11月23日(土)は、東京都町田市にある泰巖(たいがん)歴史博物館に行ってみました。
泰巖歴史博物館は織田信長や戦国時代に関する資料が展示されています。
小田急線町田駅北口から「中町中央通り」に出て北西方向に5分程歩くと泰巖歴史博物館に着きました。
取り敢えず、標識をアップで撮ってみました。
尚、泰巖歴史博物館の名前は、織田信長の戒名である「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」から付けられています。
<1階>
受付で入館料(大人1,500円)を払って館内に入りました。
奥に行くと、フロアー案内があって3階以上は撮影禁止になっていました。
取り敢えず、フロアー案内板をアップで撮ってみました。
1階・2階は「信長の生涯」、3階は「信長の時代」、4階は「合戦の時代」、5階は「信長の茶の湯」になっていました。
ご覧のような案内が出ていたので撮ってみました。
近くに、案内板「安土城天主復元について」があったので撮ってみました。
案内板には、「安土城は、天正4年(1576)に織田信長が丹羽長秀に命じて約3年の歳月をかけ現在の安土山に建造された城郭です。・・・」と出ていました。
奥に行くと、左側に安土城天守閣(実寸大)があって、2階まで吹き抜きで造られていました。
左側に、案内板「安土城 五層・六層」があったのでアップで撮ってみました。
安土城天守は、方三間の入母屋造りの最上層(第六層)、その下層(第五層)の八角堂で構成されていました。
八角堂の奥に、狩野永徳の作とされる障壁画が描かれていたので撮ってみました。
折角なので、障壁画を倍率を上げて撮ってみました。
八角堂の右側に行くと、八角堂の後に行けるようになっていました。
通路の右側に、信長公の掛軸があって、下には刀剣と位牌が展示されていました。
刀剣には「左衛門尉藤原氏房造」、位牌には「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」と記されていました。
この刀剣は、織田信長お抱えの刀工 藤原氏房が、永禄13年(1570)4月に製作されたものです。
八角堂の後に、織田信長年譜「生涯全戦闘の記録」が出ていたので見ながら周ることにしました。
年譜の始めは、「天文3年(1534)織田信秀の嫡男として尾張勝幡城(尾張群古野城とも)で生まれる。幼名は吉法師。」・「天文15年(1546)古渡城にて元服。織田三郎信長と名乗る。・・・」となっていました。
年譜の先に行くと、天瑞寺室中旧障壁画「松図」があったので撮ってみました。
尚、天瑞寺は豊臣秀吉が母親の病気平癒のため建立した寺で、松図の作者は狩野永徳とされています。
折角なので、松図をアップで撮ってみました。
先に行くと、立派な松があったのでアップで撮ってみました。
更に、倍率を上げて撮ってみました。
案内板「天瑞寺室中旧障壁画『松図』(想定復元)」があったので撮ってみました。
八角堂を一回りすると、ご覧のような火灯窓(?)があったので撮ってみました。
下から、最上層(第六層)の格天井に描かれた「花の絵」が見えたのでアップで撮ってみました。
最上層の金色の軒下が見えたので撮ってみました。
八角堂(第5層)を一回りしたのでエレベータで2階に行ってみました。
<2階>
2階には映像シアターあって、織田信長の生涯を放映していました。
上映時間が20分程なので、予備知識として観ることにしました。
映像を観てから、安土城天守閣の最上層(第六層)を撮ってみました。
最上層の奥にあった障壁画が見えたので撮ってみました。
折角なので、アップで撮ってみました。
更に、倍率を上げて撮ってみました。
天守閣の破風 (はふ?)が見えたので倍率を上げて撮ってみました。
最上層(第六層)を見たので3階~5階に行ってみることにしました。
<3階:信長の時代>
織田信長を中心に、信長の一族・家臣や同時代の戦国武将たちの古文書・肖像画が展示されています。
<4階:合戦の時代>
戦国時代を象徴する刀剣、甲冑、火縄銃、合戦図屏風など、合戦にまつわる史料が展示されています。
<5階:信長と茶の湯>
信長が愛した茶碗をはじめ、釜、茶杓などの茶道具の名品が展示されています。
<1階>
1階に戻って来ると、八角堂(第5層)の天井画が見えたので倍率を上げて撮ってみました。
泰巖歴史博物館の出入口に戻ってきました(滞在時間:約2時間)。
時間が12時を回っていたので、小田急線町田駅北口近くの居酒屋で飲みながら昼食を食べました。
今回の「信長に特化した泰巖歴史博物館」は、安土城天主閣・織田信長・信長の時代について勉強になったので満足しています。
この時代に朱印状があったことは知っていましたが黒印状もあったのですね!
尚、万歩計は、大して歩いていないので10,000歩は超えていませんでした。
泰巖歴史博物館は織田信長や戦国時代に関する資料が展示されています。
小田急線町田駅北口から「中町中央通り」に出て北西方向に5分程歩くと泰巖歴史博物館に着きました。
取り敢えず、標識をアップで撮ってみました。
尚、泰巖歴史博物館の名前は、織田信長の戒名である「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」から付けられています。
<1階>
受付で入館料(大人1,500円)を払って館内に入りました。
奥に行くと、フロアー案内があって3階以上は撮影禁止になっていました。
取り敢えず、フロアー案内板をアップで撮ってみました。
1階・2階は「信長の生涯」、3階は「信長の時代」、4階は「合戦の時代」、5階は「信長の茶の湯」になっていました。
ご覧のような案内が出ていたので撮ってみました。
近くに、案内板「安土城天主復元について」があったので撮ってみました。
案内板には、「安土城は、天正4年(1576)に織田信長が丹羽長秀に命じて約3年の歳月をかけ現在の安土山に建造された城郭です。・・・」と出ていました。
奥に行くと、左側に安土城天守閣(実寸大)があって、2階まで吹き抜きで造られていました。
左側に、案内板「安土城 五層・六層」があったのでアップで撮ってみました。
安土城天守は、方三間の入母屋造りの最上層(第六層)、その下層(第五層)の八角堂で構成されていました。
八角堂の奥に、狩野永徳の作とされる障壁画が描かれていたので撮ってみました。
折角なので、障壁画を倍率を上げて撮ってみました。
八角堂の右側に行くと、八角堂の後に行けるようになっていました。
通路の右側に、信長公の掛軸があって、下には刀剣と位牌が展示されていました。
刀剣には「左衛門尉藤原氏房造」、位牌には「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」と記されていました。
この刀剣は、織田信長お抱えの刀工 藤原氏房が、永禄13年(1570)4月に製作されたものです。
八角堂の後に、織田信長年譜「生涯全戦闘の記録」が出ていたので見ながら周ることにしました。
年譜の始めは、「天文3年(1534)織田信秀の嫡男として尾張勝幡城(尾張群古野城とも)で生まれる。幼名は吉法師。」・「天文15年(1546)古渡城にて元服。織田三郎信長と名乗る。・・・」となっていました。
年譜の先に行くと、天瑞寺室中旧障壁画「松図」があったので撮ってみました。
尚、天瑞寺は豊臣秀吉が母親の病気平癒のため建立した寺で、松図の作者は狩野永徳とされています。
折角なので、松図をアップで撮ってみました。
先に行くと、立派な松があったのでアップで撮ってみました。
更に、倍率を上げて撮ってみました。
案内板「天瑞寺室中旧障壁画『松図』(想定復元)」があったので撮ってみました。
八角堂を一回りすると、ご覧のような火灯窓(?)があったので撮ってみました。
下から、最上層(第六層)の格天井に描かれた「花の絵」が見えたのでアップで撮ってみました。
最上層の金色の軒下が見えたので撮ってみました。
八角堂(第5層)を一回りしたのでエレベータで2階に行ってみました。
<2階>
2階には映像シアターあって、織田信長の生涯を放映していました。
上映時間が20分程なので、予備知識として観ることにしました。
映像を観てから、安土城天守閣の最上層(第六層)を撮ってみました。
最上層の奥にあった障壁画が見えたので撮ってみました。
折角なので、アップで撮ってみました。
更に、倍率を上げて撮ってみました。
天守閣の破風 (はふ?)が見えたので倍率を上げて撮ってみました。
最上層(第六層)を見たので3階~5階に行ってみることにしました。
<3階:信長の時代>
織田信長を中心に、信長の一族・家臣や同時代の戦国武将たちの古文書・肖像画が展示されています。
<4階:合戦の時代>
戦国時代を象徴する刀剣、甲冑、火縄銃、合戦図屏風など、合戦にまつわる史料が展示されています。
<5階:信長と茶の湯>
信長が愛した茶碗をはじめ、釜、茶杓などの茶道具の名品が展示されています。
<1階>
1階に戻って来ると、八角堂(第5層)の天井画が見えたので倍率を上げて撮ってみました。
泰巖歴史博物館の出入口に戻ってきました(滞在時間:約2時間)。
時間が12時を回っていたので、小田急線町田駅北口近くの居酒屋で飲みながら昼食を食べました。
今回の「信長に特化した泰巖歴史博物館」は、安土城天主閣・織田信長・信長の時代について勉強になったので満足しています。
この時代に朱印状があったことは知っていましたが黒印状もあったのですね!
尚、万歩計は、大して歩いていないので10,000歩は超えていませんでした。
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