「昨夏、来日されたBYUのハイヤ教授は、エラにも負けない素晴らしい雑誌だと激賞された」
これは1960年代初めの「聖徒の道」について述べられた言葉である。渡部正雄の記事「東京北支部訪問記」(「聖徒の道」1962年1月号)の中に見つけた。昨夏というのは1961年、ハイヤ教授はポール・ハイヤー教授のことと思われる。この頃、聖徒の道は全頁、日本人の手により編集されていた。私にとって懐かしき良き時代である。当時教会には若く、伸び行く勢いが感じられた。
*補足 1987年2月号より「聖徒の道」のローカル頁が8ページに半減する、と「お知らせ」欄で発表された。2月号ローカル頁のp. 8。事実8ページになり、第一頁はコロラド神殿の献堂、タトル長老逝去の記事であった。
かつては学術的な記事がありましたが、<聖徒の道>のサイズが大きくなってからは、そのような踏み込んだ内容が無くなったように感じます。
またニーファイがさまよった荒れ野の場所を特定するような記事もありました。
崖のある地形から現在のオマーンサララのあたりと書いてあったと思います。
あくまでも推測ですが、とても興味深い内容でしたので、そのような記事が載らなくなったことは残念でした。
やはりアメリカの記事を翻訳していくことに方針が変わっていったのでしょう。
翻訳部の充実といえばそれまでですが、よいカラーが失われたと感じます。
万博以前のものは本当に手作り感があって聖徒の苦労が滲み出ていると感じます。
昔は、どこで誰がバプテスマを受けたなんて書いてありましたね。
思えば、平凡・明星にもペンパルを求めてへっちゃらで住所を書いていた時代ですから、教会にも古き良き時代のおおらかさがあったことでしょうね。
それこそ日本全体が大きな家族のような感じなのでしょうね。
http://www.ldschurch.jp/gospel-library/church-magazines/liahona
https://search.yahoo.co.jp/search?p=paul+hyer+byu+japan&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt
子供のときに買った「プロ野球選手名鑑」なんてスター選手の住所や奥さんの名前まで載せてましたよ。おそらく当初は年賀状やファンレター目的だと思うのですが。
今では考えられませんね。
このブログの記事で
依然としてイエス・キリストの誕生日を紀元1年4月6日と思っている末日聖徒が多いことに驚いている。
のがありますが、30年以上も前の「聖徒の道」に慎重な姿勢を促す記事があったんですよね。
なんとなく周りの雰囲気で4月6日=キリストの真の誕生日思い込んでいる聖徒が多いのは実は個人の研究不足というのもあるんでしょうね。
しかし。。ナゼか当該記事がすっぱり削除されてます。。
以前は確かにあったのですが。
教会本部管理になってからつまずきとなる記事は検閲されたとか^^?
原文がイエスキリストの誕生日を示すという主張を純粋に信じるのであらば、1月1日=キリストの真の誕生日のはずだから。
白羊宮 我あり
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%99%BD%E7%BE%8A%E5%AE%AE%20%E6%88%91%E3%81%82%E3%82%8A
日本では無知からクリスマスは、イエス・キリストの誕生日と誤解している人がいますが、クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日です。
イエスキリストの誕生日は、4月6日です。
↓
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1065936131.html
>このサイトは、教会とは関係ない個人の研究分かち合いサイトです。
私は Hideki に保守、直解主義に押し戻そうとする傾きを感じます。
例によってタルメージ効果で、説の持ち上げ過ぎが高じて、教会全体を都市伝説が汚染していったものと思われます。