「たとえば,信長がいなかったとしても,別の信長のような人が現れ,
早かれ遅かれやはり時代は,中世から次の時代へと向かっていった・・・と言う事だ。」
と先輩から聞いたように覚えています。
戦国大名は,自分の領国を守るのが精一杯だった。
戦国大名の誰もが天下を目指したわけではない,信長だけが,
「日本は一つであるべしと考え、天下の統一を試みた」
久々の“本郷節”を読んで,このページを書きました。
私ごとき者には,信長とは何だったのか・・・なんて分かりませんが,
少なくとも学生時代と今とでは,
歴史学は変わったのだと思います。