ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

こころの祭り:その3 龍門寺

2016-11-14 13:50:45 | 日記 地域
2つめの聖安寺は頑張って自転車で往復し,足がパンパンに痛くなってきたので,
家でお昼ご飯を食べた後,車で龍門寺へ。

まだ,1時ということもあって,皆さんお昼ご飯かしら?・・・車を駐車場に止めることができました。
(帰りに見ると,車はいっぱい,いろんなところに止められていた。ラッキーでした。)

さて,龍門寺
(詳しいことはホームページを見て下さい。)
普段は500円のところ,こころの祭りのため,無料。
偶然,地域のボランティアガイドさんが勉強に来られていて,
おかげでお寺のかなりえらい方(?)(河野太通(こうのたいつう)老師ではありませんが)から直接お話を聞くことができました。

ちなみに,河野太通老師は,全日本仏教会の前会長。花園大学の学長もされていた方です。
なんでそんなにすごい方が網干におられるのかよくわかりません。
きっと,龍門寺はすごいお寺なのでしょう。(臨済宗妙心寺派です。)
でも,つい15年ほど前までは荒れ放題だったそうで,河野太通老師が立て直したそうです。
というのが,
江戸時代はじめ,盤珪永琢国師という,すごいお坊さんが開いたそうですが,
藩主の京極家の保護を受けていました。
つまり,大名のための寺院であって,一般の人々が少しずつ建てたようなお寺ではないということです。
ですから,狩野派のすごい襖絵が残っていたりして,感動するわけですが,
戦後,農地改革で土地を取り上げられると,荒れ放題になっていったりしたのでしょう。
それを河野太通老師が立て直し,
いまでは,修行僧がいたり,(来たり…かもしれません。)
座禅会をしたり,盛んになっています。
でも,檀家は少なく,50軒・・・とおっしゃっていたと思います。
(すみません,数字は違っているかもしれません。でも,少なさに思わず声が出ました。)
「いかがですか,檀家になりませんか?」と半分冗談かもしれませんが,言われました。
(ちなみに,南都六宗は檀家がありません。檀家のあるなしは,人気があるとかないとかではなく,
 役割の違いだと思います,私は。)

話がそれました。
偶然,地域のボランティアガイドさんが勉強に来られていたおかげで,
普通は見ることができない部屋も見せていただいたり,
お話が聞けて本当にラッキーでした。

お寺の方がスマホに保存している動画を見せてくださいました。
「転読」です。
1月1.2.3日と10時からあるそうです。
細長いお経の板(?)がつながっていて,両手で右へ左へと動かして,お経を読むのです。
(すみません,うまく説明できません。)
座禅の部屋・禅堂の中も見ました。
一般の人も参加できます。
12月の初めにありますから,興味のある方はホームページを見て下さい。

とても勉強になりました。

それにしても,ボランティアガイドさんの勉強熱心なこと!よく知っていること!
実は私もボランティアガイドしたいなあ・・・と思ったこともあるのですが,
時間的制約もありますし,
それよりなにより,あんなに知りませんし,手を広げすぎなので,
当分は,仕事と歴博と古文書を頑張ります!


勉強になった,また,いろんなことを考えさせられたこころの祭りでした。

姫路市さん,このような企画,ありがとうございました。

盛徳寺,聖安寺,龍門寺の方,また,そこで出会った方々,ありがとうございました。
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こころの祭り:その2 聖安寺

2016-11-13 16:06:15 | 日記 地域
盛徳寺から送っていただいていたパンフレットを見て,
「ここもいいかも?」と思っていた聖安寺(姫路市大津区天満)にも行きました。

盛徳寺で私の頭の中は「福井荘」でいっぱいになり,
それなら,福井荘の東の端,もちろん,魚吹八幡神社の祭りにも屋台を出している天満地区の浄土真宗本願寺派の寺にも行こう・・・と。

家から盛徳寺は自転車で5分ほど,
盛徳寺から聖安寺は・・・ちょっと遠いかなとも思ったのですが
車を止めるところがなかったら困るしと思い
そのまま自転車で・・・ちょっと道を間違えたこともあって15分か20分はかかりました。

でも,よーく考えると,祭りの時は,天満から盛徳寺のすぐ近くの魚吹八幡神社まで,
あの屋台をひいたり,かついだりするわけですよね。
天満の皆様,お疲れ様です。
福井荘は広いです。
魚吹八幡神社の祭りの範囲も広いです。

そんなことを考えながら,広い駐車場があった聖安寺に着きました。
門のところには,
「如来を信じられなくても 如来は決して見捨てない」
と書かれていました。
修行をする禅宗と
阿弥陀仏にすがる浄土真宗の違いをここだけでも感じ取ることができました。

本堂に入るとちょうど,古典尺八の演奏中。
本堂の中は,檀家の皆さんでしょうか?人がいっぱい。
本堂を見渡すと,姫路出身の丸投三代吉氏の襖絵に囲まれているといった感じで,なんともほんわかとした気持ちになれました。
でも,上を見ると,いかにも本願寺って感じの照明(?)(すみません,名前がわかりません。)
以前見た亀山本徳寺を少し狭くしたような,でも広々とした本堂でした。
(ちなみに,亀山本徳寺は「軍師官兵衛」では石山本願寺になっていました。そのくらいすごい寺院です。)
(亀山本徳寺は本堂は,幕末の西本願寺北集会所で,1792年建てられ仮御堂として使用されました。
 1873年3月に播州本徳寺に移築され完工を見たという建物です。)

話が逸れました。ここは,亀山本徳寺の話ではありません。
でも,宗派による寺院のつくりの違いがわかるような気がしました。

話を戻して,
聖安寺です。

尺八の後,「中の見学がまだの方はどうぞ。」と呼ばれたので,
ほかの方もいっしょに中へ
丸投三代吉氏の祭りの絵はすごかったです,「生きる」という感じがしました。
元東大寺の清水公照氏の書もありました。
私でも名前を知っている人ですが,何でここに?と思ったら,姫路市(現在)出身の方なのですね。
杵屋の和菓子と抹茶もいただき,
再び本堂へ

今度は副住職のお話を聞きました。

聖安寺は500年前につくられ,この本堂は200年前に建てられたそうです。
500年前とは,ちょうど,蓮如の弟子が播磨に布教に来て広まったころです。
本堂は200年ほど前に,地域の人が少しずつ造ったそうです。
当時は新田開発も行われていて,大変だったとか・・・。
古文書もたくさん残っているそうですが,
調査・研究のために,大学等に依頼したりしないそうです。
というのが,
「以前,調査を頼むと,学者は仏様を解体しようとした。
 でも,私たちにとっては,信仰の対象です。」
とのことで,調査・研究というのは,いやになったようです。
「え・・・,古文書たくさんあるのなら,見てみたい・・・。」と思ったのですが,
黙ってうなづくことにしました。

最近,カギを壊して侵入して,仏像等を壊した人がいるそうです。
副住職は嘆いておられました。(被害額は2000万円以上とか…)
一方で,修理をしてくれた京都のプロの方に感謝しておられました。

後で思ったのですが・・・
親鸞は「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」
と言っているんですよね。(解釈が間違っていたらすみません。)


長々と書きましたが,もしもすべて読んでくださった人がおられたら,
ありがとうございました。

聖安寺は,現代進行形の信仰の寺であり,庶民の寺であり,
生きている寺であり,たくさんの檀家の方のための寺であり,
それでいて,人間味のある寺・・・と思いました。

初めて行った寺でしたが,そんな感じがしないのは,
実家の父の家も,母の家も大谷派とは言え,浄土真宗であるからかもしれません。
3軒の寺の中で私にとっては一番落ち着く寺でした。


後日,最後に行った臨済宗妙心寺派「龍門寺」のことを書きます。
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こころの祭り:まず,盛徳寺

2016-11-12 05:43:25 | 日記 地域
きのう,「こころの祭り 姫路」のうち,家から自転車で行ける範囲のお寺3軒,行ってきました。

それぞれのお寺については,ホームページ等を見ればわかるので,
あくまで,私の‟メモ”をここに書きます。


まず,去年も行ったので,ご案内を送ってくださった盛徳寺

去年,達磨の話をろくに聞かずに福井荘のことばかり質問したので,
反省し,今年は達磨の話を聞こうと思ったのですが,
ご住職のテーマ(?)は福井荘や誠塾だったようです。
(誠塾については,またの機会に)

その福井荘です。
当然のことですが,荘園制は太閤検地で消滅します。
江戸時代には福井荘は存在しないはずです。
しかし,人々の意識は別問題です。

以前,ベルギーから魚吹八幡神社に帰ってきた鰐口のことを書きました。
魚吹八幡神社には,江戸時代に鐘があったことを書いている新聞記事が盛徳寺に展示していました。
鐘自体は,戦争中,供出されてしまったのですが,写真が残っていたとのこと。
「網干町史」には,その銘文が書かれていました。
銘文は長く,読む気力がなかったのですが,
その最後の方で,
「揖保郡揖西町福井荘宮内村」と書かれています。

鰐口だけでなく,鐘も「福井荘」が刻まれています。

ご住職は
「今の魚吹八幡神社の祭りの範囲は,かつての福井荘です。
 荘園がなくなり,江戸時代になっても人々の意識の中に福井荘が残っているから,
 こう書かれ,祭りもあるのでしょう。」とおっしゃっていました。


あと2軒,
聖安寺・龍門寺については,のちほど

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お知らせ2件 「こころの祭 姫路」 「大覚寺(姫路市網干区)寺宝展」

2016-11-09 14:48:39 | 日記 地域
「こころの祭 姫路」は11月11日(金)行われます。

去年は,盛徳寺に行きました。丁寧にお話をしてくださいました。
去年行ったので,今年は案内を送ってくださいました。
去年は私が福井荘について知りたくて質問ばかりしましたが,
今年はゆっくりお話を聞こうと思います。
最近,テレビで達磨の話を聞いたので,達磨の話も聞きたいです。

今年は,龍門寺にも行きたいです。



「12月2~3日大覚寺寺宝展 開催
 2(金) 午前9時~午後3時
 3(土) 午前9時~12時」
と大覚寺のホームページに掲載されていました。

網干の大覚寺には信長・秀吉・家康の禁制が残っています。
見られるかしら。

両方とも楽しみにしています。
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『ここまで変わった日本史教科書』

2016-11-09 14:31:04 | 日記 本
『ここまで変わった日本史教科書』(吉川弘文館)は新聞で見つけた本です。
まだ,半分読んだだけですが,ショックを受けています。

もちろん,高校時代は日本史が得意でした。

私が知らない間に「日本史」が大きく変わっているのにびっくりしています。
「聖徳太子」ではなく,「厩戸王」・・・くらいは私も聞いたことがあります。

でも,「更新世」「完新世」?

弥生時代っていつから?

「一揆」観も全然違ってきているし。
(以前,呉座勇一氏の本を読んで,
 「いろいろ歴史学の考え方が変わってきているのかなあ?」と思いましたが,
 呉座氏の考えであって,世間一般の考えとは違うと思っていました。)

え?いつのまに?・・・

高校の日本史教科書と『ここまで変わった日本史教科書』と見比べています。

日本史ですらこれですから,理科などはもっともっと変わっているんでしょうね。

変化についていけるかしら・・・。


現在,アメリカ大統領選挙開票中
今のところ,トランプ,リード
244対209(14時25分)

株価下落

日本史教科書も変わったけど,

アメリカ,いや世界が大きく変わるのでしょうか。

(お昼ご飯の時に,「趣味どきっ!」の快慶を見たけど,その感想を書く気持ちの余裕がないATSUでした。)


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