パレスチナ人の窮状を聖公会の牧師が訴える
・・ナイム・アティーク著「サビールの祈り」
著者アティーク عتيق はガリラヤ湖から少し南、ヨルダン川沿いの町に生まれたパレスチナ人キリスト教徒で、エルサレム・中東聖公会の司祭である。彼自身1948年イスラエルの占領によりナザレに難民として移住を強いられている。アティークはその境遇にあって読者に証言し訴えている。サビール السبيل は「道」という意味である。
旧約には理解に苦しむ記載があり、戦争の神なのか、一部の人々のための神なのか(排他的)という問いが生じる。そうではないはずである。イエス、パウロ、ヨハネはヘブライ語聖書を再解釈し、包括的・平和の神を提示している、と言う。
しかし、今日次のような現実が見られると指摘する。
「欧米の宣教師の多くがシオニズムにきわめて共感的であり、ユダヤ人の祖国への帰還*という考えを支持していたのではないか。おそらく彼らはパレスチナ・アラブ人の政治的状況についてあまりにもナイーブか無知であった。」p. 27.
(*エーリッヒ・フロムは、もし全ての民族が、祖先が2千年前に住んでいた領土に対する所有権を突然要求すれば、大混乱に陥り、現実主義的ではない、と書いている。p. 59.)
「今日未だに古ぼけた部族的神学にしがみついているユダヤ人や欧米のキリスト教シオニストたちがいる。そうした神学は極端な形を取ると、パレスチナ人に対する暴力的行為と残虐な犯罪となって現れる。」p. 130.
この本の副題に「パレスチナ解放の神学」とある。ここで言う解放の神学とは、特定の状況、特に抑圧と苦難、不正義が長く支配しているところに、預言者のように状況に合わせて語る一つの方法である、と説明している。p.32.
私は日頃からパレスチナ人の置かれた窮状に心を痛めているので、エルサレムの聖公会が「サビール」の運動を推進していることを知って嬉しく思い、この著書の内容に賛同するものである。
それはそうでしょうけど。。
キリスト教国のユダヤ人に対する禊(みそぎ)みたいなのもでしょう?
それにイスラエルもいわゆるガザ地区も極小。
対してパレスチナ人の住める地域は宗教的傾向から言えば広大。
何でしょうねー。アラブ人もユダヤ人も文化的にも学問的にも優秀。
日本人の「傘かしげ」的知恵で何とかならないのでしょうかね。
いわゆる江戸しぐさは捏造の産物ですよ
ある宗教団体の「全ての人は神の子であり兄弟姉妹である」と言う教義は一見すると普遍的で、こうした問題の解決の糸口になる可能性があるように思えます。
が、実際のところはその教義を持っている団体は、団体の幹部に従わなければ破門、同性愛は罪、その団体の認める結婚を行わなければ来世では永遠に孤独に過ごさねばならないという恐ろしいものでした。
どこの団体とは申しませんが心当たりのある場合は速やかなる改善がなされるようお努めいただきたく願います。
宗教は政治に利用されただけ、とは申しませんが、宗教指導者と、政治家が作り出した問題により、庶民が迷惑をこうむっているように思えます。
東京でも、埋め立て地が、大田区か江東区かでもめてるようですが、住民にとってはどうでも良い話じゃないかと想像します。税収をどっちが取るのか?の問題かと。
現在の日韓関係も、宗教ではありませんが、双方のメンツの問題で、一部の政治家や論客がそれをあおっているように感じます。
キリストの教えが、人間のエゴを排除する事だとしたら、国家や地域的なエゴも排除する方向に向かってほしいと思います。
モーセも、マホメットも、キリストも、人間社会の秩序の維持にとって何が大切なのかを説いたのではないかと思っています。(実際のところはよく知りませんが)
パウロが、信仰よりも愛が大切だと言ったのは納得が出来ます。
政治家は、国民の命より、自国のメンツが大切なんでしょうが?
>パレスチナの問題は、政治の問題だと思っています。
中東は聖書の世界観から進歩していないように見えてしまいます。
懲りない面々国々。
>現在の日韓関係も、宗教ではありませんが、
ドイツとは逆のパターンでワンコリアを目指している感じ何でしょうが、
在韓米軍も首都ソウルにはもういないそうで、中ロ韓VS日米台の構図に変化しそう。
以前からなにも反日国家と付き合わなくても思ってましたが、
中華の代わりにインド、コリアの代わりに台湾と八紘一宇を目指せば良いのではと思います。
>パウロが、信仰よりも愛が大切だと言ったのは納得が出来ます。
そんなこと言ってました?
むしろ信仰と愛は同じこと。とパウロは説きたかったのではと思います。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。
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最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと同じ。
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パウロもこの言葉を念頭に置いて福音を語っていると思います。
>そんなこと言ってました?
1コリント13章
オムナイさんは、相変わらず、「やかましい鐘や騒がしい乳鉢と同じ」?
さすが!まぁそこだろうなとは思ってましたけどw
豚師匠は最近聖典を読み込んでいらっしゃる様子。
見習いたいと思います。
>「やかましい鐘や騒がしい乳鉢と同じ」?
www
ニョウハチ?ってやっぱり口語訳は変更時期ですかねぇ。
オムナイほど愛の深い偽預言者いません。と自負してます。
言うなればアルミナ乳ばちですぅ。
それと同じ理由で伝統的なクリスチャンはモルモンに対して「なにも異端宗教と付き合わなくても」と思ってるんでしょう
神の愛を語るその口から憎しみと排斥の言葉もまた出るのですね