「金沢区釜利谷をぶらり(東光禅寺・自性院・禅林寺編)」から続く。
禅林寺を後に、前の道路を「釜利谷小川アメニティ」入口まで歩いてバス道路に出て、次の手子神社に向かいました。
<庚申塔と二世菩薩>
禅林寺から暫く進むと、道路脇の鉾に庚申塔(左)と二世菩薩(右)が祀ってあったので撮ってみました。
禅林寺からは10分程歩くと、笹下釜利谷道路の手前にある交差点「宮下橋」に着きました。
<手子神社(てこじんじゃ)>
交差点「宮下橋」で信号待ちしていると、向かい側に手子神社の鳥居が見えました。
橋に魚が泳いでいる小宿橋を渡って手子神社に向かいました。
小宿橋から、御神木が見える宮川の下流方面を撮ってみました。
小宿橋を渡ると右側に、ご覧のような社務所がありました。
鳥居の手前に、横浜市指定名木古木のケヤキがあったので撮ってみました。
ケヤキの先に、ご覧のような手水舎がありました。
手子神社の鳥居を正面から撮ってみました。
ついでに、アップでも撮ってみました。
鳥居の左側に、「手子神社由緒」があったので撮ってみました。
手子神社由緒に依ると、手子神社は、文明5年(1473)釜利谷の領主の伊丹左京亮が宮ケ谷の地に創始、延宝7年(1679)伊丹氏の子孫の三河守昌家の子(江戸浅草寺の智楽院忠蓮僧正)が現在の地に遷祀したようです。
又、境内社の竹生嶋弁財天社は、古く「小泉夜雨」の起源となった小泉の瀟湘(しょうしょう)の松の下の祠であったが、享保8年(1722)江戸の木島又右衛門政尚が玄峰和尚と共に、同所に石窟を構築し遷宮し、昭和15年(1940)現在の地に遷座したようです。
階段を上っていると、今度は横浜市指定名木古木のイチョウがあったので撮ってみました。
階段の上に着くと、左側に見つめ合っている親子の狛犬がいました。
右側にも、同じような狛犬がいたので撮ってみました。
拝殿で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから、向拝に掲げてあった扁額を撮ってみました。
ついでに、立派な御賽銭箱があったので撮ってみました。
手子神社の左側に、境内社があったので行ってみました。
取り敢えず、鳥居の後にあった石窟の竹生嶋弁財天社を撮ってみました。
折角なので、石窟の中を撮ってみましたが、人面蛇体のような御祭神が祀られていました。
拝殿の後ろに本殿があったので撮ってみました。
本殿の後ろに回ると、後の壁は岩盤を削って造られているようでした。
境内の端に行って、下に見える景色を撮ってみました。
階段を下りると、右側に御神木のケヤキがありました。
御神木の先に、ご覧のような庚申塔や馬頭観音が並んでいたので撮ってみました。
⇒ この道は、かつては街道だったかも知れませんね!?
宮川橋に遣って来ると、宮川に御神木が写っていたので撮ってみました。
<宮川>
宮川橋から宮川沿いを5分程下ると、ご覧のような中州橋に着きました。
中州橋に、ご覧のような桜が描かれていたので撮ってみました。
折角なので、上流の桜の木を撮ってみました。
ついでに、これから進む下流も撮ってみました。
中州橋を渡って宮川沿いを中井橋まで歩いて、中井橋の先を左折して笹下釜利谷道路を渡ることにしました。
笹下釜利谷道路を渡ってからは、市立釜利谷東小学校の横を通って山側のバス道路に出て、金沢文庫駅方面に歩きながら浅間神社の入り口を探すことにしました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
バス道路に出て5分程歩くと、左側に浅間神社に行けそうな緩い坂道があったので入ってみました。
坂道を暫く進むと、ご覧のような馬頭観音があったので撮ってみました。
近くに、黄色い花を咲かせている木(アンデスの乙女?)があったので撮ってみました。
坂道を5分程上ると、ご覧のような社標のある浅間神社に着きました。
”谷津”は町名で、京急線の能見台駅も以前は谷津坂駅の名前になっていました。
取り敢えず、立派な鳥居を撮ってみました。
階段を上ると右側に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
又、手水舎の先にも急な階段があって、上の方には鳥居も見えました。
急な階段を上って鳥居を撮ってみましたが、急な階段は未だ続いているようです。
鳥居の先も階段は続いていて、最後は、ご覧のようなかなり急な階段を上ることになります。
階段を上り切ると、境内に、ご覧のような社殿があったので撮ってみました。
折角なので、社殿をアップで撮ってみました。
又、振り返って、上って来た急な階段を撮ってみました。
境内の左側に、ご覧のような境内社があったの行ってみました。
境内社は第六天神で、中央には”宝暦十年”と彫られた石碑がありました。
境内社の隣に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
手水舎の近くに、「御祭神 木花開耶姫尊」の碑があったのですが、所々、字が擦れていて読めませんでした。
社殿に行って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから、社殿の後ろに行ってみると、ご覧のようになっていたので社殿は拝殿かも知れませんね!?
再度、立派な拝殿を撮ってみました。
帰りは、ご覧のような案内が出ている裏参道から下に行ってみました。
裏参道と言っても、ご覧のような山道を下るので裏参道ではなく裏道ですね!?
下の道路に着いたので、浅間神社の裏参道の入口を撮ってみました。
この道路は、浅間神社の社標が立っていた道に通じていたので、来る時に通ったバス道路に出れました。
次はバス道路を戻って、正法院と御嶽神社に行くだけになりました。
<赤井稲荷>
バス道路に戻ると、次に向かう正法院の案内が出ていたので少し余裕も出てきました。
バス道路を暫く歩くと、右側に鳥居があったので行ってみました。
石段の下に着いたので社殿を撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
お参りをしてから社殿の内部を見ると、小さな祠があったので撮らせていただきました。
<正法院(しょうぼういん)>
バス道路に戻って暫く進むと、右側に赤井町内会館があって、その先に正法院がありました。
取り敢えず、正法院の山門を撮ってみました。
本堂の手前右側に、案内板以外に、赤井不動尊正法院の碑、こんにちわ小僧、輪廻塔などが所狭しと並んでいました。
本堂の下に行ってみましたが、本堂は掃除をしているようなので、ここでお参りをしました。
お参りしてから、赤井不動尊の提灯をアップで撮ってみました。
提灯の下に、稚児大師が合掌していたのでアップで撮ってみました。
本堂の階段の両端に、十六羅漢像が祀ってあったので撮ってみました。
又、「赤井不動尊と赤井の井戸」と「赤井精舎十三佛永代墓」の説明案内板があったので撮ってみました。
本堂の向かい側にも、いろんなものが置いてあったので撮ってみました。
山門の脇に、弘法大師修行石像があったので撮ってみました。
六地蔵尊の先にあった階段を上って、赤井不動尊が祀ってある奥ノ院に行ってみることにしました。
途中の墓地から、奥ノ院にある幟と看板を撮ってみました。
奥ノ院に着いたので幟と看板を撮ってみましたが、近過ぎて上手く撮れません。
仕方がないので、別の離れた場所(お墓)から撮ってみました。
奥ノ院を横から撮って不動堂に行ってみました。
不動堂の奥に「赤井不動尊と不動の福石」の説明案内板があったので撮ってみました。
取り敢えず、不動堂でお参りをしました。
折角なので、赤井不動尊をアップで撮ってみました。
奥ノ院から下に見える墓地と本堂を撮ってみました。
奥ノ院を後に、階段を下りていると、右側に赤井精舎十三佛永代墓があったので行ってみました。
中央で十三佛(じゅうさんぶつ)がお祈りしていたので撮ってみました。
失礼してアップでも撮らせていただきました。
本堂の前に戻って来たので、再度、本堂を撮って正法院を後にしました。
バス道路に戻って、最後の御嶽神社に向かいました。
<御嶽神社>
バス道路沿いを右(西)の方に5分程歩くと、御嶽神社がありそうな感じがしたので右に曲がってみました。住宅地の急道を歩きながら、広範囲に御嶽神社を探し回ってみました。
結局、御嶽神社は見つからず、急坂の下に行くと、ご覧のような庚申塔があったので撮ってみました。
石段に座ってグーグルマップで確認すると、御嶽神社はこの辺りにありますが(グーグルマップが間違っている?)・・・
石段の上を見上げると、鳥居があったので上がってみました。
御嶽神社の確証はありませんが、ご覧のような鳥居と祠があったので撮ってみました。
これが、探していた御嶽神社なら、なんだかなですね!
擁壁に何か書いてあったので撮ってみましたが・・・
スッキリしなかったので、バス道路に戻って、先のバス停「赤坂」まで歩いてみましたが、神社は見つけられませでした。
歩き疲れたので、金沢文庫駅行きのバスが来たので乗ってしまいました。
金沢文庫駅に着いたので、東口近くの居酒屋に入って喉を潤しました。
今回の「金沢区釜利谷をぶらり(東光禅寺・自性院・禅林寺・手子神社・浅間神社・正法院編)」は、御嶽神社以外はそれなりに楽しめたので満足しています。又、今回はiPadを活用したので、道に迷うことは殆どありませんでした。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので23,000歩を超えていました。
禅林寺を後に、前の道路を「釜利谷小川アメニティ」入口まで歩いてバス道路に出て、次の手子神社に向かいました。
<庚申塔と二世菩薩>
禅林寺から暫く進むと、道路脇の鉾に庚申塔(左)と二世菩薩(右)が祀ってあったので撮ってみました。
禅林寺からは10分程歩くと、笹下釜利谷道路の手前にある交差点「宮下橋」に着きました。
<手子神社(てこじんじゃ)>
交差点「宮下橋」で信号待ちしていると、向かい側に手子神社の鳥居が見えました。
橋に魚が泳いでいる小宿橋を渡って手子神社に向かいました。
小宿橋から、御神木が見える宮川の下流方面を撮ってみました。
小宿橋を渡ると右側に、ご覧のような社務所がありました。
鳥居の手前に、横浜市指定名木古木のケヤキがあったので撮ってみました。
ケヤキの先に、ご覧のような手水舎がありました。
手子神社の鳥居を正面から撮ってみました。
ついでに、アップでも撮ってみました。
鳥居の左側に、「手子神社由緒」があったので撮ってみました。
手子神社由緒に依ると、手子神社は、文明5年(1473)釜利谷の領主の伊丹左京亮が宮ケ谷の地に創始、延宝7年(1679)伊丹氏の子孫の三河守昌家の子(江戸浅草寺の智楽院忠蓮僧正)が現在の地に遷祀したようです。
又、境内社の竹生嶋弁財天社は、古く「小泉夜雨」の起源となった小泉の瀟湘(しょうしょう)の松の下の祠であったが、享保8年(1722)江戸の木島又右衛門政尚が玄峰和尚と共に、同所に石窟を構築し遷宮し、昭和15年(1940)現在の地に遷座したようです。
階段を上っていると、今度は横浜市指定名木古木のイチョウがあったので撮ってみました。
階段の上に着くと、左側に見つめ合っている親子の狛犬がいました。
右側にも、同じような狛犬がいたので撮ってみました。
拝殿で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから、向拝に掲げてあった扁額を撮ってみました。
ついでに、立派な御賽銭箱があったので撮ってみました。
手子神社の左側に、境内社があったので行ってみました。
取り敢えず、鳥居の後にあった石窟の竹生嶋弁財天社を撮ってみました。
折角なので、石窟の中を撮ってみましたが、人面蛇体のような御祭神が祀られていました。
拝殿の後ろに本殿があったので撮ってみました。
本殿の後ろに回ると、後の壁は岩盤を削って造られているようでした。
境内の端に行って、下に見える景色を撮ってみました。
階段を下りると、右側に御神木のケヤキがありました。
御神木の先に、ご覧のような庚申塔や馬頭観音が並んでいたので撮ってみました。
⇒ この道は、かつては街道だったかも知れませんね!?
宮川橋に遣って来ると、宮川に御神木が写っていたので撮ってみました。
<宮川>
宮川橋から宮川沿いを5分程下ると、ご覧のような中州橋に着きました。
中州橋に、ご覧のような桜が描かれていたので撮ってみました。
折角なので、上流の桜の木を撮ってみました。
ついでに、これから進む下流も撮ってみました。
中州橋を渡って宮川沿いを中井橋まで歩いて、中井橋の先を左折して笹下釜利谷道路を渡ることにしました。
笹下釜利谷道路を渡ってからは、市立釜利谷東小学校の横を通って山側のバス道路に出て、金沢文庫駅方面に歩きながら浅間神社の入り口を探すことにしました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>
バス道路に出て5分程歩くと、左側に浅間神社に行けそうな緩い坂道があったので入ってみました。
坂道を暫く進むと、ご覧のような馬頭観音があったので撮ってみました。
近くに、黄色い花を咲かせている木(アンデスの乙女?)があったので撮ってみました。
坂道を5分程上ると、ご覧のような社標のある浅間神社に着きました。
”谷津”は町名で、京急線の能見台駅も以前は谷津坂駅の名前になっていました。
取り敢えず、立派な鳥居を撮ってみました。
階段を上ると右側に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
又、手水舎の先にも急な階段があって、上の方には鳥居も見えました。
急な階段を上って鳥居を撮ってみましたが、急な階段は未だ続いているようです。
鳥居の先も階段は続いていて、最後は、ご覧のようなかなり急な階段を上ることになります。
階段を上り切ると、境内に、ご覧のような社殿があったので撮ってみました。
折角なので、社殿をアップで撮ってみました。
又、振り返って、上って来た急な階段を撮ってみました。
境内の左側に、ご覧のような境内社があったの行ってみました。
境内社は第六天神で、中央には”宝暦十年”と彫られた石碑がありました。
境内社の隣に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。
手水舎の近くに、「御祭神 木花開耶姫尊」の碑があったのですが、所々、字が擦れていて読めませんでした。
社殿に行って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから、社殿の後ろに行ってみると、ご覧のようになっていたので社殿は拝殿かも知れませんね!?
再度、立派な拝殿を撮ってみました。
帰りは、ご覧のような案内が出ている裏参道から下に行ってみました。
裏参道と言っても、ご覧のような山道を下るので裏参道ではなく裏道ですね!?
下の道路に着いたので、浅間神社の裏参道の入口を撮ってみました。
この道路は、浅間神社の社標が立っていた道に通じていたので、来る時に通ったバス道路に出れました。
次はバス道路を戻って、正法院と御嶽神社に行くだけになりました。
<赤井稲荷>
バス道路に戻ると、次に向かう正法院の案内が出ていたので少し余裕も出てきました。
バス道路を暫く歩くと、右側に鳥居があったので行ってみました。
石段の下に着いたので社殿を撮ってみました。
取り敢えず、社殿でお参りをしました。
お参りをしてから社殿の内部を見ると、小さな祠があったので撮らせていただきました。
<正法院(しょうぼういん)>
バス道路に戻って暫く進むと、右側に赤井町内会館があって、その先に正法院がありました。
取り敢えず、正法院の山門を撮ってみました。
本堂の手前右側に、案内板以外に、赤井不動尊正法院の碑、こんにちわ小僧、輪廻塔などが所狭しと並んでいました。
本堂の下に行ってみましたが、本堂は掃除をしているようなので、ここでお参りをしました。
お参りしてから、赤井不動尊の提灯をアップで撮ってみました。
提灯の下に、稚児大師が合掌していたのでアップで撮ってみました。
本堂の階段の両端に、十六羅漢像が祀ってあったので撮ってみました。
又、「赤井不動尊と赤井の井戸」と「赤井精舎十三佛永代墓」の説明案内板があったので撮ってみました。
本堂の向かい側にも、いろんなものが置いてあったので撮ってみました。
山門の脇に、弘法大師修行石像があったので撮ってみました。
六地蔵尊の先にあった階段を上って、赤井不動尊が祀ってある奥ノ院に行ってみることにしました。
途中の墓地から、奥ノ院にある幟と看板を撮ってみました。
奥ノ院に着いたので幟と看板を撮ってみましたが、近過ぎて上手く撮れません。
仕方がないので、別の離れた場所(お墓)から撮ってみました。
奥ノ院を横から撮って不動堂に行ってみました。
不動堂の奥に「赤井不動尊と不動の福石」の説明案内板があったので撮ってみました。
取り敢えず、不動堂でお参りをしました。
折角なので、赤井不動尊をアップで撮ってみました。
奥ノ院から下に見える墓地と本堂を撮ってみました。
奥ノ院を後に、階段を下りていると、右側に赤井精舎十三佛永代墓があったので行ってみました。
中央で十三佛(じゅうさんぶつ)がお祈りしていたので撮ってみました。
失礼してアップでも撮らせていただきました。
本堂の前に戻って来たので、再度、本堂を撮って正法院を後にしました。
バス道路に戻って、最後の御嶽神社に向かいました。
<御嶽神社>
バス道路沿いを右(西)の方に5分程歩くと、御嶽神社がありそうな感じがしたので右に曲がってみました。住宅地の急道を歩きながら、広範囲に御嶽神社を探し回ってみました。
結局、御嶽神社は見つからず、急坂の下に行くと、ご覧のような庚申塔があったので撮ってみました。
石段に座ってグーグルマップで確認すると、御嶽神社はこの辺りにありますが(グーグルマップが間違っている?)・・・
石段の上を見上げると、鳥居があったので上がってみました。
御嶽神社の確証はありませんが、ご覧のような鳥居と祠があったので撮ってみました。
これが、探していた御嶽神社なら、なんだかなですね!
擁壁に何か書いてあったので撮ってみましたが・・・
スッキリしなかったので、バス道路に戻って、先のバス停「赤坂」まで歩いてみましたが、神社は見つけられませでした。
歩き疲れたので、金沢文庫駅行きのバスが来たので乗ってしまいました。
金沢文庫駅に着いたので、東口近くの居酒屋に入って喉を潤しました。
今回の「金沢区釜利谷をぶらり(東光禅寺・自性院・禅林寺・手子神社・浅間神社・正法院編)」は、御嶽神社以外はそれなりに楽しめたので満足しています。又、今回はiPadを活用したので、道に迷うことは殆どありませんでした。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので23,000歩を超えていました。