日本の末日聖徒(モルモン教会会員)は、集会で互いに会う時習慣的に握手をする。これは日本の社会では珍しく、初めて接する人には奇異に見えるが教会に出席し始めると慣れてくる。では、ハグ(ハッグ、抱擁)はどうだろうか。ハグはさすがに末日聖徒の間でもまだ日本ではたまにしか見かけられない。それでも、若い世代、特に帰還宣教師の女性同士やアメリカ帰りの会員に時折り見かけられる挨拶である。これは今後広がっていくのだろうか。
まず、握手であるが、アメリカから持ち込まれた習慣で、違和感を感じることがある。私も一時広島にいた時握手は日本の習慣にないと、握手なしですませようとしたことがあった。事実、アメリカでは必ずしも礼拝の集会に行っても入口で握手されるとは限らないという指摘がある。親しみを感じる時、意気投合した時、別れの時、何か約束をした時などに自然にするものなのだろう。日本人も社会でする場面が増えている。教会でも自然にそうしたい時に、そのような相手に握手すればよいのであろう。相手から手を出された時には自然に応じるようにしている。
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次に、ハグであるが、これこそ日本の習慣にない文化である。ある時北海道で伝道部長をしていた昔の宣教師(米人)に会った。出会った時に相手は両手を広げてハグしようとする気配であった。それに対して私は応じる素振を見せなかったので、相手は引っ込めて普通に懐かしい久しぶりの再会を楽しみ談笑したのであったが、今思えば失礼なことをしたと少々後悔している。このハグを勧めている会員が広島にいることを知っている。また、埼玉県にハグを奨励し、実施しているアメリカ人の監督(元ステーク会長)がいる。実際訪問した時、前の壇上で日本人と、また日本人同士がハグして挨拶している姿が目に入った。
私は握手とハグが挨拶として行なわれるのは、アメリカ的な末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教会)の特徴の一つであると思っている。普及を望んでいるわけではないが、自然に任せるのがよいと思う。ハグは日本でもスポーツ界で見られ、グローバル化した現在時々見かける光景である。私自身も二年間ハルピンで大学生を教えて、最後に別れる時、幾人かの学生とハグをすることになった。(決して私の方からではなく、相手から世話になった感慨を込めて、ないしは自然に双方がもう会うことがない別れを惜しんだ時に出たものであった。)
まず、握手であるが、アメリカから持ち込まれた習慣で、違和感を感じることがある。私も一時広島にいた時握手は日本の習慣にないと、握手なしですませようとしたことがあった。事実、アメリカでは必ずしも礼拝の集会に行っても入口で握手されるとは限らないという指摘がある。親しみを感じる時、意気投合した時、別れの時、何か約束をした時などに自然にするものなのだろう。日本人も社会でする場面が増えている。教会でも自然にそうしたい時に、そのような相手に握手すればよいのであろう。相手から手を出された時には自然に応じるようにしている。
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次に、ハグであるが、これこそ日本の習慣にない文化である。ある時北海道で伝道部長をしていた昔の宣教師(米人)に会った。出会った時に相手は両手を広げてハグしようとする気配であった。それに対して私は応じる素振を見せなかったので、相手は引っ込めて普通に懐かしい久しぶりの再会を楽しみ談笑したのであったが、今思えば失礼なことをしたと少々後悔している。このハグを勧めている会員が広島にいることを知っている。また、埼玉県にハグを奨励し、実施しているアメリカ人の監督(元ステーク会長)がいる。実際訪問した時、前の壇上で日本人と、また日本人同士がハグして挨拶している姿が目に入った。
私は握手とハグが挨拶として行なわれるのは、アメリカ的な末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教会)の特徴の一つであると思っている。普及を望んでいるわけではないが、自然に任せるのがよいと思う。ハグは日本でもスポーツ界で見られ、グローバル化した現在時々見かける光景である。私自身も二年間ハルピンで大学生を教えて、最後に別れる時、幾人かの学生とハグをすることになった。(決して私の方からではなく、相手から世話になった感慨を込めて、ないしは自然に双方がもう会うことがない別れを惜しんだ時に出たものであった。)
豚が感染症になると死活問題ですからね・・。
みなさん、握手する前後に手を洗ったり、消毒したりしてるのでしょうか?
インフルエンザの流行期には、握手も感染の原因になりますよ。
皮膚病とかも感染しますしね~・・。
それと、男性から女性に握手を求めるのはマナー違反なんじゃないですかね?
握手するのが男女の場合、女性から手を差し出すのがマナーだって聞いた事が有りますけど?
それと、自分が座っているときは、ちゃんと立ち上がってから握手するべきじゃないかと・・・??
個人的には、日本には「会釈」と言う素晴らしい習慣が有るのですから、握手はアメリカ好きの人たちだけでやって欲しいです。
男性から女性には慎んだ方がよいと私も感じます。そして一般に女性から男性に握手を求めて手を出すことも少ないように思われます。結局男性は女性には握手するより会釈や言葉で挨拶するのが自然であると思いますね。
よく指導者を見ていますと彼らは握手やハグの以前に、満面な微笑みがあります。それがあっての握手やハグだから不自然な感じがしません。
微笑みのなく握手やハグなら少し不気味な感じがしますよね。思いの根底にあるものが形になってこその態度の現れだと思います。
先日、職場の同僚を初めて聖餐会にお誘いした時に案の定、彼は握手責めに合いました。礼拝堂に入る前に私も彼に予告はしていましたが、最初は戸惑っていました。
後で彼に聞くと、握手よりも彼らの微笑みがとても気に入ったと言っていました。時々、ユニットの目標に「すべての人に微笑みを」などのコピーを聞いたりしますが、兄弟姉妹の福音を分かち合いたいという思いが微笑みとなって、握手やハグにつながるのであれば、何ら違和感を感じないと思います。
無表情で握手されるほうが嫌悪感を抱かせるかも知れませんね。
経験談を書いていただきありがとうございます。上位の指導者から100%ハグされる、と書いておられましたので、驚きとやはりという気持ちがしました。
Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の要素も働くと思います。要人同士がハグで挨拶するのはそれに該当するでしょうし、教会の上部の会合もそうかもしれません。・・それに村上会長さんの雰囲気はハグ大丈夫の雰囲気ですね。笑。
さて、私の明日から1週間の訪米はどうなるでしょうか。孫娘の高校卒業式、モルモン歴史学会に出席し、米国に嫁いだ次女に会いますから自然に、積極的に?
数年前に同性愛について書かれていた記事の中に、
「唯一の例外はモルモン教会で当初慎重であったが結局ブッシュ政権を支持するに至り」
とあったのですが、どういった形で教会がイラク戦争を支持したのでしょうか。教えてください。
こういった過去の記事に関する質問は、過去の記事にコメントとした方がいいのでしょうか。
娘が上海の高校に残ることになり、会員の家に数カ月預けることになりました。私たちがその家族の家出娘と別れるときに私は娘に対して声をかけるだけでした。そして、チャイニーズアメリカンの奥さんとシンガポール人の方から、なぜハグしてやらないのかといわれました。そして、それは日本人の文化には無いものだと説明すると、末日聖徒の文化にはあるといわれました。
しかし、娘はわたしにハグをされそうになると逃げます。
私はハグは向こうからしてくれば応じますが、私から進んですることはありません。
日本人女性たちがハグしている光景を見ますが、私は苦手です。
最近、教会では神権指導者でも女性にはハグしないというのが方針になってきてるようで、残念でならない。そもそもHugにセクシャルな意味はない。それを禁止したりすることにより、なんだ、やっぱセクシャルなんだと思わせてしまう。人にとって、適切なふれあいと言うのは精神的にも重要なのに。