「キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の知識と英語を身につける」( 石井隆之http://t.co/BCCaqWXS) の冒頭近くに「日本にキリスト教徒が少ない10の理由」があげられている。本格的な研究書というより大衆向けの紹介書という印象であるので、その積りで受けとめなければならない。それでも参考になるかもしれないと思って転載した。

日本にキリスト教徒が少ない10の理由。
1.日本人は改宗を迫る宗教は性に合わない。
2.仏教は日本化したのにキリスト教は日本人に神道や仏教からの改宗を迫る。
3.キリスト教が伝わる以前に仏教という成熟した世界宗教が浸透していた。
4.植民地化されたことがない。
5.江戸時代に禁止された。
6.周囲の人の顔色をうかがう日本では少数派のすることに抵抗がある。
7.信仰より習俗を重視する。
8.キリスト教徒は真面目。日本では真面目だと仲間はずれにされる。
9.一神教的側面がなじめない。
10.価値観が多様化された現代では1つの価値観が大きなインパクトを与えることが少ない。
以上、Twitterで植田真理子さんという活発なtwitterがつぶやいていたのを取り上げさせていただいた。植田さんも「論議を呼びそうな」と断っているように、1から10まで抵抗感を覚えながら読む人が多いかもしれない。しかし、6,8などはつい笑いながら頷いてしまった私である。そうであれば、どの項目も改めてじっくり検討する価値があるかもしれない。2の日本化していない、10の価値観の多様化など。
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石井隆之著、土井清孝監修「キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の知識と英語を身につける」ベレ出版、2011/10/20出版、309頁、\2,100.
植田真理子氏過去tweet.・・http://twilog.org/marikobabel
HP・・http://www.babelbible.net
なお、この植田真理子さんは幾通りかの聖典の読書を日課とし、聖書、外典、異端や他宗の聖典も併せて読んでいて、現在モルモン書も読んでおられる。
著者、監修者紹介
著者石井隆之、筑波大学大学院修了。専門は言語学、言語文化論、日本文化論。近畿大学総合社会学部教授。
監修土井清孝、関西学院大学文学部卒。同大学院文学研究科修了。Pacific Lutheran University 大学院修了。
専門は英語教育、比較文化論。兵庫県立大学教授。

日本にキリスト教徒が少ない10の理由。
1.日本人は改宗を迫る宗教は性に合わない。
2.仏教は日本化したのにキリスト教は日本人に神道や仏教からの改宗を迫る。
3.キリスト教が伝わる以前に仏教という成熟した世界宗教が浸透していた。
4.植民地化されたことがない。
5.江戸時代に禁止された。
6.周囲の人の顔色をうかがう日本では少数派のすることに抵抗がある。
7.信仰より習俗を重視する。
8.キリスト教徒は真面目。日本では真面目だと仲間はずれにされる。
9.一神教的側面がなじめない。
10.価値観が多様化された現代では1つの価値観が大きなインパクトを与えることが少ない。
以上、Twitterで植田真理子さんという活発なtwitterがつぶやいていたのを取り上げさせていただいた。植田さんも「論議を呼びそうな」と断っているように、1から10まで抵抗感を覚えながら読む人が多いかもしれない。しかし、6,8などはつい笑いながら頷いてしまった私である。そうであれば、どの項目も改めてじっくり検討する価値があるかもしれない。2の日本化していない、10の価値観の多様化など。
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石井隆之著、土井清孝監修「キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の知識と英語を身につける」ベレ出版、2011/10/20出版、309頁、\2,100.
植田真理子氏過去tweet.・・http://twilog.org/marikobabel
HP・・http://www.babelbible.net
なお、この植田真理子さんは幾通りかの聖典の読書を日課とし、聖書、外典、異端や他宗の聖典も併せて読んでいて、現在モルモン書も読んでおられる。
著者、監修者紹介
著者石井隆之、筑波大学大学院修了。専門は言語学、言語文化論、日本文化論。近畿大学総合社会学部教授。
監修土井清孝、関西学院大学文学部卒。同大学院文学研究科修了。Pacific Lutheran University 大学院修了。
専門は英語教育、比較文化論。兵庫県立大学教授。
私の経験と言っても、仕事や病気で悩み医師の世話になっている友人の、愚痴や嘆きや悲観論をひたすら聴きます。時には自殺相談と云うのもありました。
彼等は私がキリスト教関係者と知っていますが、宗教の話は一切しません。医療機関や福祉機関の待合室では患者に声をかけられるのが日常的でした。
心が萎えて自暴自棄になって「楽しみは乱交」と言う人もいます。Christian目線で彼等の行いを修正させようなんて考えません。乱交に与らせて頂きますってくらいの、低俗とも言える気持ちで接しないと、信頼なんてされません。
惨めな思いが長く重く伸し掛り、合法違法の境界線を彷徨う人、心を病んで医師の治療を受ける人。そこまで行かなくても重荷を苦労してる人は、荷を降ろしたい。戒めんて不要です。宗教的戒めだけでなく、人が自らを縛ってしまう、要らぬ勤めや真面目さを除去しなければ救いも何もありません。
伝道とか宣教とか布教なんて考えを、捨てて初めて信頼関係が出来ます。何で人を改宗させたがるのか?今ではそんな事を考えなくなりました。
布教に繋がらない事はしないのが、Christianでしょうが、布教が絡むと色々と助けてくれる。モルモン時代には当たり前でしたが、それらを抜きにして、悩める人や重荷を負わされている人の、共闘者になれなければ話になりません。
布教自体は二次的、三次的なものであり、主要な事ではありません。模範を示すとか言いますが、解釈が反キリスト的では、世の光のつもりが、目障りな核爆弾の閃光となり、地の塩ではなく害を及ぼす核廃棄物となります。
イエス君のお友達の顔ぶれを見て、当時の宗教者は彼を嘲笑い見下しました。何故、イエス君は彼等と親しく、彼等に愛され信頼されてたのか。Christianでない人がイエス君に倣ってますので解説不要ですが、反キリストであるChristianには判り難いかも知れません。
Christianが口にするのは裁きの言葉ばかりで、それは独自の戒律を基準にした要らぬお説教です。
天候不順で体調不良気味で、上手くまとめられません。
昔の賀川豊彦や今の大阪あいりん地区の教会ができているのかもしれません。今の中国やインドで見られるかもしれません。
元モルモンさん、もう少し自分の経験を語っていただけませんか。
貴殿らの云う主の御業って何ですか?宣教や伝道なんて愚の骨頂です。いきなり聖書の言葉を語っても、本当に疲弊した苦労している人たちは、そんなの要りませんし頼んでません。
落ちぶれて風俗嬢や売春婦となり自殺願望を抑えきれない悲嘆にくれる人や、違法、合法の境界線を行ったり来たりする人達、こんな人達が生身のイエスの友達です。
モルモンだろうとプロテスタントだろうと、そんな人達と友人関係なんて有り得ませんし、大抵は、そんな人達との関係を切らされます。対応の仕方を教えないし教会自体が、そんな事を知ろうともしません。
大酒飲みの大食漢であり、彼のお友達は売国奴や罪人と言われる収税人や、下層の捨てられたような人達です。今で言う、ソープ嬢や激安風俗嬢やその利用者であり、心が重荷で潰され、心の膿に思考や行動を歪めてられてしまった人達なんかが彼の友達です。
何故、そんな人達と友人になるんでしょうか?クリスチャンとイエスは方向性が違うんです。Christianはイエスに倣ってなく、彼を殺せと民を扇動したパリサイ人に酷似してるんです。
イエスキリストが非難したパリサイ派や律法主義をクリスチャンが実践している。イエスに倣ったら教会を追い出されちゃいます。
落ちぶれた人達と言われる人が、陰鬱酒場で話しかけてきて泣き出したら「待ってました」とばかりに、聖書の話でもするのでしょうか?その前に疲弊して疲れて苦労している人の声が聞こえない場所にしか行かないんだから、本当の呻きなんて聴き得ましょうか。
聖書の話なんて要らない、モルモン書もそれは同じです。心理士や心理カウンセラーや精神科医を見てください。彼等は患者の話を聞くことから始め、患者自らが立ち直るよう喋らせます。相手知らずに「聖書やモルモン書には云々」宗教屋さんって人間の基礎すら知りません。
批評家も評論家も宗教者目線でしか物事を見られません。フィルタリングや見下しのラベリングが、浮世離れをさせ、キリスト教業界全体も浮世離れし自分を高く位置づけてます。
重荷を負って苦労している者の心境なんて解りゃしません。だから平気で重荷を負わせるし、気付きもしません。み言葉を説く?パリサイ人のする事です。
「私の話を聴いてくれ」こんなの解るChristianが実践したら排斥されちゃいます。飲酒喫煙禁止、男女交際禁止、中学生じゃあるまいし、キリスト教なんぞと関わる前以上に、信頼されてないって思いを植え付ける反キリスト的律法なんて求めちゃいません。
牧師や役員在籍の場で躊躇わず「こんな状態のアーメン会館に過ぎない教えが広まらないようお願いします」って祈ってきました。
罪からの解放や律法からの解放がキリストの生贄ですが、今のキリスト教業界の大半が律法の世界への後退を説いてます。プロテスタントには飲食物規制や神社仏閣立ち入り禁止、季節行事禁止なんてのが沢山あります。
世間様の方がキリスト的ですわ!融通性のない超自我や強迫観念がクリスチャンは非常に強く、イエスはそれらからの解放のためにも来られた。Christianは逆を行い信仰だと勘違いしてます。
二度ばかり、韓国のキリスト教会に出席したことがあります。とても大勢の会衆が熱心に集会に参加していたのが印象的でした。
文語訳のモルモン経もアップしていただいているようで研究熱心ですね。
私もフォローしていましてモルモン書の感想は楽しみの一つです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国のキリスト教
プロテスタントが成長した秘訣は巫俗を受け入れた宗教的熱狂主義に根元を置く心霊復興会にあると指摘した。
「韓国プロテスタントの感性的神秘主義運動は知性的神学を前面に出して布教に失敗した日本プロテスタントと対照をなす。
韓国プロテスタントはキリスト教が一般的に敵対視したり忌避する傾向があるシャーマニズムを神秘主義に引き込み、巫俗的神秘主義と韓国の風土が合致して教会の急成長をもたらした。
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らしいです(^^;
韓国のキリスト教、lds教会の状況に興味があります。反日・抵抗運動が隣国のキリスト教発展に関係していたと読んだことがあります。また、世俗主義に押されlds教会が低迷しているとネットで語る米人RMの話を聞いたこともあります。(いずれも要確認と思っています。)
罰当たりなことに神様仏様キリスト様~みたいに日本人は
神仏ならなんでも受け入れる傾向があるのでは?と思います。
ところがキリスト教はねたむ神であり、私(神)以外なにものをも神としてはならい等、独善性が我々には向いていないのかも。。
誕生や七五三は神道、結婚式はキリスト教、葬式は仏教というように日本の文化に入り込んでいたら、案外信者は増えていたのかも。
韓国人でカトリックの友人は、なぜキリスト教がこれほど韓国で広まったか(韓国では喫茶店より教会が多いと言われる)聞いた事があります。
なんでもキリスト教を学んだ賢人が韓国風にアレンジして広めたからだという意味の事を言ってました。