10月25日(土)は運動不足の解消も兼ねて、「小田急沿線自然ふれあい歩道」に載っていた「町田駅(境川)コース」をコース案内図を片手に歩いてみました。
歩程(7.5km)は次の通りですが、道に迷わなければ2時間位で巡れます。
町田駅-930m-鹿島神社-30m-青柳寺-700m-境川-580m-金森山ふるさとの森-1280m-泉竜寺・三重塔-2100m-祥雲寺-650m-町田天満宮-320m-宗保院-880m-町田駅
<鹿島神社>
ショートカットするつもりで、小田急線町田駅からJR町田駅を通って境川沿いから行ったら町田厚木線が通っている境橋に出てしまいました。
早速、道を間違えてしまいましたが、町田厚木線を厚木方面に少し戻ると「鹿島神社」がありました。
「祝七五三」の案内が出ていたので、もうその時期になっていたんですね!
社殿に懸っている真新しいしめ縄の前で、今日は道に迷わないで巡れますようにお祈りをしました。
社殿の前に、珍しい夫婦椿があったので撮ってみました。
夫婦椿の説明板には、『このご神木は樹齢250年(推定)で、お賽銭を上げ願意を込めて潜り抜けると幸運に恵まれると言われております』と書いてありました。
社殿の隣に扁額が「大自在天満宮」となっている社(?)があったので撮ってみました。
天満宮となっているので菅原道真公と関係あるのですかね!?
<青柳寺(せいりゅうじ)>
境内の左の方に立派なお寺があったので行ってみることにしました。
本堂の屋根瓦の先端が”青”になっているので山門を通らないで「青柳寺」に来てしまったようです。
本堂に懸けられた扁額は「拈華微笑」となっていましたが何の意味だか良く判りません。
取り敢えずお参りはしました。
手水舎の近くに大きな石があってその奥に鐘楼があったので行ってみました。
鐘楼の屋根を支える四隅の柱の上に龍(?)のような彫刻があったのでアップで撮ってみました。
しかも、龍の口が開いているのと閉じているのがあって良い仕事をしていますよね!
山門を通らないで「青柳寺」に入ってしまったので、帰りがけに「方運山」と書かれた山門の扁額を撮って「青柳寺」を後にしました。
<青柳寺から金森山ふるさとの森へ>
再び、境橋に戻って境橋を渡り境川を右に見ながら「金森山ふるさとの森」を目指します。
尚、境川を挟んで西側は神奈川県相模原市、東側は東京都町田市になります。
境橋を渡って境川沿いを5分位歩くと、対岸にご覧のような珍しい送電鉄塔が建っていたので撮ってみました。
<金森山ふるさとの森>
境川沿いを暫く歩くと左側に森が見えたので行ってみると「金森山ふるさとの森」でした。
「金森山ふるさとの森」は下草が刈ってあって散策路にはロープが張ってありました。
今の時期の森は見るべき物はありませんが、夏になるとセミやクワガタがいて子供達の絶好の遊び場になりそうですね!?
「金森山ふるさとの森」を後に、次の「泉竜寺」に向かいます。
<金森山ふるさとの森から泉竜寺へ>
「金森山ふるさとの森」から暫く歩いて「上鶴間橋」を渡ると再び相模原市になります。
コース案内図によると、「上鶴間橋」を渡ると左側に「金山神社」が載っていたので行ってみることにしました。
「金山神社」に着くと、ここにも「祝七五三まいり」のノボリが立っていました。
「金山神社」にお参りしてから扁額を撮ってみましたが、今の時代に裸電球の電灯があるとは珍しいですね!
「金山神社」からコース案内図に従って5分位歩くと鎌倉古道になります。
鎌倉古道を暫く歩くと右側に「中和田天神上公園」があって斜面に素晴らしい竹林があったので行ってみました。
斜面はご覧のような散策路になっていて、春になると筍が採れそうですが採ったら怒られてしまいますね!
「中和田天神上公園」を後に、鎌倉古道を暫く歩くと右側の斜面の上の方に神社が見えたので行ってみました。
そこは赤い鳥居が立派な由緒ありそうな「惣吉(そうきち)稲荷神社」がありました。
説明板には、『江戸時代初頭、上鶴間村の一部を治めていた大岡吉重郎義成に"惣吉"という名の男が使えていて、大岡氏の死後も夫妻の墓を守って一生を終えたそうで、人々は惣吉の忠義をたたえ、神社にその名を付けたのだと伝えられています。』と書いてありました。
神社の左に立札「<文化財愛護>」があって、その隣に墓碑を納めたような建物があったので撮ってみましたが、建物の内部は上手く撮れていませんでした。
尚、立札には『相模原市指定文化財「中和田延文4年の板碑(双碑)」、相模原市登録文化財「旗本大岡義成夫妻の墓碑」』と書いてありました。
<泉竜寺(せんりゅうじ)>
「金山神社」、「中和田天神上公園」、「惣吉稲荷神社」などを巡ってしまったので、「金森山ふるさとの森」からは30分以上もかかって「泉竜寺」に着きました。
山門の手前にあった相模七福神と六地蔵尊を撮ってみました。
六地蔵尊の前に黒い鉄の車輪ようなものが付いている塔婆が建っていました。
黒い鉄の車輪は回せるのですが、何のためにあるのでしょうかね!?
中々立派な山門で扁額は「中和山」となっていました。
山門の左右に阿吽の形相をした仁王像があったので撮ってみましたが、網があって上手く撮れていませんでした。
大して道に迷わずここまれ来れたお礼を兼ねて本堂でお参りをしました。
本堂にお参りしてから「三重の宝塔」を撮ってみましたが、高さは15m位はありますかね?
鐘楼の手前から中庭に行けそうな入口があったので入ってみました。
中庭に入ると右側に池があって、奥に蓮の葉に乗った観音様がいました。
池の手前の右側の塔婆(?)には例の黒い鉄の車輪、左側には次のようなことが書かれていました。
『道元禅師が中国より帰朝の折、暴風雨に遭い荒れ狂う船上にて黙座し観音経を唱えると、海上に一枚の蓮の葉に乗った観音菩薩が現れ風雨が直ちに収まったという。』
有り難い観音菩薩様なのでアップで撮らせて頂きました。
池の左奥に、「相模豊川稲荷」が祀ってあったので撮ってみました。
中庭の出入口近くに大きさが3m程の「山燈竜」がありました。左の奥に写っているのが鐘楼です。
「泉竜寺」の鐘楼を撮って、次の「祥雲寺」に向かいました。
<泉竜寺から祥雲寺へ>
「泉竜寺」を後に道なりに暫く歩くと、道路脇に愛くるしい「延命地蔵」が祀ってありました。
「延命地蔵」にも例の黒い鉄の車輪があったので、「泉竜寺」が幼児の交通安全を願って建てたのかも知れませんね!?
案の定、暫く歩くと左側に泉竜寺・未就園児の中和田幼稚園がありました。
ここからは、境川に架かる「鶴金橋」を渡って再び町田市に入り、目黒町町田線を北上し「金森天神山ふるさとの森」を目指します。
目黒町町田線に入って暫く歩くと、「金森天神山ふるさとの森」の麓に天満宮の鳥居がありました。奥の方に祠が見えたので行ってみることにしました。
石段を上り切ると、菅原道真公をご祭神とする「金森天神社」がありました。
左側には菅公が詠んだ有名な歌碑『こち吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわするな』がありました。
「金森天神山ふるさとの森」を突き抜けて、町田街道に出てから北上して「金森郵便局前」の交差点を目指します。
「金森郵便局前」の交差点の細い道を右折すると、先の方に目印の赤い鳥居が見えました。
1本道を5分位歩くとお稲荷さんに着きましたが、ご覧のような可愛らしい祠がありました。
ここからは、お稲荷さんの裏の道を通ってJR横浜線の踏切を目指しますが、曲がりくねった細い道を行くので道に迷いそうです。
案の定、途中で道に迷ってしまいJR横浜線が真下に見える眺めの良い高台に着いてしまいました。
眺めが良かったので写真を撮ろうとしたら運良く下り電車が来て、近くで踏切警報機がなったので踏切の近くまで来ていることが判りしました(ホッ!)。
どうにか「金森踏切」に着き下り方面の線路を撮ってみました。踏切を渡れば左側に「祥雲寺」があります。
<祥雲寺(しょううんじ)>
「泉竜寺」からは50分位で「祥雲寺」に着きました。
「祥雲寺」の入口はご覧のようになっていて変だと思ったのですが、取り敢えず入ってみることにしました。
⇒ これは、後で判ったことですがここは墓地の出入口でした。
墓地から見えた本堂を撮ってみましたが、真新しいので最近建てられたみたいです。
両脇に仁王様が立っているのが判ります。
ここにも仁王様があったので撮ってみましたが、ここの仁王様は足が短い感じがしませんか!? ⇒ これは喝!ですね!
本堂にお参りしてから境内を散策することにしました。
可愛らしい「経よむ小僧」、「いねむり小僧」、「掃除小僧」がいたので撮ってみました。
「祥雲寺」には池もあって池を一周すると七福神巡りが出来るみたいですよ!
ここが「祥雲寺」の正式の出入口で、ここから出て「町田天満宮」に向かいました。
<町田天満宮>
町田街道に出て町田駅前通りからJR横浜線を超える歩道橋を渡ると、左側に「町田天満宮」がありました。
見たことがある境内だと思ったら、以前、テレビ朝日のグッド!モーニングの「がらくた骨董市」で放映していました。
取り敢えず本堂でお参りをしました。
ついでに失礼して本堂の内部も撮らせて頂きました。
本堂の隣に境内社があったので取り敢えず撮ってみました。
境内社の手前の右側には「原町田七福神」の恵比寿様が祀ってありました。
「町田天満宮」を後に、本日の最後の「宗保院」に向かいました。
<宗保院(そうほいん)>
「町田天満宮」から道なりに暫く歩くと、原町田橋の近くに「宗保院」の石柱が建っていました。
山門の左右に仁王像があったのですが、細かい網がかかっていて上手く撮れていませんでした。
⇒ こちらの仁王像は足は短くありませんでした。
山門を潜ると右側に珍しい天狗の手水屋があったので撮ってみました。
山門からの参道は100m位あって正面に本堂、左側には「秋葉三尺坊」のお堂がありました。
取り敢えず本堂でお参りを済ませたから隣の「秋葉三尺坊」に行ってみることにしました。
提灯には”秋葉三尺坊”と書かれていましたが意味不明です。
又、扁額には「秋葉山」と書かれているのですかね!?
「宗保院」にお参りしてから参道に戻ると、左手に鐘楼が見えたので撮ってみました。
これで全てを見て巡ったので町田駅前に出て、一杯飲みながら遅い昼食を取ることにしました。
今日の「町田/境川沿いをぶらり」は、時間は3時間半近くかかってしまいましたが、いろんな所を見て巡れ、新しい発見もあったので大変満足しています。
特に、菅原道真をご祭神とする天満宮が多かったのは勉強熱心な人達が多かったのでしょうね!?
尚、万歩計は18,000歩を超えていました。今度は、大願成就の「相模七福神巡り」や「原町田七福神巡り」をしてみたいと思っています。
歩程(7.5km)は次の通りですが、道に迷わなければ2時間位で巡れます。
町田駅-930m-鹿島神社-30m-青柳寺-700m-境川-580m-金森山ふるさとの森-1280m-泉竜寺・三重塔-2100m-祥雲寺-650m-町田天満宮-320m-宗保院-880m-町田駅
<鹿島神社>
ショートカットするつもりで、小田急線町田駅からJR町田駅を通って境川沿いから行ったら町田厚木線が通っている境橋に出てしまいました。
早速、道を間違えてしまいましたが、町田厚木線を厚木方面に少し戻ると「鹿島神社」がありました。
「祝七五三」の案内が出ていたので、もうその時期になっていたんですね!
社殿に懸っている真新しいしめ縄の前で、今日は道に迷わないで巡れますようにお祈りをしました。
社殿の前に、珍しい夫婦椿があったので撮ってみました。
夫婦椿の説明板には、『このご神木は樹齢250年(推定)で、お賽銭を上げ願意を込めて潜り抜けると幸運に恵まれると言われております』と書いてありました。
社殿の隣に扁額が「大自在天満宮」となっている社(?)があったので撮ってみました。
天満宮となっているので菅原道真公と関係あるのですかね!?
<青柳寺(せいりゅうじ)>
境内の左の方に立派なお寺があったので行ってみることにしました。
本堂の屋根瓦の先端が”青”になっているので山門を通らないで「青柳寺」に来てしまったようです。
本堂に懸けられた扁額は「拈華微笑」となっていましたが何の意味だか良く判りません。
取り敢えずお参りはしました。
手水舎の近くに大きな石があってその奥に鐘楼があったので行ってみました。
鐘楼の屋根を支える四隅の柱の上に龍(?)のような彫刻があったのでアップで撮ってみました。
しかも、龍の口が開いているのと閉じているのがあって良い仕事をしていますよね!
山門を通らないで「青柳寺」に入ってしまったので、帰りがけに「方運山」と書かれた山門の扁額を撮って「青柳寺」を後にしました。
<青柳寺から金森山ふるさとの森へ>
再び、境橋に戻って境橋を渡り境川を右に見ながら「金森山ふるさとの森」を目指します。
尚、境川を挟んで西側は神奈川県相模原市、東側は東京都町田市になります。
境橋を渡って境川沿いを5分位歩くと、対岸にご覧のような珍しい送電鉄塔が建っていたので撮ってみました。
<金森山ふるさとの森>
境川沿いを暫く歩くと左側に森が見えたので行ってみると「金森山ふるさとの森」でした。
「金森山ふるさとの森」は下草が刈ってあって散策路にはロープが張ってありました。
今の時期の森は見るべき物はありませんが、夏になるとセミやクワガタがいて子供達の絶好の遊び場になりそうですね!?
「金森山ふるさとの森」を後に、次の「泉竜寺」に向かいます。
<金森山ふるさとの森から泉竜寺へ>
「金森山ふるさとの森」から暫く歩いて「上鶴間橋」を渡ると再び相模原市になります。
コース案内図によると、「上鶴間橋」を渡ると左側に「金山神社」が載っていたので行ってみることにしました。
「金山神社」に着くと、ここにも「祝七五三まいり」のノボリが立っていました。
「金山神社」にお参りしてから扁額を撮ってみましたが、今の時代に裸電球の電灯があるとは珍しいですね!
「金山神社」からコース案内図に従って5分位歩くと鎌倉古道になります。
鎌倉古道を暫く歩くと右側に「中和田天神上公園」があって斜面に素晴らしい竹林があったので行ってみました。
斜面はご覧のような散策路になっていて、春になると筍が採れそうですが採ったら怒られてしまいますね!
「中和田天神上公園」を後に、鎌倉古道を暫く歩くと右側の斜面の上の方に神社が見えたので行ってみました。
そこは赤い鳥居が立派な由緒ありそうな「惣吉(そうきち)稲荷神社」がありました。
説明板には、『江戸時代初頭、上鶴間村の一部を治めていた大岡吉重郎義成に"惣吉"という名の男が使えていて、大岡氏の死後も夫妻の墓を守って一生を終えたそうで、人々は惣吉の忠義をたたえ、神社にその名を付けたのだと伝えられています。』と書いてありました。
神社の左に立札「<文化財愛護>」があって、その隣に墓碑を納めたような建物があったので撮ってみましたが、建物の内部は上手く撮れていませんでした。
尚、立札には『相模原市指定文化財「中和田延文4年の板碑(双碑)」、相模原市登録文化財「旗本大岡義成夫妻の墓碑」』と書いてありました。
<泉竜寺(せんりゅうじ)>
「金山神社」、「中和田天神上公園」、「惣吉稲荷神社」などを巡ってしまったので、「金森山ふるさとの森」からは30分以上もかかって「泉竜寺」に着きました。
山門の手前にあった相模七福神と六地蔵尊を撮ってみました。
六地蔵尊の前に黒い鉄の車輪ようなものが付いている塔婆が建っていました。
黒い鉄の車輪は回せるのですが、何のためにあるのでしょうかね!?
中々立派な山門で扁額は「中和山」となっていました。
山門の左右に阿吽の形相をした仁王像があったので撮ってみましたが、網があって上手く撮れていませんでした。
大して道に迷わずここまれ来れたお礼を兼ねて本堂でお参りをしました。
本堂にお参りしてから「三重の宝塔」を撮ってみましたが、高さは15m位はありますかね?
鐘楼の手前から中庭に行けそうな入口があったので入ってみました。
中庭に入ると右側に池があって、奥に蓮の葉に乗った観音様がいました。
池の手前の右側の塔婆(?)には例の黒い鉄の車輪、左側には次のようなことが書かれていました。
『道元禅師が中国より帰朝の折、暴風雨に遭い荒れ狂う船上にて黙座し観音経を唱えると、海上に一枚の蓮の葉に乗った観音菩薩が現れ風雨が直ちに収まったという。』
有り難い観音菩薩様なのでアップで撮らせて頂きました。
池の左奥に、「相模豊川稲荷」が祀ってあったので撮ってみました。
中庭の出入口近くに大きさが3m程の「山燈竜」がありました。左の奥に写っているのが鐘楼です。
「泉竜寺」の鐘楼を撮って、次の「祥雲寺」に向かいました。
<泉竜寺から祥雲寺へ>
「泉竜寺」を後に道なりに暫く歩くと、道路脇に愛くるしい「延命地蔵」が祀ってありました。
「延命地蔵」にも例の黒い鉄の車輪があったので、「泉竜寺」が幼児の交通安全を願って建てたのかも知れませんね!?
案の定、暫く歩くと左側に泉竜寺・未就園児の中和田幼稚園がありました。
ここからは、境川に架かる「鶴金橋」を渡って再び町田市に入り、目黒町町田線を北上し「金森天神山ふるさとの森」を目指します。
目黒町町田線に入って暫く歩くと、「金森天神山ふるさとの森」の麓に天満宮の鳥居がありました。奥の方に祠が見えたので行ってみることにしました。
石段を上り切ると、菅原道真公をご祭神とする「金森天神社」がありました。
左側には菅公が詠んだ有名な歌碑『こち吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわするな』がありました。
「金森天神山ふるさとの森」を突き抜けて、町田街道に出てから北上して「金森郵便局前」の交差点を目指します。
「金森郵便局前」の交差点の細い道を右折すると、先の方に目印の赤い鳥居が見えました。
1本道を5分位歩くとお稲荷さんに着きましたが、ご覧のような可愛らしい祠がありました。
ここからは、お稲荷さんの裏の道を通ってJR横浜線の踏切を目指しますが、曲がりくねった細い道を行くので道に迷いそうです。
案の定、途中で道に迷ってしまいJR横浜線が真下に見える眺めの良い高台に着いてしまいました。
眺めが良かったので写真を撮ろうとしたら運良く下り電車が来て、近くで踏切警報機がなったので踏切の近くまで来ていることが判りしました(ホッ!)。
どうにか「金森踏切」に着き下り方面の線路を撮ってみました。踏切を渡れば左側に「祥雲寺」があります。
<祥雲寺(しょううんじ)>
「泉竜寺」からは50分位で「祥雲寺」に着きました。
「祥雲寺」の入口はご覧のようになっていて変だと思ったのですが、取り敢えず入ってみることにしました。
⇒ これは、後で判ったことですがここは墓地の出入口でした。
墓地から見えた本堂を撮ってみましたが、真新しいので最近建てられたみたいです。
両脇に仁王様が立っているのが判ります。
ここにも仁王様があったので撮ってみましたが、ここの仁王様は足が短い感じがしませんか!? ⇒ これは喝!ですね!
本堂にお参りしてから境内を散策することにしました。
可愛らしい「経よむ小僧」、「いねむり小僧」、「掃除小僧」がいたので撮ってみました。
「祥雲寺」には池もあって池を一周すると七福神巡りが出来るみたいですよ!
ここが「祥雲寺」の正式の出入口で、ここから出て「町田天満宮」に向かいました。
<町田天満宮>
町田街道に出て町田駅前通りからJR横浜線を超える歩道橋を渡ると、左側に「町田天満宮」がありました。
見たことがある境内だと思ったら、以前、テレビ朝日のグッド!モーニングの「がらくた骨董市」で放映していました。
取り敢えず本堂でお参りをしました。
ついでに失礼して本堂の内部も撮らせて頂きました。
本堂の隣に境内社があったので取り敢えず撮ってみました。
境内社の手前の右側には「原町田七福神」の恵比寿様が祀ってありました。
「町田天満宮」を後に、本日の最後の「宗保院」に向かいました。
<宗保院(そうほいん)>
「町田天満宮」から道なりに暫く歩くと、原町田橋の近くに「宗保院」の石柱が建っていました。
山門の左右に仁王像があったのですが、細かい網がかかっていて上手く撮れていませんでした。
⇒ こちらの仁王像は足は短くありませんでした。
山門を潜ると右側に珍しい天狗の手水屋があったので撮ってみました。
山門からの参道は100m位あって正面に本堂、左側には「秋葉三尺坊」のお堂がありました。
取り敢えず本堂でお参りを済ませたから隣の「秋葉三尺坊」に行ってみることにしました。
提灯には”秋葉三尺坊”と書かれていましたが意味不明です。
又、扁額には「秋葉山」と書かれているのですかね!?
「宗保院」にお参りしてから参道に戻ると、左手に鐘楼が見えたので撮ってみました。
これで全てを見て巡ったので町田駅前に出て、一杯飲みながら遅い昼食を取ることにしました。
今日の「町田/境川沿いをぶらり」は、時間は3時間半近くかかってしまいましたが、いろんな所を見て巡れ、新しい発見もあったので大変満足しています。
特に、菅原道真をご祭神とする天満宮が多かったのは勉強熱心な人達が多かったのでしょうね!?
尚、万歩計は18,000歩を超えていました。今度は、大願成就の「相模七福神巡り」や「原町田七福神巡り」をしてみたいと思っています。