「伊東:観光巡り(小室山公園編)」から続く。
「仲丸通り」から松川(伊東大川)方面に向かって5分程歩くと、東海館は橋(いで湯橋?)の手前の左手奥にありました。
風情のある東海館の脇を通って玄関に向かいました。
玄関に着いたので正面から撮ってみました。
東海館は、昭和3年(1928)に建てられた木造3階建の温泉旅館で、平成9年に温泉旅館としては廃業しましたが、伊東市に寄贈され平成13年に観光施設になっています。
風格ある唐破風の玄関を別角度から撮ってみました。
<1F>
ご覧のような玄関ホールの受付で入館料(200円)を払って館内に入ります。
取り敢えず、見学順路に従って1Fから回ってみることにしました。
徳川家康愛用の西洋時計が展示されいたので撮ってみました。
この時計は、スペイン難破船救助の返礼として、慶長16年(1611)スペイン国王フェリペ3世から徳川家康に贈られたものみたいです。
半纏が掛けてある客室(蔦の間?)があったので撮ってみました。
ご覧のような大石が置いてある中庭があったので撮ってみました。
横に行ってみると、ご覧のようなガマガエルがいたのでアップで撮ってみました。
1Fには、ご覧のような客室があって目の前に松川が流れていました。
折角なので松川を撮ってみました。
川沿にはご覧のような舞台が出来ていました(5月19日~20日:伊東祐親まつり用?)。
又、ご覧のような別の中庭もあったので撮ってみました。
ご覧のような掛け軸のある客室(欄の間・葵の間?)もありました。
<2F>
2Fに上ったので吹き抜けになっている中庭を撮ってみました。
「歴史の小部屋(橘の間?)」は、三浦按針に関する資料が展示されていました。
ウイリアム・アダムス(三浦按針)の肖像画があったので撮ってみました。
1600年に豊後臼杵に漂着した航海長ウイリアム・アダムスのリーフデ号があったので撮ってみました。
「牡丹の間」の欄間や障子には、ご覧のような幾何学模様が施されていました。
次の「歴史の小部屋」には、伊東祐親(いとうすけちか)に関する資料が展示されていました。
客室に入ると、源頼朝と千鶴丸を抱いた八重姫(伊東祐親の娘)がいました。
「伊東祐親をめぐる年表」や「伊東祐親の人物像」に依ると、伊東祐親は、当時伊豆第一の勢力者で源頼朝が伊豆に流された時の平家方の監視役で、娘の八重姫と源頼朝の間に出来た子供が千鶴丸でした。
尚、伊東祐親は平家方として戦うも敗れ、最終的には平家も滅亡します。
又、伊東市文化財史跡保存会の半纏と登場人物を撮ってみました。
この客室からも水上舞台が見えたので撮ってみました。
次の「歴史の小部屋」には、東郷平八郎に関する資料が展示されていました。
良く見かける「三笠艦橋の図」と1/132の戦艦三笠があったので撮ってみました。
ついでに、東郷平八郎元帥の写真も撮ってみました。
次の客室に行くと、伊東市在住の彫刻家重岡建治の作品が展示してありました。
ご覧のようなポスターも貼ってありました。
取り敢えず、気に入った作品をアップで撮ってみました。
次は、ごらんのような「どんどろ人形」が展示されている客室がありました。
「魔除 伊東どんどろ」の説明案内板と一緒に「どんどろ人形」を撮ってみました。
傍に、大室山の大蛇穴、大池の赤牛の話や伊東の民話が出ていました。
又、室生犀星が詠んだ「じんなら魚」があったので撮ってみました。
ご覧のような懐かしい半纏や番傘があったので撮ってみました。
2Fには、ご覧のような広間もありました。
ご覧のような廊下を通って3Fに行ってみました。
<3F>
3Fに上ったので、吹き抜けの中庭を撮ってみました。
大広間では、ご覧のような宴を遣っていました。
取り敢えず、綺麗どころを撮って宴に入ってみることにしました。
折角なので、アップでも撮らせていただきました。
ついでに、ご相伴にもあずからせていただきました。
奥に、ご覧のような「端午の節句」が飾ってあったので撮ってみました。
又、後ろに立派な舞台があったのでアップでも撮ってみました。
大広間を出ると、望楼への階段があったので上ってみました。
<望楼>
望楼は、四方が開けている見晴らしの良い場所になっていました。
早速、吹き抜けになっている中庭の上部を撮ってみました。
松川の水上舞台や「いで湯橋」も見えたので撮ってみました。
高い建物がなければ、素晴らしい眺望だったのでしょうね!?
東海館を出て、伊東駅の西側にある旅館に向かいました。
<旅館>
部屋に着くと、伊東駅と初島が見えたのでアップで撮ってみました。
夕食を食べてから温泉に入って早々に寝ました。
今日は大して歩いていないので、万歩計は5,000歩程度でした。
「伊東:観光巡り(蝋人形美術館)」に続く。
「仲丸通り」から松川(伊東大川)方面に向かって5分程歩くと、東海館は橋(いで湯橋?)の手前の左手奥にありました。
風情のある東海館の脇を通って玄関に向かいました。
玄関に着いたので正面から撮ってみました。
東海館は、昭和3年(1928)に建てられた木造3階建の温泉旅館で、平成9年に温泉旅館としては廃業しましたが、伊東市に寄贈され平成13年に観光施設になっています。
風格ある唐破風の玄関を別角度から撮ってみました。
<1F>
ご覧のような玄関ホールの受付で入館料(200円)を払って館内に入ります。
取り敢えず、見学順路に従って1Fから回ってみることにしました。
徳川家康愛用の西洋時計が展示されいたので撮ってみました。
この時計は、スペイン難破船救助の返礼として、慶長16年(1611)スペイン国王フェリペ3世から徳川家康に贈られたものみたいです。
半纏が掛けてある客室(蔦の間?)があったので撮ってみました。
ご覧のような大石が置いてある中庭があったので撮ってみました。
横に行ってみると、ご覧のようなガマガエルがいたのでアップで撮ってみました。
1Fには、ご覧のような客室があって目の前に松川が流れていました。
折角なので松川を撮ってみました。
川沿にはご覧のような舞台が出来ていました(5月19日~20日:伊東祐親まつり用?)。
又、ご覧のような別の中庭もあったので撮ってみました。
ご覧のような掛け軸のある客室(欄の間・葵の間?)もありました。
<2F>
2Fに上ったので吹き抜けになっている中庭を撮ってみました。
「歴史の小部屋(橘の間?)」は、三浦按針に関する資料が展示されていました。
ウイリアム・アダムス(三浦按針)の肖像画があったので撮ってみました。
1600年に豊後臼杵に漂着した航海長ウイリアム・アダムスのリーフデ号があったので撮ってみました。
「牡丹の間」の欄間や障子には、ご覧のような幾何学模様が施されていました。
次の「歴史の小部屋」には、伊東祐親(いとうすけちか)に関する資料が展示されていました。
客室に入ると、源頼朝と千鶴丸を抱いた八重姫(伊東祐親の娘)がいました。
「伊東祐親をめぐる年表」や「伊東祐親の人物像」に依ると、伊東祐親は、当時伊豆第一の勢力者で源頼朝が伊豆に流された時の平家方の監視役で、娘の八重姫と源頼朝の間に出来た子供が千鶴丸でした。
尚、伊東祐親は平家方として戦うも敗れ、最終的には平家も滅亡します。
又、伊東市文化財史跡保存会の半纏と登場人物を撮ってみました。
この客室からも水上舞台が見えたので撮ってみました。
次の「歴史の小部屋」には、東郷平八郎に関する資料が展示されていました。
良く見かける「三笠艦橋の図」と1/132の戦艦三笠があったので撮ってみました。
ついでに、東郷平八郎元帥の写真も撮ってみました。
次の客室に行くと、伊東市在住の彫刻家重岡建治の作品が展示してありました。
ご覧のようなポスターも貼ってありました。
取り敢えず、気に入った作品をアップで撮ってみました。
次は、ごらんのような「どんどろ人形」が展示されている客室がありました。
「魔除 伊東どんどろ」の説明案内板と一緒に「どんどろ人形」を撮ってみました。
傍に、大室山の大蛇穴、大池の赤牛の話や伊東の民話が出ていました。
又、室生犀星が詠んだ「じんなら魚」があったので撮ってみました。
ご覧のような懐かしい半纏や番傘があったので撮ってみました。
2Fには、ご覧のような広間もありました。
ご覧のような廊下を通って3Fに行ってみました。
<3F>
3Fに上ったので、吹き抜けの中庭を撮ってみました。
大広間では、ご覧のような宴を遣っていました。
取り敢えず、綺麗どころを撮って宴に入ってみることにしました。
折角なので、アップでも撮らせていただきました。
ついでに、ご相伴にもあずからせていただきました。
奥に、ご覧のような「端午の節句」が飾ってあったので撮ってみました。
又、後ろに立派な舞台があったのでアップでも撮ってみました。
大広間を出ると、望楼への階段があったので上ってみました。
<望楼>
望楼は、四方が開けている見晴らしの良い場所になっていました。
早速、吹き抜けになっている中庭の上部を撮ってみました。
松川の水上舞台や「いで湯橋」も見えたので撮ってみました。
高い建物がなければ、素晴らしい眺望だったのでしょうね!?
東海館を出て、伊東駅の西側にある旅館に向かいました。
<旅館>
部屋に着くと、伊東駅と初島が見えたのでアップで撮ってみました。
夕食を食べてから温泉に入って早々に寝ました。
今日は大して歩いていないので、万歩計は5,000歩程度でした。
「伊東:観光巡り(蝋人形美術館)」に続く。