飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

信長に特化した泰巖歴史博物館

2024年11月24日 | 博物館
 11月23日(土)は、東京都町田市にある泰巖(たいがん)歴史博物館に行ってみました。
 泰巖歴史博物館は織田信長や戦国時代に関する資料が展示されています。


 小田急線町田駅北口から「中町中央通り」に出て北西方向に5分程歩くと泰巖歴史博物館に着きました。


 取り敢えず、標識をアップで撮ってみました。
 尚、泰巖歴史博物館の名前は、織田信長の戒名である「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」から付けられています。

<1階>

 受付で入館料(大人1,500円)を払って館内に入りました。
 奥に行くと、フロアー案内があって3階以上は撮影禁止になっていました。


 取り敢えず、フロアー案内板をアップで撮ってみました。
 1階・2階は「信長の生涯」、3階は「信長の時代」、4階は「合戦の時代」、5階は「信長の茶の湯」になっていました。


 ご覧のような案内が出ていたので撮ってみました。


 近くに、案内板「安土城天主復元について」があったので撮ってみました。
 案内板には、「安土城は、天正4年(1576)に織田信長が丹羽長秀に命じて約3年の歳月をかけ現在の安土山に建造された城郭です。・・・」と出ていました。


 奥に行くと、左側に安土城天守閣(実寸大)があって、2階まで吹き抜きで造られていました。




 左側に、案内板「安土城 五層・六層」があったのでアップで撮ってみました。
 安土城天守は、方三間の入母屋造りの最上層(第六層)、その下層(第五層)の八角堂で構成されていました。




 八角堂の奥に、狩野永徳の作とされる障壁画が描かれていたので撮ってみました。


 折角なので、障壁画を倍率を上げて撮ってみました。


 八角堂の右側に行くと、八角堂の後に行けるようになっていました。




 通路の右側に、信長公の掛軸があって、下には刀剣と位牌が展示されていました。


 刀剣には「左衛門尉藤原氏房造」、位牌には「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」と記されていました。
 この刀剣は、織田信長お抱えの刀工 藤原氏房が、永禄13年(1570)4月に製作されたものです。


 八角堂の後に、織田信長年譜「生涯全戦闘の記録」が出ていたので見ながら周ることにしました。


 年譜の始めは、「天文3年(1534)織田信秀の嫡男として尾張勝幡城(尾張群古野城とも)で生まれる。幼名は吉法師。」・「天文15年(1546)古渡城にて元服。織田三郎信長と名乗る。・・・」となっていました。


 年譜の先に行くと、天瑞寺室中旧障壁画「松図」があったので撮ってみました。
 尚、天瑞寺は豊臣秀吉が母親の病気平癒のため建立した寺で、松図の作者は狩野永徳とされています。


 折角なので、松図をアップで撮ってみました。




 先に行くと、立派な松があったのでアップで撮ってみました。


 更に、倍率を上げて撮ってみました。


 案内板「天瑞寺室中旧障壁画『松図』(想定復元)」があったので撮ってみました。


 八角堂を一回りすると、ご覧のような火灯窓(?)があったので撮ってみました。




 下から、最上層(第六層)の格天井に描かれた「花の絵」が見えたのでアップで撮ってみました。




 最上層の金色の軒下が見えたので撮ってみました。


 八角堂(第5層)を一回りしたのでエレベータで2階に行ってみました。

<2階>

 2階には映像シアターあって、織田信長の生涯を放映していました。
 上映時間が20分程なので、予備知識として観ることにしました。




 映像を観てから、安土城天守閣の最上層(第六層)を撮ってみました。


 最上層の奥にあった障壁画が見えたので撮ってみました。




 折角なので、アップで撮ってみました。




 更に、倍率を上げて撮ってみました。




 天守閣の破風 (はふ?)が見えたので倍率を上げて撮ってみました。
 最上層(第六層)を見たので3階~5階に行ってみることにしました。
 
<3階:信長の時代>
 織田信長を中心に、信長の一族・家臣や同時代の戦国武将たちの古文書・肖像画が展示されています。

<4階:合戦の時代>
 戦国時代を象徴する刀剣、甲冑、火縄銃、合戦図屏風など、合戦にまつわる史料が展示されています。

<5階:信長と茶の湯>
 信長が愛した茶碗をはじめ、釜、茶杓などの茶道具の名品が展示されています。

<1階>





 1階に戻って来ると、八角堂(第5層)の天井画が見えたので倍率を上げて撮ってみました。


 泰巖歴史博物館の出入口に戻ってきました(滞在時間:約2時間)。
 時間が12時を回っていたので、小田急線町田駅北口近くの居酒屋で飲みながら昼食を食べました。

 今回の「信長に特化した泰巖歴史博物館」は、安土城天主閣・織田信長・信長の時代について勉強になったので満足しています。
 この時代に朱印状があったことは知っていましたが黒印状もあったのですね!
 尚、万歩計は、大して歩いていないので10,000歩は超えていませんでした。
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小田原市久野:ざる菊園(2024)

2024年11月17日 | お出かけ
 11月16日(土)は、昨年に続いて小田原市久野にある「ざる菊園(鈴木さん宅)」に行ってみました。
 今年は「ざる菊」の見頃が例年より遅れていたようで、小田原市の観光案内も遅れ気味でした。
 尚、昨年は、11月11日の「小田原市久野:ざる菊園」で行っているので4年連続で訪れることになります。

 小田原駅東口から「県立諏訪の原公園行」のバスに乗ると、25分程でバス停「ざる菊園前」に着きました。

<ざる菊園:入り口>

  「ざる菊園」に着いたので、入り口を撮ってみました。


 門柱の左側にあった「ざる菊」を撮ってみました。


 門の奥にあった園路脇の「ざる菊」を撮ってみました。
 尚、後に見える建物は鈴木さん宅の母屋です。




 取り敢えず、見事な「ざる菊」をアップで撮ってみました。




 更に、倍率を上げて撮ってみました。




 園路の右側にあった「ざる菊」を撮ってみました。




 手前にあった立派な「ざる菊」を倍率を上げて撮ってみました。




 黄色の花があったので倍率を上げて撮ってみましたが、先祖帰りですか!?


 折角なので、奥の方にあった「ざる菊」をアップで撮ってみました。


 手前にあった「ざる菊」を倍率を上げて撮ってみました。




 園路の左側にあった「ざる菊」を眺めながら先に行ってみました。




 立派な「ざる菊」があったので倍率を上げて撮ってみました。


 園路の左側には、母屋に行ける通路があったので行ってみました。

<「残念な菊」エリア>

 母屋の入り口には「残念な菊」の案内が出ていました。




 左側に、ご覧のような石池があったのでアップで撮ってみました。


 母屋の前に、並べられていた「残念な菊(?)」を撮ってみました。


 取り敢えず、順路に従って先に行ってみました。




 通路の右側に、ご覧のような「残念な菊」があったのでアップで撮ってみました。
 「残念な菊」の訳は、ドーム型に育っていないからですかね!?




 左側にあった「残念な菊」を倍率を上げて撮ってみました。




 黄色い「残念な菊」があったのでアップで撮ってみました。




 通路の先に行くと、ご覧のような菊の垣根があったので撮ってみました。




 垣根の上に、黄色い花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 ついでに、垣根の菊を撮ってみました。




 通路の先に行くと、ご覧のような花が付いているネズミモチ(?)があったので撮ってみました。




 未だ開いていない花を倍率を上げて撮ってみました。


 ご覧のような通路を通って園路に戻りました。

<園路>

 園路に戻ると、左側に「ざる菊」があったので撮ってみました。


 園路の向かい側に、シャボン玉が飛んでいたので撮ってみました。




 園路の左側に、ご覧のような菊が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 取り敢えず、倍率を上げて撮ってみました。


 園路の右側には仮設ベンチがあって、下の「ざる菊園」が眺められるようになっていました。


 折角なので、下(東エリア)の「ざる菊園」をアップで撮ってみました。




 東エリアの「ざる菊園」の上(北)の方を撮ってみました。






 更に、倍率を上げて撮ってみました。


 又、シャボン玉が飛んで来たので撮ってみました。


 「ざる菊園」の北エリアの入り口に着くと、ご覧のような菊が咲いていたので撮ってみました。

<「ざる菊園」北エリア>

 「ざる菊」の富士山がある「ざる菊園」の北エリアを撮ってみました。
 尚、「ざる菊園」の入場料は200円です。




 先に行って富士山をアップで撮ってみました。




 折角なので、別角度から富士山を撮ってみました。


 隣にいた人が「ベンチに乗るとベストショットが撮れる」と云うので乗ってみました。






 取り敢えず、倍率を上げて撮ってみました。




 更に、倍率を上げて撮ってみました。




 折角なので、富士山の左斜面を撮ってみました。






 富士山の左側の山を倍率を上げて撮ってみました。






 正面から富士山を撮ってベンチから下りました。






 ベンチの後に、割れた「ざる菊」があったのでアップで撮ってみました。
 隣にいた人が、見頃を過ぎると「ざる菊」は割れてしまうと教えてくれました。




 折角なので、母屋の後にあった「ざる菊」を撮ってみました。




 「ざる菊」の富士山をアップで撮って、「ざる菊園」北エリアを後にしました。

<「ざる菊園」東エリア>











 「ざる菊園」東エリアの上に遣って来たので、下に見える細長い(北から南)「ざる菊園」を撮ってみました。




 又、真下に見えた「ざる菊」をアップで撮ってみました。


 ご覧のような園路を下りて「ざる菊園」の東エリアに行ってみました。






 園路の左側に咲いていた菊を倍率を上げて撮ってみました。




 更に、倍率を上げて撮ってみました。




 密を集めているミツバチがいたのでアップで撮ってみました。


 園路の先に行くと、右側の奥の方に仮設ベンチが見えました。




 園路の左側に、ご覧のような菊があったのでアップで撮ってみました。


 園路の先に行くと、見事な「ざる菊」があったので撮ってみました。




 「ざる菊」の手前に、素晴らしい菊があったのでアップで撮ってみました。


 仮設ベンチの下にあった「ざる菊」を撮ってみました。




 折角なので、倍率を上げて撮ってみました。


 更に、倍率を上げて撮ってみました。




 園路の左側にあった「ざる菊」をアップで撮ってみました。






 園路の「ざる菊」を眺めながら先に行ってみました。




 素晴らしい菊があったのでアップで撮ってみました。




 振り返ると、「富士に昇る龍」が見えたのでアップで撮ってみました。




 又、仮設ベンチ下の「ざる菊」が見えたのでアップで撮ってみました。




 「ざる菊園」の出口に着いたので、振り返ってアップで撮ってみました。




 更に、倍率を上げて撮ってみましたが、割れている「ざる菊」が沢山ありました。




 バス通りに出たので、隣にある総世寺に行ってみることにしました。
 バス通りから東エリアの「ざる菊」が見えたのでアップで撮ってみました。


 先に行くと、ご覧のような「富士に昇る龍」が見えたので「ざる菊」と一緒に撮ってみました。


 更に、倍率を上げて撮ってみました。

<総世寺(そうせいじ)>

 ご覧のような入り口を通って総世寺に行ってみました。


 右側に、道路改修祈念碑(昭和50年10月建立?)があったので撮ってみました。




 通路の左側に、ご覧のような大きな石があったので撮ってみました。


 又、右側に瓦があったので撮ってみましたが、昨年より増えている感じがしました。


 総世寺の境に築かれている土壁をアップで撮ってみました。


 ご覧のような通路を通って先に行ってみました。


 積み重なれている瓦があったので撮ってみました。


 林の奥に、竹林が見えたので撮ってみました。


 ご覧のような竹垣の脇を通って境内に行ってみました。


 境内に着くと、左奥に「ざる菊」が並べられていたので手水舎と一緒に撮ってみました。


 取り敢えず、奥にあった「ざる菊」をアップで撮ってみました。


 手水舎の前に行って、立派な手水舎を撮ってみました。


 ついでに、手水石を撮ってみました。


 手水舎に、扁額「汲古堂」が掛かっていたので撮ってみました。
 尚、扁額の下には汲古堂寄付単(名簿)があって、金額と氏名が記されていました。


 左奥にあった「ざる菊」を撮ってみました。


 折角なので、近くに行って「ざる菊」を撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


 本堂の階段には、ご覧のような「ざる菊」が置かれていました。




 本堂の扁額「総世寺」を撮ってお参りをしました。


 本堂の扉が開いていたので祭壇を撮らせて頂きました。




 本堂の右に行くと、ご覧のような百日紅があって下に「ざる菊」がありました。


 近くに行くと、お掃除小僧さんがいたので撮ってみました。




 又、右側に北山台杉があったのでアップで撮ってみました。




 折角なので、北山台杉の上の方を撮ってみました。


 振り向くと、ご覧のような「ざる菊」があったので撮ってみました。


 境内にあった「ざる菊」には個人名の名札が付いていました。


 取り敢えず、「ざる菊」をアップで撮ってみました。




 先の方にあった「ざる菊」をアップで撮ってみました。




 箱根の早川で取れた御神岩があったのでアップで撮ってみました。


 手水舎の後にあった「ざる菊」を撮ってみました。


 総門の近くに遣って来たので、総門を撮ってみました。


 総門の横に、天然記念物の「総世寺のカヤ」があったので撮ってみました。
 尚、カヤ(榧)はイチイ科カヤ属の常緑針葉樹です。


 標柱と一緒に「ざる菊」をアップで撮ってみました。


 奥に、標識「総世寺のカヤ」があったので撮ってみました。


 近くに、六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。




 記念写真を撮っている人達がいましたが、ご覧のように本堂が見えたのでアップで撮ってみました。


 記念写真を撮っている人の邪魔にならないように、左側を通って本堂の方に行ってみました。


 本堂が見えたのでアップで撮ってみました。




 本堂の前に戻って来たので、本堂をアップで撮ってみました。


 振り返ると、「総世寺のカヤ」の上が見えたのでアップで撮ってみました。


 手水舎の近くに、「お寺まいりのすすめ十箇条 積徳」があったので撮ってみました。


 近くに、歌碑「現とも夢とも知らぬ一ねむり浮世のひまを曙の空」があったので撮ってみました。
 尚、上の碑は達筆で読めませんでしたが、下の台は楷書だったので読めました。






 手水舎の後に行くと、ご覧のようなツワブキが咲いていたのでアップで撮ってみました。




 先に行くと、ご覧のような菊があったので撮ってみました。






 ここにもツワブキが咲いていたので倍率を上げて撮ってみました。


 バスはバス停「ざる菊園前」の一つ前のバス停「総世寺前」から乗りました。
 

 バスに乗ると、25分程で小田原駅東口に着きました。
 小田急ロマンスカーの時間調整を兼ねて、居酒屋「八起」で飲むことにしました。

 今回の「小田原市久野:ざる菊園」は曇り空だったので、映える「ざる菊」は撮れませんでしたが、それなりに楽しめたので良かったです。
 又、例年に比べて「ざる菊」は小振りのような感じがしました。
 尚、万歩計は、大して歩いていないので13,000歩を超える程度でした。
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