日本ではインスティチュートの生徒用手引きが、「教義や聖典理解の一番の権威」として用いられることが多い。しかし、「アメリカでは高卒生向けの出発点」くらいに見なされている。BYU(プロボ、アイダホ、ハワイ学)の宗教クラス210, 211番などに用いられ、最も易しいレベルでセミナリーの延長線上にある。聖典で難解な箇所や矛盾が見える部分は、調整型の編集が行われ生徒を当惑させないように配慮されている。
長年教会員であった人は、へブル人への手紙6:2に、「基本の教えを繰り返し学ぶことをやめようではないか」とあるようにインステのレベルから踏み出したいものである。
信仰に忠実な会員は、慎重で教会外の書籍に手を出さない。それは理解できるが、例えば私が受講したBYUの新約聖書のクラス400番台では、参考図書としてC.K.Barrett、”The New Testament Background”; Emil Shurer, “A History of The Jewish People in the Time of Jesus”などの本数冊が推薦されていたことを紹介したいと思う。
[Barrett の新約聖書背景資料に類似した邦文資料。優れモノ。]
末日聖徒とそうでない人、キリスト教徒とそうでない人を問わず、元素記号N, H, O, S などが何を指し、それぞれどんな特性があるかは必須の知識である。同様に宗教学や聖書学で現在到達している知見は多くが否定し得ない、骨格のようなものとなっている。知った方が遙かに情報の地平が広がるのである。今日BYUの宗教学教授は聖書学の学位を得ていないと務まらない。教義と聖約88:118にあるように最良の書物から真理の探究に進んでいきたいものと思う。
では、日本人の会員としてどうすればよいのだろうか。教会が出している生徒用資料の注に出ている項目でもっと知りたいことがあれば、その資料に当たる、聖書の註解書を参考にする(これは米国から教会教育部の指導者が大阪を訪問した時に尋ねて、その答えを得た)、そして語学を苦としない人が安心して進められるのは、原語(ギリシャ語、ヘブライ語)で聖書を読む勉強を始めることである。どちらも難解であるが、生涯教育の一環として粘り強く学んでいくことで駒を進め、収穫を得ることができる。また、教会員の研究者(BYUの教授など)が書いた英文資料を読むのも収穫が多いことを申し添えたい。
激しく同意します
そもそも、いつまでも「教えを受けよう」ではあかんよね
福音の奥義というのは「自分で見つける」ものだからね
そういう姿勢がないから
いつまで経っても「常に学んでいるが、いつになっての真理に到達できない」
豚師匠みたいな末日聖徒が大多数だと楽しいのにな。。
と思うこともあります。
下世話な話で盛り上がっているファミレスの学生やおばさま達。
エリートは少数、庶民は大多数で良いかと。
モルモン教会員のキリスト教に対する理解度は、
何年も修行を積んだシェフの逸品とコンビニ弁当の違いが分からない人と同じなんですよ。俺はこれが美味いと思っているからそれで良いだろうと言うことなんです。
>教会が出している生徒用資料の注に出ている項目でもっと知りたいことがあれば、その資料に当たる、聖書の註解書を参考にする
→その通り、正解です。同意します。私もそうしています。
100点です。
>そして語学を苦としない人が安心して進められるのは、原語(ギリシャ語、ヘブライ語)で聖書を読む勉強を始めることである。
>どちらも難解であるが、生涯教育の一環として粘り強く学んでいくことで駒を進め、収穫を得ることができる。
→語学が堪能な方は是非そうすべきでしょう。
さらに100点追加です。
>また、教会員の研究者(BYUの教授など)が書いた英文資料を読むのも収穫が多いことを申し添えたい。
→最後に大きな間違いですね。
モルモン護教に利用するための資料を読んでも何一つ収穫はありません。
マイナス300点です。
先端を行く学者たち(lds)は、イリノイ大学、北カロライナ大、オックスフォード大学出版などに論文を掲載したり、著書を出したりして、一般の研究者のニーズに応えています。
教会の民のサイドからも、最近ではSignature社に加えてGreg Kofford Booksが多くの斬新な視点から本を出しています。
聖書に対する研究はクリスチャンでなくてもできますからね。
聖書学は学問なので、信仰とは無関係です。もちろん実際には聖書に関心のない人が、聖書を研究して学者になることは、可能であってもレアケースでしょうけれど。
聖書の研究を進めていくと、あるラインを超えるためには、聖書の記述内容は歴史的事実ではない、という認識に立たなければそれ以上先に進めない、ということが分かってきました。
これはモルモン書についても当てはまります。おそらくモルモン会員であって高いレベルまで到達した研究者たちは、モルモン書は歴史的事実ではなくジョセフ・スミスの創作であるという観点を持っているのは間違いありません。
しかし彼らはそれを公言できない、立場を失うからです。モルモン教会は中世のキリスト教会に似ています。モルモン書は創作・・・そんな研究を発表したところで、モルモン外部からは「誰でも知っている当たり前のことに価値はない」と言われ、モルモン会員からは「信仰がなくなったら出ていけ」と言われる。どちらからも見向きもされないのです。
そこで彼らがすることと言えば聖書学の手法で聖書を研究すること。これなら今までの立場も堅持され、実績を残せば賞賛もされるでしょう。私が彼らの立場ならそうしますね。
そういう人が書いた研究書ならば、モルモン教会員が読んでも気分を害さないように最大限の配慮が随所になされ、逆にモルモン教会員には「ああ、やっぱりキリストは救い主なのだ」と感じるように装飾された表現がちりばめられているかも知れませんね。
でもそれだと結局インスティチュートの資料と変わりなくないですか?
何のことを言っているのだ
あんたが「モルモン教義」など知っているはずがない
それは御霊によって「心の中にだけ」存在するものなのだよ
言葉で表せるものではないのだよ
教会としてそんなものは公表できるはずがない
あんたが勘違いしているのは「だれかの個人的意見」なんだよ
それが大管長であろうと、12使徒であろうと 単なる個人的意見に過ぎない
全ては「御霊の導き」によって理解が得られるものだよ
「まともなキリスト教文献」
またまた、何を言っているのだ
どこに「まともなキリスト教」が存在するのだ
当教会ですら、腐敗しているのに
他にどこにまともな「キリスト教会」があるのだ
あんたが考えているキリスト教は「ローマ教」なんだよ
その程度のこと位分らんのか ?
ローマ帝国にとって都合が良いように変わってしまったのだよ
その過程では同じ「クリスチャン」同志が「主流派争い」を起こして、血みどろの殺し合いをやったことは歴史の授業で習っているはずだ
それはそうと、私はあんたに「自己紹介」したのだが
あんたは、いつになったら「自己紹介」するのだ ?
このまま知らん顔するつもりか ?
それは大変にお気の毒です
遠藤周作さんと同じように「行き詰まった」のだね
確かに、殆どの人はそうだろうね
私みたいに、初めて読んですぐに「何かが分かる」のは珍しいだろうね
でもさー、自分が分らないからとて、他人もそうだと早計に判断してはいけないよ
そもそも、聖書を読んで「歴史的事実」かどうか考えているようでは、最初からドン詰まりだよ
聖書の神学的側面の研究は神父さんや牧師さんなど神学校で学んだ人はもちろん詳しいのは当たり前でしょうけど。
一般信徒となると末日聖徒の方が自己の宗教を良く学び、研究意欲も高い気がしますね。
まぁ、個人的には伝統的キリスト教の信徒のあり方も良いかなと。
お布施の見返りに霊的糧をいただく。健全ではないですか?
そんなワケないだろ、アホか?
>一般信徒となると末日聖徒の方が自己の宗教を良く学び、研究意欲も高い気がしますね。
私の伝道中、アメリカ人宣教師の何人もが「伝道に出るまで聖典を通して読んだことなかった」「ちゃんと読んだことなかった」そう言ってましたね。
>お布施の見返りに霊的糧をいただく。健全ではないですか?
そういやそろそろ什分の一の年末面接。モルモン会員は年貢の納め時ってワケですなw