12月23日(土)は、神奈中バスの情報誌「くるーず」(No.64)を参考に、歴史遺産や相模川の絶景を見ながら相模線沿い(相武台下駅~原当麻駅)を歩いてみました。
今回の散策コースは次のようにしました。
相武台下駅-(15分)-常福寺-(30分)-史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅-(20分)-三段の滝展望広場-(10分)-八景の棚-(15分)-瓢禄玉-(5分)-浅間神社-(10分)-原当麻駅
<相武台下駅>
相模線の相武台下駅は、これまで「ひまわりまつり」や「相模の大凧まつり」等で何回も乗り降りしていますが取り敢えず撮ってみました。
<常福寺に向かう>
情報誌「くるーず」には、常福寺は載っていませんが、途中にあるので行ってみることにしました。
常福寺へは、相模線の東側にある竹林沿いの道から行ってみました。
相武台下駅から10分程歩くと、第1下磯部ガードがあるので「相模の大凧センター」に行ってみました。
大凧センターの前には宝くじ売り場がありましたが、こんな場所で売れるのですかね!?
<常福寺(じょうふくじ)>
ガードから元の道に戻って少し歩くと、常福寺の石柱のある裏門(?)に着きました。
常福寺は、2015年4月の「相模川散策(さくら編)」で来ています。
階段の上には、前に来た時にはなかった立派な門が建っていました。
又、六地蔵も新しい門の手前に移動していました。
かながわの名木100選の「しばの木」もあったので撮ってみました。
永代供養墓は、前に来た時もありましたが撮ってみました。
永代供養墓の隣りには、三界万霊碑と戦没者供養塔がありました。
参道の先に、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。
右側に、天満宮があったのでお地蔵さんと一緒に撮ってみました。
素晴らしい紅葉と一緒に山門を撮って境内に入ります。
取り敢えず、常福寺ライブが開かれる本堂を撮ってみました。
本堂でお参りしてから、本堂内部を撮ってみました。
本堂の前には、ご覧のような見事な砂紋がありました。
又、境内の右側にはご覧のような苔生した庭もありました。
苔生した庭から本堂を撮って、本堂の正面にある石柱門(正式な入口?)に行ってみました。
取り敢えず、石柱門を撮って常福寺を後にしました。
常福寺からは、神奈中バスが走る県道46号線に出て、下溝駅方面に向かいました。
<県道46号線>
県道に出て20分程歩くと、鳥居の脇に「八王子道」の標石がありました。
横には<八王子方面、座間方面>と書いてありました。
鳥居の奥に碑があったので、中に入ってみました。
「表忠碑」と刻まれている碑が2基あったので撮ってみました。
表忠碑には、日清・日露戦争の戦没者を祀っているようなことが書いてありました。
県道を更に10分程歩くと、新磯小学校入口の交差点の近くに道祖神(?)がありました。
又、交差点に<史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅>の案内が出ていました。
<史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅に向かう>
案内に従って、鳩川に架かる七橋を渡って、先の方に行ってみることにしました。
七橋を渡ると、民家の入口の塀にご覧のようなキウイが成っていました。
鈴なりのキウイを見るのは初めてなので、失礼してアップで撮らせて頂きました。
坂道の途中に、ご覧のような案内板が出ていました。
取り敢えず、旧中村家住宅に行って、後で勝坂遺跡(D区)に行くことにしました。
案内板の後ろに、ご覧のような「ねこ坂」の標石が建っていました。
標石の横には『昔、この坂で猫が踊っていたので、ねこ坂といわれています。』と書いてありました。
「ねこ坂」は、ご覧のようなかなりの急坂になっていました。
<旧中村家住宅>
「ねこ坂」を上って左手に行くと、ご覧のような旧中村家住宅の長屋門がありました。
主屋と同時期の慶応年間(1865~1868)に建てられた長屋門を撮ってみました。
旧中村家住宅の主屋は、幕末期の擬洋風建築です。
建築当時は3階建てでしたが、関東大震災で3階部分は取り除かれ現在は2階建てになっています。
素晴らしい主屋なのでアップでも撮ってみました。
庭の右側に、「国登録有形文化財中村家住宅主屋と長屋門」の案内が出ていたので撮ってみました。
⇒ 確かに、主屋の写真は3階建てになっていました。
主屋の1階の内部を撮ってみました。確かにガラス障子のガラスは波打っていました。
当時の家具が置いてありましたが、左側は菊の御紋のある長持(3段+2段)です。
絵が描けそうな見事な天井を撮って主屋を後にしました。
主屋の後に、お稲荷さんがあるので行ってみると、ご覧のような大きな祠がありました(立入禁止)。
旧中村家住宅を後に、来た道を戻って勝坂遺跡(D区)に向いました。
<勝坂遺跡(D区)>
先程の案内板からも、ご覧のようなかなり急な坂道を上ります。
坂道の上に着くと、ご覧のような勝坂遺跡公園の入口がありました。
近くにあった案内マップで現在地を確認すると、管理棟から一番遠い竪穴住居の近くにいました(管理棟まで行かなくて得した感じです)。
右側の山道を登ると、ご覧のような復元された竪穴住居がありました。
縄文時代中期後葉(約4700年前)の竪穴住居(3号住居)を撮って、中に入ってみました。
3号住居の内部はご覧のようになっていて、石囲いの炉もありました(下に降りることも出来ます)。
続いて、同時代の竪穴住居(1号住居)に行ってみました。
1号住居の説明案内板に依ると、構築順序は2号→1号→3号の順で、いずれも古い住居が埋まった後に造られているようです。
取り敢えず、1号住居の内部も撮ってみました。
管理棟の方に向かって歩いていると、廃絶住居の窪地がありました。
説明案内板に依ると、窪地は縄文人がゴミ捨て場として利用していたみたいです。
縄文時代中期末葉(約4500年前)の敷石住居(30号住居)の跡がありました。
管理棟の手前に遣って来ると、ご覧のような大木があったので撮ってみました(名前は分かりません)。
尚、右の奥に見えるのが管理棟です。
管理棟にはトイレはありますが、他に見るべきものはありませんでした。
勝坂遺跡公園の入口を撮って、勝坂遺跡(D区)を後にしました。
<県道46号線>
公園から広い道路に出て道なりに5分程歩くと、相模線の踏切のある県道46号線に出ました。
県道を歩いていると、相模川に架かる5連続アーチの相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。
県道を歩いて下溝踏切の近くに遣って来ると、ご覧のような形をした送電塔がありました。
相模線の上にある送電線なのでご覧のよう形をしているのですかね!?
ご覧のような下溝踏切を渡りますが、トラックが多く歩道が狭いので渡るタイミングが難しいです。
踏切を渡って暫く進むと、「三段の滝展望広場」のある新磯橋入口の交差点に着きました。
<三段の滝展望広場>
横断歩道を渡ると、『三段の滝展望広場』の名前が出ている入口ゲートがありました。
ご覧のような急な階段を下りて、「三段の滝」を探すことにしました。
階段の途中から、眼下に広がる相模川の景観を撮ってみました。
ここからも相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。
尚、手前に見える橋は昭和橋ですかね!?
左側には、ご覧のような橋がありましたが「三段の滝」が何処にあるのか分かりません。
芝生広場に着いたので、下りて来た階段の方を撮ってみました。
近くにあった相模川散策総合案内板(現在地は左端)で「三段の滝」を確認しました。
「三段の滝芝生広場」や「三段の滝下広場」はありましたが、「三段の滝」は確認できませんでした。
仕方がないので、階段から見えた橋を渡ってみることにしました。
途中、ご覧のような相模川八景のモニュメントがあったので撮ってみました。
これから渡る橋を撮ってみましたが、名前は「新三段の滝橋」となっていました。
尚、下に流れているのは鳩川分水路です。
橋を渡っていると、ご覧のような人工の滝がありました。
どうやら、分水路の放流の勢いを緩衝するために段差(三段)が造られていることから「三段の滝」と呼ばれているみたいでした。
尚、「二段の滝」のようですが、この橋の下にもう一段あるみたいなので後で確認してみます。
「新三段の滝橋」を渡ると、今度は「三段の滝橋」がありました。
「三段の滝橋」からは、辛うじて「三段の滝」が見えました。
折角なので、アップで撮ってみました。
「三段の滝橋」を渡って「新三段の滝橋」の下にあったもう一段を確認して「三段の滝芝生広場」に戻りました。
「三段の滝展望広場」からは、再び県道46号線に戻って、次の「八景の棚」に向かいました。
急な階段を上って、新磯橋入口の交差点に戻ると「相模の大凧」の看板があったので撮ってみました。
<八景の棚>
県道46号線を10分程歩くと、ご覧のような展望台のある「八景の棚」に着きました。
取り敢えず、丹沢山系を撮ってみました。
ここからも相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。
左手に、昭和橋と新昭和橋が見えたのでこちらも撮ってみました。
大山(?)が見えたのでアップで撮ってみました。
展望台の近くに、「浄水の碑」があったので撮ってみました。
展望台から少し歩くと、ご覧のような「はけ通り」の標石がありました。
名前「はけ」の由来は分かりませんが、横には<南 座間方面、北 八王子方面>と書いてありました。
又、近くに「景勝 八景の棚」の看板も出ていました。
<さいかちの碑>
「八景の棚」を後に少し歩くと、ご覧のような「さいかちの碑」と「さいかちの木」がありました。
「さいかちの碑」には、『「さいかちの木」は、武田信玄が小田原進攻の戦勝を祝い植えたもので、次の戦も再び勝てるようにとの願いが込められている。』と刻まれていました。
取り敢えず、朽ちかけた「さいかちの木」を撮ってみました。
「さいかちの碑」を後に、県道を10分程歩くと瓢禄玉の案内が出ていました。
案内に従って坂道を下ると、途中に浅間神社がありましたが瓢禄玉の帰りに行くことにしました。
<瓢禄玉(ひょうろくだま)>
案内に従って坂道を更に下ると、ご覧のような瓢禄玉に着きました。
瓢禄玉は、川魚料理の専門店ですが、営業時間が15時迄なのでそれ以前に入る必要がありました(当然、今回の目的の一つです)。
店内はお座敷のみで、窓の外は丹沢の山並みと田園風景が広がっていました。
先客はいましたが、ご覧のように空いていたので助かりました。
取り敢えず、日本酒と看板料理の「ますの唐揚げ」と「わかさぎの天ぷら」を頼んでみました。
一段落したところで、土・日曜日限定の紅富士丼とこれも看板料理の「鯉のあらい」を頼んでみました。
美味しい川魚料理が食べれたので、昼食を食べないできた甲斐がありました。
もう一度、店内を撮ってお店を出ることにしました。
結果的に、14時頃に入って15時過ぎまでいたことになります。
お店の外に出ると、ご覧のような池があったので撮ってみました。
又、ご覧のような川魚の養殖池(?)があったので撮ってみました。
夕焼けが迫っている大山(?)が見えたのでアップで撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
瓢禄玉を後に、来た道を戻ると、浅間神社に行けそうな石段があったので上ってみました。
石段の上に着くと、浅間神社の鳥居がありました。
鳥居の左側に、ご覧のような舞台(?)があったので撮ってみました。
鳥居に先に、手水鉢のようなものがあったので撮ってみましたが・・・
社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、ビニールで覆われている紙垂がありました。
社殿の右側に境内社の秋葉神社(?)があったので撮ってみました。
浅間神社を後に、原当麻駅に向かいました。
途中に、ご覧のような石像があったので撮ってみました。
原当麻駅からは相模線で海老名駅まで行って、相鉄線に乗り換えて帰りました。
今回の「相模線沿いを散策(相武台下駅~原当麻駅)」は、歴史遺産や相模川の絶景が見れて、瓢禄玉で美味しい川魚が食べられたので満足しています。
又、万歩計が19,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
今回の散策コースは次のようにしました。
相武台下駅-(15分)-常福寺-(30分)-史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅-(20分)-三段の滝展望広場-(10分)-八景の棚-(15分)-瓢禄玉-(5分)-浅間神社-(10分)-原当麻駅
<相武台下駅>
相模線の相武台下駅は、これまで「ひまわりまつり」や「相模の大凧まつり」等で何回も乗り降りしていますが取り敢えず撮ってみました。
<常福寺に向かう>
情報誌「くるーず」には、常福寺は載っていませんが、途中にあるので行ってみることにしました。
常福寺へは、相模線の東側にある竹林沿いの道から行ってみました。
相武台下駅から10分程歩くと、第1下磯部ガードがあるので「相模の大凧センター」に行ってみました。
大凧センターの前には宝くじ売り場がありましたが、こんな場所で売れるのですかね!?
<常福寺(じょうふくじ)>
ガードから元の道に戻って少し歩くと、常福寺の石柱のある裏門(?)に着きました。
常福寺は、2015年4月の「相模川散策(さくら編)」で来ています。
階段の上には、前に来た時にはなかった立派な門が建っていました。
又、六地蔵も新しい門の手前に移動していました。
かながわの名木100選の「しばの木」もあったので撮ってみました。
永代供養墓は、前に来た時もありましたが撮ってみました。
永代供養墓の隣りには、三界万霊碑と戦没者供養塔がありました。
参道の先に、素晴らしい紅葉があったのでアップで撮ってみました。
右側に、天満宮があったのでお地蔵さんと一緒に撮ってみました。
素晴らしい紅葉と一緒に山門を撮って境内に入ります。
取り敢えず、常福寺ライブが開かれる本堂を撮ってみました。
本堂でお参りしてから、本堂内部を撮ってみました。
本堂の前には、ご覧のような見事な砂紋がありました。
又、境内の右側にはご覧のような苔生した庭もありました。
苔生した庭から本堂を撮って、本堂の正面にある石柱門(正式な入口?)に行ってみました。
取り敢えず、石柱門を撮って常福寺を後にしました。
常福寺からは、神奈中バスが走る県道46号線に出て、下溝駅方面に向かいました。
<県道46号線>
県道に出て20分程歩くと、鳥居の脇に「八王子道」の標石がありました。
横には<八王子方面、座間方面>と書いてありました。
鳥居の奥に碑があったので、中に入ってみました。
「表忠碑」と刻まれている碑が2基あったので撮ってみました。
表忠碑には、日清・日露戦争の戦没者を祀っているようなことが書いてありました。
県道を更に10分程歩くと、新磯小学校入口の交差点の近くに道祖神(?)がありました。
又、交差点に<史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅>の案内が出ていました。
<史跡勝坂遺跡・旧中村家住宅に向かう>
案内に従って、鳩川に架かる七橋を渡って、先の方に行ってみることにしました。
七橋を渡ると、民家の入口の塀にご覧のようなキウイが成っていました。
鈴なりのキウイを見るのは初めてなので、失礼してアップで撮らせて頂きました。
坂道の途中に、ご覧のような案内板が出ていました。
取り敢えず、旧中村家住宅に行って、後で勝坂遺跡(D区)に行くことにしました。
案内板の後ろに、ご覧のような「ねこ坂」の標石が建っていました。
標石の横には『昔、この坂で猫が踊っていたので、ねこ坂といわれています。』と書いてありました。
「ねこ坂」は、ご覧のようなかなりの急坂になっていました。
<旧中村家住宅>
「ねこ坂」を上って左手に行くと、ご覧のような旧中村家住宅の長屋門がありました。
主屋と同時期の慶応年間(1865~1868)に建てられた長屋門を撮ってみました。
旧中村家住宅の主屋は、幕末期の擬洋風建築です。
建築当時は3階建てでしたが、関東大震災で3階部分は取り除かれ現在は2階建てになっています。
素晴らしい主屋なのでアップでも撮ってみました。
庭の右側に、「国登録有形文化財中村家住宅主屋と長屋門」の案内が出ていたので撮ってみました。
⇒ 確かに、主屋の写真は3階建てになっていました。
主屋の1階の内部を撮ってみました。確かにガラス障子のガラスは波打っていました。
当時の家具が置いてありましたが、左側は菊の御紋のある長持(3段+2段)です。
絵が描けそうな見事な天井を撮って主屋を後にしました。
主屋の後に、お稲荷さんがあるので行ってみると、ご覧のような大きな祠がありました(立入禁止)。
旧中村家住宅を後に、来た道を戻って勝坂遺跡(D区)に向いました。
<勝坂遺跡(D区)>
先程の案内板からも、ご覧のようなかなり急な坂道を上ります。
坂道の上に着くと、ご覧のような勝坂遺跡公園の入口がありました。
近くにあった案内マップで現在地を確認すると、管理棟から一番遠い竪穴住居の近くにいました(管理棟まで行かなくて得した感じです)。
右側の山道を登ると、ご覧のような復元された竪穴住居がありました。
縄文時代中期後葉(約4700年前)の竪穴住居(3号住居)を撮って、中に入ってみました。
3号住居の内部はご覧のようになっていて、石囲いの炉もありました(下に降りることも出来ます)。
続いて、同時代の竪穴住居(1号住居)に行ってみました。
1号住居の説明案内板に依ると、構築順序は2号→1号→3号の順で、いずれも古い住居が埋まった後に造られているようです。
取り敢えず、1号住居の内部も撮ってみました。
管理棟の方に向かって歩いていると、廃絶住居の窪地がありました。
説明案内板に依ると、窪地は縄文人がゴミ捨て場として利用していたみたいです。
縄文時代中期末葉(約4500年前)の敷石住居(30号住居)の跡がありました。
管理棟の手前に遣って来ると、ご覧のような大木があったので撮ってみました(名前は分かりません)。
尚、右の奥に見えるのが管理棟です。
管理棟にはトイレはありますが、他に見るべきものはありませんでした。
勝坂遺跡公園の入口を撮って、勝坂遺跡(D区)を後にしました。
<県道46号線>
公園から広い道路に出て道なりに5分程歩くと、相模線の踏切のある県道46号線に出ました。
県道を歩いていると、相模川に架かる5連続アーチの相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。
県道を歩いて下溝踏切の近くに遣って来ると、ご覧のような形をした送電塔がありました。
相模線の上にある送電線なのでご覧のよう形をしているのですかね!?
ご覧のような下溝踏切を渡りますが、トラックが多く歩道が狭いので渡るタイミングが難しいです。
踏切を渡って暫く進むと、「三段の滝展望広場」のある新磯橋入口の交差点に着きました。
<三段の滝展望広場>
横断歩道を渡ると、『三段の滝展望広場』の名前が出ている入口ゲートがありました。
ご覧のような急な階段を下りて、「三段の滝」を探すことにしました。
階段の途中から、眼下に広がる相模川の景観を撮ってみました。
ここからも相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。
尚、手前に見える橋は昭和橋ですかね!?
左側には、ご覧のような橋がありましたが「三段の滝」が何処にあるのか分かりません。
芝生広場に着いたので、下りて来た階段の方を撮ってみました。
近くにあった相模川散策総合案内板(現在地は左端)で「三段の滝」を確認しました。
「三段の滝芝生広場」や「三段の滝下広場」はありましたが、「三段の滝」は確認できませんでした。
仕方がないので、階段から見えた橋を渡ってみることにしました。
途中、ご覧のような相模川八景のモニュメントがあったので撮ってみました。
これから渡る橋を撮ってみましたが、名前は「新三段の滝橋」となっていました。
尚、下に流れているのは鳩川分水路です。
橋を渡っていると、ご覧のような人工の滝がありました。
どうやら、分水路の放流の勢いを緩衝するために段差(三段)が造られていることから「三段の滝」と呼ばれているみたいでした。
尚、「二段の滝」のようですが、この橋の下にもう一段あるみたいなので後で確認してみます。
「新三段の滝橋」を渡ると、今度は「三段の滝橋」がありました。
「三段の滝橋」からは、辛うじて「三段の滝」が見えました。
折角なので、アップで撮ってみました。
「三段の滝橋」を渡って「新三段の滝橋」の下にあったもう一段を確認して「三段の滝芝生広場」に戻りました。
「三段の滝展望広場」からは、再び県道46号線に戻って、次の「八景の棚」に向かいました。
急な階段を上って、新磯橋入口の交差点に戻ると「相模の大凧」の看板があったので撮ってみました。
<八景の棚>
県道46号線を10分程歩くと、ご覧のような展望台のある「八景の棚」に着きました。
取り敢えず、丹沢山系を撮ってみました。
ここからも相模川水路橋が見えたのでアップで撮ってみました。
左手に、昭和橋と新昭和橋が見えたのでこちらも撮ってみました。
大山(?)が見えたのでアップで撮ってみました。
展望台の近くに、「浄水の碑」があったので撮ってみました。
展望台から少し歩くと、ご覧のような「はけ通り」の標石がありました。
名前「はけ」の由来は分かりませんが、横には<南 座間方面、北 八王子方面>と書いてありました。
又、近くに「景勝 八景の棚」の看板も出ていました。
<さいかちの碑>
「八景の棚」を後に少し歩くと、ご覧のような「さいかちの碑」と「さいかちの木」がありました。
「さいかちの碑」には、『「さいかちの木」は、武田信玄が小田原進攻の戦勝を祝い植えたもので、次の戦も再び勝てるようにとの願いが込められている。』と刻まれていました。
取り敢えず、朽ちかけた「さいかちの木」を撮ってみました。
「さいかちの碑」を後に、県道を10分程歩くと瓢禄玉の案内が出ていました。
案内に従って坂道を下ると、途中に浅間神社がありましたが瓢禄玉の帰りに行くことにしました。
<瓢禄玉(ひょうろくだま)>
案内に従って坂道を更に下ると、ご覧のような瓢禄玉に着きました。
瓢禄玉は、川魚料理の専門店ですが、営業時間が15時迄なのでそれ以前に入る必要がありました(当然、今回の目的の一つです)。
店内はお座敷のみで、窓の外は丹沢の山並みと田園風景が広がっていました。
先客はいましたが、ご覧のように空いていたので助かりました。
取り敢えず、日本酒と看板料理の「ますの唐揚げ」と「わかさぎの天ぷら」を頼んでみました。
一段落したところで、土・日曜日限定の紅富士丼とこれも看板料理の「鯉のあらい」を頼んでみました。
美味しい川魚料理が食べれたので、昼食を食べないできた甲斐がありました。
もう一度、店内を撮ってお店を出ることにしました。
結果的に、14時頃に入って15時過ぎまでいたことになります。
お店の外に出ると、ご覧のような池があったので撮ってみました。
又、ご覧のような川魚の養殖池(?)があったので撮ってみました。
夕焼けが迫っている大山(?)が見えたのでアップで撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
瓢禄玉を後に、来た道を戻ると、浅間神社に行けそうな石段があったので上ってみました。
石段の上に着くと、浅間神社の鳥居がありました。
鳥居の左側に、ご覧のような舞台(?)があったので撮ってみました。
鳥居に先に、手水鉢のようなものがあったので撮ってみましたが・・・
社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、ビニールで覆われている紙垂がありました。
社殿の右側に境内社の秋葉神社(?)があったので撮ってみました。
浅間神社を後に、原当麻駅に向かいました。
途中に、ご覧のような石像があったので撮ってみました。
原当麻駅からは相模線で海老名駅まで行って、相鉄線に乗り換えて帰りました。
今回の「相模線沿いを散策(相武台下駅~原当麻駅)」は、歴史遺産や相模川の絶景が見れて、瓢禄玉で美味しい川魚が食べられたので満足しています。
又、万歩計が19,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。