遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

迷い・悩む≪ヤブジラミ≫

2014-05-31 08:14:10 | 認知症

今日は朝から、PC前に座っています。何でかというと、検診日なのです。
夕べの9時から何も食べていませんし、朝から水も飲めないので、畑仕事は休みで待機中です。
朝起きても何も食べられないのだから、絶対、寝坊するのだ!それには夜更かしするのだ。
と、思ってたのですが、、耐えられず、10時には横になって、、
念のため、タイマーを掛けて見てたTVは、案の定、、、今朝目覚めると。切れておりました。
そんなにまでして、観たかったのではないのに、、

 

昨日の午後、ハハ(姑)の見舞いに行きました。
ハハ(姑)は肝臓の持病を持っています。その割りに、というより、普通にも肌の色はいい人でした。
ところが、先週のハハ(姑)は、黒い沈んだような顔色で驚いたのですが、、血色も良く、しっかりとこちらを見ます。
回復?

少しさかのぼった話ですが、骨折のために入院後一ヶ月ぐらいの頃から、
食べ方を忘れたの?そんなことが良くありました。飲み下せないのです。
口の中に入れた食べ物を、何時までも何時までも咀嚼してるのです。
お粥と刻み食なのに、、、そのうち疲れたのか転寝、、
看護婦さんを呼んで口の中の物を出してもらったことも、そんなことが何度かありました。
食べたいという事が無くなったようです。お腹がすいて食べたいと感じるのを待つしかありません。

転院して、ますます酷くなり、食事の時間外にも、ゼリーのような物を与えようとしてくださるのですが、、
点滴での栄養補給。けれど、それに頼るのは、続けていくのは血管への負担が大きいです。
それに血管が細く、もろくなっているそうです。
胃ロウを提案されました。
抵抗があります。
辛いのは、本人に選択能力が無いのです。私達、、、まずはソラジと義妹たちの判断です。
昏睡状態ではないのです、、時にはおしゃべりもします。意味は判らないけど、、
ソラジのことも判らなくなってるけど、、
でも点滴での栄養補給は限度があります。。。。。。
悩んだ結果、胃ロウを選びました。

そして、顔色は良くなり、シッカリ私達を見るハハ(姑)です。
この調子でリハビリも再開できることを期待してると医師はおっしゃいます。

ハハ(姑)は「どっから、来たん?」と、尋ねます。
「ほたっら、連れてってくらんし」と、、、、
ソラジが、病気が治ったら、帰ろうとなだめますが、
ハハ(姑)は自分が病気だとか、通常の生活が出来ない状況とは認識できていません。
せめて、、、点滴の針を抜いてしまったり、胃ロウの器具を外さなくなったら、
帰宅も考えられるのに、、、

「帰るんかい。もっと居れんのかい。」と、言うハハ(姑)を残して帰ってきました。



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記憶のフラッシュバック ≪ヒメジョオン≫

2014-05-21 13:39:08 | 認知症

昨日のコロッケ作りで、大量に出た野菜くず、、畑のコンポストに捨てに行きました。
昨日の激しいい雨で水溜りが出来ていました。今日は、晴れだけど畑は無理!! 
我が家とハハ(姑)ンチの掃除をして(ざっとね^^;)

昨日、ソラジ一人でハハ(姑)の見舞いに行きました。今、療養型の病院に入院しています。

手拍子を取って、串本節を歌っていたそうです。
今年に入って、無かったことかも、、、って言うか、
私は、そんな陽気なハハ(姑)を見たことがありませんでした。
「よう覚えてるなぁ~って、ゆうたら、得意そうに3番まで歌って、まだ続きそうやったけど帰ってきた。」
そうです。^^ 今、誰が行っても、帰りを引き止めることはなくなりました。
家へ帰りたいとも言わなくなりました。



ハハ(姑)が施設に通いだしてすぐ、お菓子や果物を持っていこうとします。
「皆、持って来やるから、持っていかな あかん。」と、
でも、施設のお迎えの方に、「置いて行きましょうね」と、言われると他の人も~とは、言いませんでした。
そんな流れで、バナナをバックに詰めて準備してたことがあり、止めると
「見舞いに持っていくんや」と、言います。
詳しく聞くと、ハハ(姑)の同級生と施設のベットで寝てたそうです。「子供、生まれたんや」
「おばあちゃんの同級生がですか?」 そうだと仰います。
ハハ(姑)の認知度を感じ始めた出来事です。
「だったら、他の人もいるから、お家の方へ持って行きましょう。」家が判らないと、言いますので、
今日行って聞いてくるように言いながら、さてどうしたものか??

何をどう聞いたのか、施設の方が結婚した。子供を生んだ。祝いをしなければ、必死で訴えます。

介護師さんに聞くと記憶のフラッシュバック、
何かのキッケ(このときはベットの友人を見て)で、昔の記憶が蘇ったのでしょう。と、
そのキッケが何時、起こるか、どんな記憶が戻るのか?判りません。
私たちには、何を見て何を感じているのか判りません。

突然、息子が帰ってきた。と、言い出します。どこに行ったといわれても、、、
「帰っていない。」と、言っても納得しないのです。
当初は、戸惑い、どうして良いのか??帰っていないものを連れてくることも出来ず、、、
どう対処していいものか?
帰ってきたというのですから、帰ってきたのです。けど、急に帰ったようです。で、納得します。
「あの子も、一言ゆうていきゃ良いのに」
と、納得しても、翌日には、また同じ事を言い出します。
次に興味?気になることが出来るまで、、といった感じです。

無いものを、どこにやったと言われても、、無くなったものが何か判れば代替品を用意も出来ますが、、
ハハ(姑)自身も漠然としてるようです。
なので、「どうしたんでしょうねぇ~~」「困りましたねぇ~~」
こういう探し物、しなければと強く心に残ってることは、忘れません。
ハハ(姑)も必死なのでしょう、
けど、どう説明しても、納得させられず、毎日毎日攻め立てられる家族は耐え難いものがあります。

ですから、今、病院の安心できる環境にいて心穏やかで過ごしてくれてるのは、
家族にとって、救いです。




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≪ハナミズキ 2≫

2014-05-06 13:23:33 | 認知症

和歌山城の前に、公園があり、そこに植わってたハナミズキ

昨日は雨、今朝の畑仕事はお休み ♪ それはそれで嬉しいです。
洗濯物を干すとき、庭の草が目に付きました。大したこと無いって、思ったのですが、、
草もですが、スノーポールが、みすぼらしくなっています。
ガザニアが、息苦しそうです。花ガラ摘みに間引き、
気づいたらお昼近く、、間引きながら、手抜きのメニューを考えます。冷凍室に何が、、、、

認知症の症状で、無くなった、盗られた。って言い出すって、聞きますよね。
我が家も、ありました。

取るに足らない、そんなもの誰も持って行かないでしょう。な物が無くなったって、嘆いていたときは
誰も相手に、しなかったのです。置き忘れ、しまい忘れだろう。って、

ハハ(姑)がディサービスに行くようになった頃だと思います。
息子が、久しぶりに帰ってきたからとハハ(姑)に挨拶に行ったのです。
喜んでくれ、お小遣いをやりたいと言ってくれました。
けど、息子が帰った後、お金が無い。あの子が持っていったと言い出しました。
やってくれたんじゃないの?と聞くと、やった以上に、無くなってると言うのです。
幾ら入れたのかと聞くと答えられません。幾ら無くなったのかと聞くと
「10万」と、言います。その頃、すでにお金の管理は、ソラジがしていました。
そんな大金ハハ(姑)に持たせていません。「そんなに貰っていませんよ。」って、言ったら、
私が知ってるのがオカシイ。やっぱり持っていったと言います。
とうとう、「言って良いことと悪いことも、判らないんですか?」って、本気で怒ったんです。
たぶん初めてです。で、驚いたらしく、「ボケたおばあさん相手に本気で怒るって、アホやがい」って、
誤魔化しましたが、、、それ以来、身内を疑うことはありませんでした。
私も怒りを面に出すまいと決心しました。

でも、「無くなった。」は、日常茶飯事。それも自分で隠して隠したことを忘れてしまうのです。
前のようなことがあったので、ハハ(姑)の前で探し出しても
隠したから知ってたと言いかねないので、ハハ(姑)が居る間は、「どうしたんでしょうね」と、話をあわせておいて
出かけたら家捜しです。とんでもない所から出てきます。そして何時もの場所に戻しておきました。
帰ってきたとき、戻っていても、不思議には思わないようでした。

元々有った物が無くなったのは、探し出すことも出来ますが、、無いものが無くなったというのには、、困りました。
仕方が無いから、それを買って来ようと無くなった物は、どんな物か尋ねると、答えられないのです。
我が家に持っていかなかったか?と、取り戻しにきた時も「何にも持ってきませんでしたけど、探してみますか?」
探すといっても、どうしたら良いのか判らない様で部屋の中を見回して、「無いの~」
「仕方ないですね~そのうち出てきますよ」って、また思い出して無くなった。を繰り返すのです。
昔の記憶、買い物をした、貰った物を思い出す。何かを貰った(買った)記憶だけがフラッシュバックするようです。
これは、何か他の事に興味が移るまで、、何時までも責められ続けるしかないのです。

我が家の場合、ディサービスに行く回数が多かったので、耐えられましたが、
1日中、繰り返し責められたら、、思い出しては毎日毎日攻め立てられたら、、
認知症患者の家族は、懸命にやればやるほど精神的に追い詰められるものだと思います。



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≪ハナミズキ≫

2014-05-05 13:08:44 | 認知症

夕べ、耕運機を使った所為か?2日続けてのハードワークだった所為か?
ぐっすり眠ったのですが、
イタッ!!で、目が覚めました。一昨日の晩に蚊の羽音を聞いた気がしました。
蚊取り器、出さなきゃと思ってたのに失敗。それにしても、この重いような痛みは?
ずっと手首の重い痛みが取れないまま、それでも眠ってしまったようです。

雨の予報でしたが、朝のうちはまだ降り出さなかったので、2時間。
しゃがんで草を刈ってる間、時々チクチクすることがあります。何だろう?
もしかして、センダン草?には、ちょっと早いよね。
昨日、草むらをウロウロしたから?ま、大した事ないか?

今日も苺とグリーンピースを収穫して、一息入れてたら、ザァーって、降ってきた。

ハハ(姑)の認知症のこと

ディサービスに通いだした翌年の春、ハハ(姑)が、バリケードを築く様になりました。
台所の椅子や大きな額を運び込むようになって、足に痣を作ることも
ハハ(姑)の送迎の介護師さんに相談しました。
「春、木の芽時といわれる頃、気持ちが不安定になって、そんな行動を起こすこともあるようです。」
止めることはせず、危ない額は仕舞い込んで、座布団やクッションを用意しました。
それに、ブログ友のアドバイスで段ボールや発泡スチロールの箱を置いてみました。
確か、最初の頃はバリケードを築かない日もありました。
夏・秋と過ぎても、片付いてる日は無くなりました。

ハハ(姑)が、バリケードの不備を心配するので、「戸も閉まって鍵も掛かってるから大丈夫。」
と、説明しても、ガラスを通して入る光が不安なようでした。
これは理屈ではなく、不安!なのです。
カーテンを閉め、バリケードといっても、段ボール箱や座布団。まさに子供騙しのような物を
真剣に積み上げるのです。

それでも怪我の心配は無く、ハハ(姑)一人です。気の済むように、
でも日中でも薄暗い家で、私たちが暮らすのは気が滅入るものでしょう。

対処をいろいろ試してみました。
目の前で片付ける。は、怒りました。
けど、「片付けましょうか」と、誘うと一緒に片付けてくれることもありました。

試しに、そのままにして置いても、バリケードの完成形というのは無く、とにかく積み込む、
材料が足りなくなったら、何でも持ち出しました。
バリケードがあるから安心ではなく、バリケードを作る作業で安心するようです。

で、ハハ(姑)が出かけた後、片付けるようにしてみました。
帰ってきて、バリケードが無くなったことを嘆きますので、
少し残してバリケード用材を少し離れた場所に置くようにしました。
すると、安心して補強するのです。

お休みの日は時間があります。
積み上げて、疲れたら休んで、また積みなおし、
また思い出したら積みなおす、材料が足りなくなれば、押入れから布団を、
引きずって、引っかかったら危ない。と、ハハ(姑)の隙を見てバリケードを少し崩すなんてこともしていました。

私たちの出来ることは、危険の回避だけです。
ハハ(姑)に何かを強制することも、規制することも出来ません。

 

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デイサービス≪牡丹≫

2014-05-02 17:19:20 | 認知症

今朝、畑に出ると、やはり土は湿って作業は無理のようです。
回りの草引きをしました。あれ?を、忘れました。取りに戻るの面倒だしなぁ~~
ハハ(姑)は入院中、時間に縛られなくなりました。
ま、良いかぁ~~と、作業続投。遠くで子供たちの声が聞こえます。通学時間です。
そろそろお腹もすいてきたし、玉ねぎも収穫時期ですが、明日にしよう~~

ちょうど2時間の作業でした。私の体内時計は正確なようです。

ディサービスを受けることになり、それまで殆ど関わらなかったハハ(姑)との関わり、
この時 受けた介護認定は要介護2でした。それが、どの程度を現すのか?
ともかく、驚くことばかりの毎日になりました。

 

ディサービスに行くことになり、当座は送り出しとお迎えをしますと、申し出ました。
一人暮らしをしていたハハ(姑)ですから、必要とは思えなかったのですが、
送迎の職員の方が不安だろうとの思いです。

持っていく物のリストを見て、適当なカバンを義妹が探しでしてくれました。
ハハ(姑)は自分で用意しようとしません?
この時も、あまり気にしませんでした。
実は、まだチチ(舅)の存命中、ハハ(姑)が70代の頃に入院したことがありました。
ほとんど、自分では何もできず義妹が準備していました。残されるのチチ(舅)のことも、気が回らないようでした。
そんなですから、ごく自然に私は準備しました。
バスタオルやタオルは我が家にもありますが、下着は、、
もう3・4年前のことで、はっきりしませんが、
とにかく、奥の間に雑然とあるものを探し出したのだったと、

そして初めのディサービス、心配でした。でもハハ(姑)が居ない間に、ハハ(姑)の衣類の確認をしておかねば、
大忙しでした。
行けば、機嫌よく帰ってきます。

けど、入浴サービスのための用意ができない!のです。
指定されたものを用意して渡すのですが、荷物がかさ張るのが嫌なようでバスタオルを抜いてしまいます。
着替えの下着も要らないといいます。けど、この時に着替えてもらわないと、、、

始めは週に2度でした。
今日が何曜日だったか?私もうっかり、 って、ことはありますが、
何曜日に行くのかも、覚えていないというか?確認もしません。
毎朝、「今日は、行く日か?」 と、たずねます。

今日はお休みと言っても、記憶に残らないようでした。
私にも、少しづつハハ(姑)の様子に気付き始めてきました。

そして、同居じゃなかったので家の中のことが判りません。ハハ(姑)の衣類も、、
ハハ(姑)の留守中、衣類の確認をし、洗濯をし、処分し、不足を補う作業が続きまた。

 

 


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