遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

断捨離の丸投げ(豆カミツレ)

2016-03-13 20:45:38 | 認知症

今日は夕方からの雨、お時間まで、と、洗濯物を干し、

裏庭に花も咲き出したけど、草も、、、、けど今日は

寒いしなぁ~~と、1週間分の日記をつけ、

10年日記をつけ始めたのは、2001年。ちょうど切が良いと数年ぶりのことでした。

そしたら、その年の夏、ハハ(姑)の認知症を確信する事になり、

でも、たった4年あまりの介護でした。


都忘れとカミツレソウ(カモミール)、そして草。

ハハ(姑)がディサービスに行くと言い出し、
足元が覚束なくなったハハ(姑)の入浴させてもらえれば、社交家だったハハ(姑)がめっきり外に出なくなったし、
慣れるまで送迎時に付き添いましょう。そんな軽い気持ちで、
そんなつもりでした。

ところが、入浴用の着替えやタオルを用意も出来ないでいました。ハハ(姑)に尋ねると
「着替えなど持っていかなくっても良い、バスタオルも使わない。」と言って聞き入れません。
園の決まり、ということが理解できないようです。
その上、着替えなど、すぐには取り出せないようでした。

その場は何とか探して持たせたのだったと、思います。

それからです、ハハ(姑)ンチの断捨離が始まったのは、そして段々とハハ(姑)の言動に違和感を感じるようになったのです。

ハハ(姑)が出かけた後、箪笥や押入れを探し、片付け始めたのです。⇒ 

そんなわけで、ハハ(姑)ンチの断捨離は早い時期に終了しました。 

都忘れ、チョッと色づき始めました。


ハハ(姑)が亡くなった後、私が買った衣類はリユースに使ってもらい、 
家具その他は、夫・義妹・義弟たちの思い出の物たちなので
そのまま、残しています。欲しい物があれば持って行ってくれるようにとも言っています。

別居だったので、この3人以外には思い出もない物たちでしょう。

この後の断捨離は、息子たちに丸投げです。 

 

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料理≪インゲンの花≫

2015-09-02 13:08:39 | 認知症

インゲンの実が付いてる~~♪

今日も晴れました。8時過ぎ頃からだったでしょうか?隔日の晴れ間です。
昨日の分と今日 洗った分が竿に棚引いています。

納屋と家の間を雨よけの屋根をかけています。その下のコンクリがヌタの様なもので覆われています。
 
昨日雨の止み間にデッキブラッシで擦ってみましたが、、スッキリしません。
今日は水を流しながら やると、ようやくコンクリらしくなってきました。

随分 日が上がって、蒸し暑いけど、、野菜も見ておきたいし、、生ゴミも捨てに行くので、
だったら、と、
チョッとだけ畑に行って来ました。1時間。気が済みました。



また、認知症の話しです。料理編。

体操クラブは、少しでも長く健康な生活を維持できるよう 体力作りを目的にしたクラブです。
なので、普段の運動のほかに、年に一度 料理教室も開かれます。
カロリーの少ない栄養はある、減塩など、健康づくりに配慮したメニュの他、簡単に短時間に作る工夫も盛り込まれます。
そして、自分で作ることを薦められます。それは、献立を考える、手順を考えながら調理することが、脳トレになるのだそうです。

調理の作業も、まず立っています。僅かではあっても動かねばなりません。

けど、体力が落ち、調理することが苦になったら、
インスタント・レトルト・冷凍などの食材を使いことも良しとしましょうと言われます。全く作らないよりマシって、ことでしょうか。

ハハ(姑)は、料理自慢でした。自分で料理上手と言って、はばからない人でした。 
そんなハハ(姑)が作るのを面倒がり、 惣菜を買うことが増えたようでした。
作ろうという、意欲がなくなったのだと思います。チチ(舅)がなくなってからは、なおさらだったようです。
誰かのために作らねばならない。って、状況も、良いことかも知れません。

鍋を焦がす事も増えました。
火をつけたまま、その場を離れるんです。集中力がなくなるのでしょうか?

こうして書いてきて 思い出したのですが、もう随分昔の事です。
ハハ(姑)は元気で活動的でした。20年以上も前だと思います。

ハハ(姑)の得意な寒天のお菓子、沢山作って配ってくれるのですが、

その日のものは、甘すぎて食べられないのです。捨ててしまおうかとも思ったのですが、
寒天を足して炊きなおしたのですが、、甘さが薄まらず、更に寒天を追加した記憶があります。

ですから、チョッと分量を間違えたレベルではなかったのです。
その後、ハハ(姑)からの寒天が届くことはありませんでしたが、料理は苦にする様子もなく、していました。

先日の記事のコメントに、症状は日によって、時によってムラがあるものと仰ってましたが
そうなのですよね、私達も、このときは偶々って、思っていました。

認知症を疑うのは難しかったとも思います。今だから、言えることです。
 


 

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認められない≪コニシキソウ≫

2015-08-31 14:49:08 | 認知症

今日は雨の予報でしたが、晴れています。
空模様が気になりながらも、洗濯物を干し、畑の草引きです。
目標が近づき、楽しくなっています。

今日は楽しくない話題で恐縮ですが、苦手な方はスルーしてください。私自身の無知の反省文です。


小さな花と実が見えますか?

テレビで、家族に認知症患者の居られる お医者様のお話がありました。

認知症の確定は難しいと言います。本人には解らないと言いますが、「そうでは無い。」と仰います。
自分でも自分のことが、変である。行動に自信が持てないなどの自覚がある。そうです。
自分で自分が変?って感じる事は、さぞ不安な事でしょう。

ハハ(姑)も、「このままだと変になる。家にばかり居たらいけない。デイサービスに行く。」と、言い出したのです。
不安な思いで、どうにか解決を、、でも認知症と認めたくない。ましてや家族に、そう思われたくはない。
一人悶々としていたのだと思います。

それまでハハ(姑)との付き合いを出来るだけ避けていました。そのいきさつは後日、
絶ったのではなく、出来るだけ、係わらないでおこう、行く度、悔しい思いをしていましたから、、

そんな中、不思議と思うことが増えてきました。

今までは、義妹にもとハハ(姑)に言付ければ、義妹が立ち寄った時に渡してもらえたのです。
義妹に、ついでの時にといっておけば、買い物などのついでに寄るなど、、それで済んでいました。
それが負担になったようなのです。義妹から、「直接貰いによるから、預けないで、」と言われました。
それが、どんな状態だったのか、深く聞くこともしませんでしたが、何故?でした。

今思うと、預かった事を忘れてしまう、覚えていられない。義妹が取りにきても思い出せない。
預かったものを見ても、なんなのか?何故ここにあるのか解らない。
覚えてる自信がなくなって、不安で仕方なかったのでしょうね。

掛かってきた電話に出られなかった。と、我が家からの電話では?と確認の電話が頻繁になりました。
義妹宅には勿論、他の親戚にも確認の電話をするようになったのです。

で、着信記録が付いた電話に換えしました。
けど、使い方を覚えられない。 これは、たんに機会に弱いと片付けておりました。
で、家にいることの多い私が、その都度呼びつけられ、着信記録の確認をするのですが、
ずっと、着信は無いのです。
私達もですが、たぶん義妹たちもハハ(姑)に電話しないようにしていました。
もし行き違いがあって、ハハ(姑)を不安にさせてはいけないと思ったからです。

「着信は無いようですよ。」 と、言っても、ハハ(姑)は納得せず、私が操作出来ないからと決め付け、
「どうせ解らんと思た。」の捨て台詞、
呼びつけられ、叱られたのでは、私にしても不愉快です。
『思ったんだったら、呼ばなきゃ良いでしょ』って、心の叫びです。認知症や幻聴などとは思いも寄りませんでした。

ちょうどハハ(姑)ンチの勝手口で立ち話中、電話が掛かってきたことがありました。
ハハ(姑)に、「電話ですよ。」って、言っても聞こえないようなのです。不思議な顔をして出ようとしません。
仕方がないので、私が駆け込んだのですが間に合わなかったことがありました。
この音が聞こえないの、、、どういうこと?

ハハ(姑)はハハ(姑)で、確かに聞いた電話が誰のものか解らず、掛かってもいないと言われ
たぶん、自分ではすぐに出たつもりの電話も応答がないってことが度重なっていたのでしょう。
だったら不安ですよね、だから、あんなに、しつこく掛けた先を調べようとしたのだと納得できます。

更に、その医師の話し、
そんな自分の行動を隠そうとするのだそうです。

その点も納得できます。私が操作を知らない所為と決め付ける事で自己防衛してたのでしょう。

その時、もっと認知症の知識があれば、「私が掛けたけど、大した用事じゃなかった。」とか、
「知らない番号だから、間違い電話でしょう。」とか、、言ってあげる知恵があれば、

少しは不安を取ってあげられたのに、と思ったのでした。





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コメント (10)

共に生きる≪ダンゴ菊≫

2014-09-04 13:28:30 | 認知症

お友達が、お花を持って茶道教室に来ます。教室で使うには余るほどたっぷり、
それぞれ頂いて帰ります。
お友達は、この花の苗を貰ったときから、名前は解らないそうです。
調べてみるね。と、貰ってきました。キク科でしょう。と、当たりをつけ、
≪ダンゴ菊≫らしいと判断。花芯がダンゴのようだと言うのです



現在の病院に入院してから、週に1度、見舞いに行っています。

寝たきりになってしまいましたが、身体は動かします。

話は、、、殆ど解りません。

でも、穏やかな表情でいてくれるのが救いです。

ただ、変わりないことを確認するだけの見舞いです。

行く度、考え込んでしまう私でした。
この状態、ハハ(姑)は、今どういう状態なのか?

何も解らないのじゃないか?

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認知症だと確信するようになり、ハハ(姑)の言動が理解しにくいものになりました。

今だってそうなのでしょう・・・
孫(私の息子H)の事も、タイミングよく認識でき、訪問を喜んでくれた。

何かのヒントで法事のことを思い出した時に孫夫婦が見舞いに行ったのでしょう。

孫嫁を自身の娘と勘違いし、孫を医師と見間違える。それを訂正しなかったそうです。
良かったと思います。

訂正されたら、ハハ(姑)の頭の中の孫の引き出しを探し出すのは、困難だったでしょう。
きっと、パニックになったでしょう。
今度、引き出しが開いてる時に行けたら良い。行けなくっても良い。

今、ハハ(姑)はハハ(姑)のペースで、日々を送っているのでしょう。

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見舞いに行き、寝たきりのハハ(姑)を見ると、、ソラジは生年月日を
父母の名前がわかるかと聞きます。串本節、歌ってみるか?

ハハ(姑)がはっきり覚えていたのは、生年月日と父母の名前でした。
そして、驚くほどシッカリ、串本節を歌ってくれたことを、ソラジは、もう一度
今日こそはと思うのでしょう。

けど、ハハ(姑)は質問に答えることが出来ません。歌えません。
うるさく質問してくる、どこかのおじさんに閉口しているようです。
優しく頭を撫で、元気か?と聞いてくれたけど、もう帰って、、、と、言いたげです。
そんなやり取りを見るのも辛いです。



帰りの車の中で、
きっと、オバアチャンは尋ねられたことが解らなかったんだと思う、
答えられないことを質問されて、知らないっていえない性格はそのまま、
きっと、負担になったんでと思う。
「だから、もうオバアチャンに質問しないであげて、話してくれたら、頷き、
話さなければ、そのまま帰ってくれば良いじゃない。」

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ハハ(姑)は、決して寝たきりじゃないのです。何かを考え、何かをしてるのです。
何を考えてるのか、他の誰のことだって解りません。
それぞれ、生きているのです。私だって、日々悩んだり喜んだりしています。

そう考えたら、気持ちが晴れました。精一杯生き抜いてもらいましょう~~




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宵っ張り≪ニゲラ≫

2014-06-02 17:18:03 | 認知症

チチ(舅)が倒れ、1ヶ月あまりの入院で逝ったのは、ハハ(姑)が70半ばでした。
子供たちがそれぞれ独立し、姑を見送って2人暮らしでした。

今後どうするって相談をソラジたち兄弟とハハ(姑)とでしました。
私はハハ(姑)の気性を考え、参加しませんでした。

我が家に近く、同じ地区に義妹も住んでいました。
義妹は、時々ハハ(姑)を尋ねていたようですし、買い物や趣味の俳句の会への送迎もしてたようです。

ハハ(姑)はこれまでどおり、二人で暮らした家で暮らすことになりました。
そして、ソラジは毎晩、ハハ(姑)のところに通うようになりました。

たまに、ソラジが行くのが遅くなると何かと口実をつけて呼びつけていました。
そんなときは、ソラジが疲れて休んでる時であり、休ませてあげたい私は、
たまに、行かない日があっても良いんじゃな い。と、不満に感じていました。

当時 飼ってた犬の散歩も負担になると言い出し、
決まった時間に行けないソラジは私にその役を振りましたが、ハハ(姑)はそれが不満らしく、
毎日、毎日、散歩に行く度に、お小言です。まるで、駄々っ子のような、お小言です。
それでも、やってくる私に、業を煮やして、義妹や姪に行ってほしいと頼んだようですが、、
彼女たちも、毎日は辛いといいます。そして、また私が行くことになります。
小言を聞きたくないので、ハハ(姑)が留守でありますようにと祈り、
犬の散歩以外にはハハ(姑)を尋ねなくなっていました。

でも義妹の都合が悪く、何か用事があるときは、、電話がかかります。
私が気を使う必要は無い。と、感じていました。

時々、夜中にやってくることがありました。特に用事があるわけではなく、、、です。

ハハ(姑)は、宵っ張りです。 その延長で?と、思っていました。

入院して、環境の変化にパニックに陥り、一気に認知度が進んだハハ(姑)を見て、
あの頃、一人寂しい夜を過ごすたびに、ハハ(姑)は不安だったのか、と、思うのです。

何かに夢中になって夜更かしするのではなく、眠れない夜は要らぬ考えが襲います。
眠れぬまま夜を過ごし、朝、誰にも起こされること無く、昼近くまで眠る。
その日もまた、夜になっても眠ることは出来ず、そんな日々を過ごしていたようです。
私はもちろん、そんなハハ(姑)の不摂生な生活を咎める人は居ず、気まま過ぎるハハ(姑)の毎日でした。


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