最近読んでいる書物や記事にpious fraud という言葉が出てきた。「敬虔なる虚構」とでも訳せる一種の最近創り出された神学上の術語である。それが旧約聖書の申命記にも当てはまるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/68/650ed72cd932e93b3385c32f72802b4d_s.jpg)
[書記官シャパンがヨシア王に主の宮で見つけた律法の書を読んでいる。列王後22:10。]
ユダ王国の善王として知られるヨシアは、宗教改革に乗り出しその過程で律法の書を神殿で発見する。そして改革を更に推進することになる。発見された巻物の内容は申命記の中心部分をなすものである。それで発見したというよりヨシア王がある種の「敬虔なる虚構」(pious fraud) として創作したのだ、とする説が19世紀初め以来提出されていて、今日ほとんどの学者の間で最も有力な説として受け入れられている。この説の支持者は祭儀に関して罰則規定が欠如していることとただひとつの聖所を重視している点をあげている。(Wikipedia English)
「この発見に関してなぜヨシヤ王と祭司ヒルキヤは女預言者フルダにのみ書物を見せ、同時代のもっと有名な預言者エレミヤとゼカリヤに見せなかったのかという非常に重要な疑問が生じる。これに対する従来の解答は、ゼカリヤは病気であったから、エレミヤは遠出していたからというものであった。この疑問に答えて、現代の研究者たちは次のような見解を示す。すなわち申命記は発見されたのではなく、中央集権化を狙ったヨシヤ王とヒルキヤの政治的意図に基づいてでっち上げられたものであり、2人は『申命記』をモーセ五書に加えることでモーセの権威を付与したのだという結論で一致している。だからこそ2人は『申命記』を在野の預言者たちには見せず、息のかかった女預言者にのみ見せたのだ」、ということである。(Wikipedia 日本語。一部引用のため表現を変更。)
この「敬虔なる虚構」(pious fraud)という言葉がモルモン書についても適用されるとダン・ボーゲルの著、リチャード・L・ブッシュマンの著(言及の形)に現れ、プライスの記事では書物が発見されたという点でも共通するとしてモルモン書を申命記的特性を持つ経典と述べている。プライスによれば、モルモン書は、徳性を養う目的で伝説的歴史を編纂した後期預言者の類型に属し、捕囚のユダヤ人が編集した申命記的歴史(ヨシュア、士師、サムエル記、列王紀)に連なる。モルモン書は古代アメリカの一種申命記的歴史であり、聖書の歴史を今日まで引き延ばしつなごうとする試みである。
資料:
http://en.wikipedia.org/wiki/Deuteronomy 8月/7/2010 access
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B3%E5%91%BD%E8%A8%98 8/7/2010 access
本ブログ 06/3/1 神学者が見た「聖書の読み方」
09/6/12 モルモン書を偽典と見なした学者たち
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[書記官シャパンがヨシア王に主の宮で見つけた律法の書を読んでいる。列王後22:10。]
ユダ王国の善王として知られるヨシアは、宗教改革に乗り出しその過程で律法の書を神殿で発見する。そして改革を更に推進することになる。発見された巻物の内容は申命記の中心部分をなすものである。それで発見したというよりヨシア王がある種の「敬虔なる虚構」(pious fraud) として創作したのだ、とする説が19世紀初め以来提出されていて、今日ほとんどの学者の間で最も有力な説として受け入れられている。この説の支持者は祭儀に関して罰則規定が欠如していることとただひとつの聖所を重視している点をあげている。(Wikipedia English)
「この発見に関してなぜヨシヤ王と祭司ヒルキヤは女預言者フルダにのみ書物を見せ、同時代のもっと有名な預言者エレミヤとゼカリヤに見せなかったのかという非常に重要な疑問が生じる。これに対する従来の解答は、ゼカリヤは病気であったから、エレミヤは遠出していたからというものであった。この疑問に答えて、現代の研究者たちは次のような見解を示す。すなわち申命記は発見されたのではなく、中央集権化を狙ったヨシヤ王とヒルキヤの政治的意図に基づいてでっち上げられたものであり、2人は『申命記』をモーセ五書に加えることでモーセの権威を付与したのだという結論で一致している。だからこそ2人は『申命記』を在野の預言者たちには見せず、息のかかった女預言者にのみ見せたのだ」、ということである。(Wikipedia 日本語。一部引用のため表現を変更。)
この「敬虔なる虚構」(pious fraud)という言葉がモルモン書についても適用されるとダン・ボーゲルの著、リチャード・L・ブッシュマンの著(言及の形)に現れ、プライスの記事では書物が発見されたという点でも共通するとしてモルモン書を申命記的特性を持つ経典と述べている。プライスによれば、モルモン書は、徳性を養う目的で伝説的歴史を編纂した後期預言者の類型に属し、捕囚のユダヤ人が編集した申命記的歴史(ヨシュア、士師、サムエル記、列王紀)に連なる。モルモン書は古代アメリカの一種申命記的歴史であり、聖書の歴史を今日まで引き延ばしつなごうとする試みである。
資料:
http://en.wikipedia.org/wiki/Deuteronomy 8月/7/2010 access
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B3%E5%91%BD%E8%A8%98 8/7/2010 access
本ブログ 06/3/1 神学者が見た「聖書の読み方」
09/6/12 モルモン書を偽典と見なした学者たち
研究者について: あるテーマについて学ぶうちに関連してある事柄にも多少時間を割くことがあると思います。プライス氏の場合、福音主義派の会員であったのが批判的聖書学の専門家になり、その過程でモルモン教が該当する場合に気づいて記事を書いたというわけです。ファンではないと思います。そもそも彼の指摘はlds全般にとって嬉しくない内容であろうと思います。
ところでこの記事に珍しい数のコメントが寄せられ嬉しいのですが、この辺で終わりとさせてください。
>実は、アダムの時代は今から29万年前の古代シュメール時代の最初の王(エリドゥ王アルリム)の時代なのです。
救い主が実在なら、ご自分の家族歴史でもしっかりやってたほうが。とってもいい。
聖書の目的の1つは、
聖書で神が示す預言が
時代を通して成就することで、
聖書で述べられている神が誠の神であることを
人々に解らせるためである。
もう1つは救い主(救世主)実在である。
筆者が誰だろうが、著者が誰だろうか、
を考える前に聖書とは何ぞやで考えた方が
良いかも知れませんね。
物事を信じる信じないは、聖霊による判断も1つの方法です。
聖書のように、言語霊感・十全霊感の整った1冊にまとめられた書物は、人類最大の宝です。
聖書解釈は簡単な者ではありません!
例えば
アダムの時代は今から何年前かと調べると・・・。
実は、アダムの時代は今から29万年前の古代シュメール時代の最初の王(エリドゥ王アルリム)の時代なのです。
ブーブー言ってる。に等しい。
もうちょっと、『ごもっともです』な言葉が欲しいぞ。よ
>後は、信仰上・・ということなるでしょうね。
美らさんが、モーセについて歴史的検証を試みたとは、とても思えません。
モルモンの多くは、モルモンのテキストを鵜呑みにしているだけで、その内容が正しいのかどうかを調べる人はほとんど居ません。
思い込みじゃなくて、事実について話したいと言う気になったら、お話しましょう。
たぶん次の世でしょうね・・・・
>「私はこう信じますが、根拠は有りません、信仰上の問題です。」って言った方が潔いと思いますが。
賢い答え方ですね。
でも、やはり納得いくまで調べたいというのもある。
後は、信仰上・・ということなるでしょうね。
ありがとうございます。
末日聖徒じゃなくても、研究はできるぞ。よ。
~゜・_・゜~ 汗タラリ~~。
高慢という言葉を見ると、・・グサッです。
悔い改めの連続・・。
私は心配です! でも、主は心を見られる御方ですから場合によっては大丈夫かも。
この話も、モーセが旧約聖書の冒頭の著者だと言うのも、同じレベルの話ですね。
信じたい方は御自由に・・・。
http://www.hodatsushimizu.jp/webapps/www/section/detail.jsp?id=100
いえいえ、研究者はその対象が好きだから研究するのだと思いますよ。
星が好きだから星の研究をする・・・
モルモンが好きだから、モルモンの研究をする・・・。
最近高齢者の存在確認の記事をよく目にしますが。
存在しない事を証明するのは、非常に難しいものです。と言うか、不可能です。
ですから、「存在しない事を証明しろ」とは言わないで下さい。
私は、「存在すると言う証明が無いので存在しないだろう」と考える人間です。
モーセが存在したと言う証明はあるのですか?
私の知る限りでは、モーセが存在したと言う証明は有りません。ですから、モーセ五書も書けるはずが無いのです。
もっと簡単な検証方法は、その内容がモーセが書いたと言う事に矛盾しているからです。
申命記にはこう書いて有りますね。
モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。
イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。
自分が死んだ後の事をどうやって書くんですか?
信じるのは自由ですが、事実かどうかを云々するのでしたら、自分自身で確かめる事が重要ではないでしょうか?
あさりと「私はこう信じますが、根拠は有りません、信仰上の問題です。」って言った方が潔いと思いますが。
カソリック以外では宗派間の教義論争が絶えないとか言うのは、なるほどこれがそうなのかとパソコンの御前で納得しました。
見栄えの良い議論とはかけ離れてますが、キリスト教の歴史を観ればこれも簡単に納得します。
モルモンに入信するのも○○教団○○教会とやらに入信するのも考え物?さほど考えなくても宗教なんて入信するもんじゃないです。浄霊前の墓場の住人になっちゃいそうで怖いです。
Qこういう人が王の婚礼に招かれても外に出される人になるのかな?
A 墓地に住んでるから招かれないです。
管理人への嫌味ではありません
ありがとうございます。
編集以前の元々はモーセが書いたものだということは事実だということになりますか?
後に人が手を加えるのはありうることだと思います。
例えば、創世記12章付近までは、歴史的史実ではありませんよ!彼等の信仰の書・律法の書なのです。
5書は著者がモーセで筆者・編纂者がユダヤ教の然るべき方々ですよ!
『ヨハネによる黙示録』だって、著者が書いていないのに、著者が使徒ヨハネ、筆者がプロコロス(ヨハネの弟子)となっているのです。
聖書って、神からの霊感によって書かれた複雑な書物なんですよ!
http://kokorowosukiruappu.seesaa.net/です。
>┼○ バタッ
(・・?)ナゼ
バプテスマ 受けたら 会員なだけ
ってのが根底にありまして。
そして、バプテスマは入り口ですから。
更に色々な会員もいます。から。
あはは
忘れていました。
良かったらどうぞ遊びに来てくださいね。
わたしのサイトURL
http://kokorosukiruappu.seesaa.net/
お返事下さり、心から感謝しています。
>Unknown って(動かない顔文字)の事ですか?
タイトルがないからUnknownだと思いますが・・。 動かない顔文字はお名前がないからではないでしょうか。
末日聖徒の方ですか?
>私の記憶では、モルモン書はジョセフ・スミスが翻訳したものであって、神さまやモロナイからは受け取っていないと。。。
>金版はジョセフ・スミスが穴から取り出したと思ってます。が。違っていたら教えて下さい。
神の使い天使モロナイの訪れを受け、金版のある場所を教えられて、ジョセフ・スミスはその場所に行って、金版を取りだして、神の力によって翻訳したというのが、ジョセフ・スミスの証言です。 わたしはジョセフ・スミスの示現に関することを信じているので彼の証言もすべて信じられます。
通常、聖書学者でも翻訳するのに一日一ページのペースでしか、翻訳を進められないそうです。ジョセフ・スミスは家族の生計を助けるために、小学校までの学問しか持ち合わせていないかったのですが、一日十ページの翻訳したそうですから、人の業ではないことは確かだと理解しています。また、ジョセフ・スミスは翻訳のさい、読みの直しも、書き直しもしなかったそうです。
それは神の力を受けずには出来ないことではないでしょうか。
今度、わたしのブログでジョセフ・スミスの示現と歴史を了解を得て紹介できればと考えています。
宜しかったら、ご訪問してみて下さいね。
Unknown って(動かない顔文字)の事ですか?
タイトル入れないとUnknown ってなるんですね。
私の記憶では、モルモン書はジョセフ・スミスが翻訳したものであって、神さまやモロナイからは受け取っていないと。。。
金版はジョセフ・スミスが穴から取り出したと思ってます。が。違っていたら教えて下さい。@@
>モルモンのテキストでは、未だに、「モーセ五書はモーセが書いたもの・・。」等と教え、それを信じている会員も少なくない。
>事実で無い事を、事実だと信じないと成り立たない教義ってね・・・。
モーセの5書は、モーセが著者だと信じている一人です。
ニーファイもそれについて触れていますし、それが事実でないというなら、ニーファイの記述も間違いということになりますね。
モーセが著者だということが事実でないとおっしゃるなら、その根拠を詳しく教えてくれませんか?
宜しくお願いします。
それはモロナイから直接受け取ったという意味ですか?それともどちらも違うということですか?
そうでしたら、その根拠を教えてくれませんか?
理由がなく、そうは言えませんから。
宜しくお願いします。
Σ ゜ロ゜≡( ノ)ノ
モルモン書は神から直接受け取ってない。( ´艸`)
宗教は科学ではなく、人の生き方、幸せを扱うものであると私は受けとめています。
徳性を養う・・・?(笑)
ファンとはありがたいもので、何とかしてその対象が成り立つように応援してくれます。
ところが、当の本人達が、「モルモン書は、神から直接ジョセフスミスが受け取った・・」って事を譲る気配は無い。
つまり、せっかく擁護しようとしても、逆にそんな事実はない!!と叱責されるのが落ちですな~・・。
モルモンのテキストでは、未だに、「モーセ五書はモーセが書いたもの・・。」等と教え、それを信じている会員も少なくない。
事実で無い事を、事実だと信じないと成り立たない教義ってね・・・。
「申命記」はBC561~BC538に編集がなされた書で、ヨシア王のBC622年にエルサレムの神殿修復時に発見された書である。(列王記下22章8節・23章2節21節参照)
また、1章1節~4章43節・32章・33章付近は加筆と見なされている。
「申命記」とは再び命じると言う意味で、ユダヤ教の信仰者の志気向上のために、筆者がモーゼの著作であるかのように創作したとも言われている書である。
申命記を含め旧約聖書は、ユダヤ教が口伝や伝承・タルムード等を用い編纂し、完成させた書物なので、成り立ちについてあれこれイチャモンは付けたくありませんが、「創作・加筆」は聖書解釈を行う上で重要なポイントとして取り扱わなければならない部分であると言えますね!