暫く前(6/7日)、このブログでエデンの園の二本の樹について議論が交わされた。善悪を知る知恵の樹と食べると不死になる生命の樹で、どちらが甘く、どちらが苦いかという点で賛否が分かれた。
二本の樹に関して、英国の民俗学者J.G. Frazer は「旧約聖書のフォークロア」で、創世記の堕落の物語の中では生命の樹がただの添え物のように扱われていて、不自然である。物語りの中で十分な役割を果たしていない、と分析する。本来は生命の樹と死の樹(食べると死ぬと言われた樹) - - 永生も死も - - 人間の選択に任されていたのではないか、と言う。事実園のどの木からも自由に食べてよい、と記されている。
蛇は人に死の樹の実を食べさせ、人は死ぬことになり、自分は生命の樹の実を食べて不死を得た(脱皮することによりそう見られている)。
この仮説が本当かどうかは、多くの伝承を比較検討すれば氷解すると言う。比較の方法は言語学でも用いられ、説得力がある。例、父を意味する梵語 pitar, ラテン語 pater, ギリシャ語 pate:r, 英語 father がある時、祖語は pater かそれに近いものであることがほぼ確実に分かる。
フレーザーはだました蛇が生き延びるのは信仰深い人々にとって躓きの石になるので、最後の編集者は蛇の部分を物語から削除したのだろう、と見る。
聖書を読み慣れた人にとっては、突拍子もない説明に見えるに違いない。しかし、山形孝夫が書いているように、比較宗教史や神話学(または民俗学)を取り込むことなしには、聖書学に普遍性も説得力もない。特に神話と融合するような形で展開する創世記においてそうである。
星野徹は「世代ごとに人類の知識は拡大し深化してゆく」と書き、テオドール・ライクは「信仰さえあればよい、信ずる者は救われることは知っているが、つき合いきれない」と言う。今われわれはそういう時代に生きているのだと思う。
資料:
山形孝夫「治癒神イエスの誕生」ちくま学芸文庫
J.G. フレーザー著、江河徹他訳「旧約聖書のフォークロア」太陽社、1977年
星野徹「フレーザーと旧約聖書」「現代思想」1979年11月号
テオドール・ライク著、岸田秀訳「原罪の起源」同上。
J.G. Frazer, “Folklore in the Old Testament” 太陽社、1975年.
「地球上では、
楔形文字で「王権が天から降臨した時の第一番目の王朝はエリドゥだった。」で始まるEridugエリドゥ王朝を皮切りに、
241,200年間に及ぶ長い期間、シュメールの5つの都市国家に君臨した8人の王のリストを以下に示す。
Table of the first kingship on Earth 地球上の最初の王の表
(Sumerian Name) (City) (Length) (Time)
Alulim Eridu 28,800 years 271578 - 242778 BCE
Alaljar Eridu 36,000 years 242778 - 206778 BCE
En-men-lu-ana Bad-Tibira 43,200 years 206778 - 163578 BCE
En-men-gal-ana Bad-Tibira 28,800 years 163578 - 134778 BCE
Dumuzid Bad-Tibira 36,000 years 134778 - 98778 BCE
En-sipad-zid-ana Larag 28,800 years 98778 - 69978 BCE
En-men-dur-ana Zimbir 21,000 years 69978 - 48978 BCE
Ubara-Tutu Curuppag 18,600 years 48978 - 30378 BCE
Total 8 kings 5 cities 241,200 years
この241,200年間にわたるこの8人の王の時代の後、「洪水が、地球上で総なめにした」とのこと。
これらは、おそらく旧約聖書におけるアダムからノアに対応していると‥。
時代が下がって、ギルガメッシュは約6,105年BCEにUnugの王となった。
ギルガメッシュの詩では、彼は2/3神と1/3人間であったことを謳っている。彼は??女神ニンサンとLugalbanda(神々自身の息子)の息子であった。
…とあります。
ちなみにこの8人の王は、インド・日本においては牛頭天王の八人の子ども、八王子→八坂神社と繋がるのではないか‥?
このサイトの英文を翻訳できるだけでも勉強になると思いますし、我々にとっても一読の価値ありです。
関連参考サイト
●オックスフォード大学CDLI Wikiサイト‥ http://cdli.ox.ac.uk/wiki/doku.php?id=the_sumerian_king_list_skl
●http://www.galaxie.com/article/bspade16-4-04
◎添付画像…アシュモリアン美術館の楔形文字コレクション 『the Weld-Blundell prism』
まだまだ厳しい暑さが続きます。お体大切に、御自愛下さい。」
http://6004.teacup.com/bwclub/bbs/3494
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%8E%8B%E5%90%8D%E8%A1%A8
興味深い資料です。
ご紹介頂き教会員R様に感謝申し上げます。
シュメール文明の神話や文化がイスラエルに影響を与えていたのは事実でしょ。
アブラハムの故郷ウルはシュメールの首都ウルとの説もあるそうで、洪水伝説や創世記の寓話の共通点は彼がもたらしたのかも。
モルモンの教えに合致するということですか。(神殿で悪魔は食べるか食べないは自由だという)
それはともかく、知恵の木ではなく、「死の樹」というのはなるほどとピンときますね。
生命の樹の対語であるし、調べるとカバラでは
セフィロトの木(生命の樹)に対してクリフォトの木(死の樹)というのがあるそう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/クリフォト
邪悪の樹は最下位のセフィラであるマルクトの下方に伸びており、生命の樹を逆さまにした構造を持つ。
ーーー
そして、クリフォトとはへびの脱皮した皮を連想させます。
「犬に論語」ならぬ「豚に・・!?」
桃太郎だって、おばあさんが桃を切った時に、中に居た桃太郎は当然傷ついていたはずだ。
エデンの園でも、禁じられたのは、「善悪を知る木の実」だけで、命の木の実は食べても良かったんです。
だから、先にそっちを食っておけば、ずっと死なずに済んだんですね。
そもそも、「善悪を知る木の実」を食べるまではアダムとイブは不老不死だったはずですので、命の木の実なんて何の価値もなかった。
死なないんだから、他に木の実を食べる必要も無かった!!
こんな突っ込みどころ満載の話に、真面目腐って説明をする民族学者って何なんですかね??
>フレーザーはだました蛇が生き延びるのは信仰深い人々にとって躓きの石になるので、最後の編集者は蛇の部分を物語から削除したのだろう、と見る。
こんなのは、単なる憶測で何の根拠もない。民俗学者なら、それなりの民俗学的根拠を示すべきですね。
https://ameblo.jp/mikan10000ko/entry-11430809474.html
こうしてみると・・・・
もともとは楽園の創造が個性を持った神々の合作であって、神々同士の果樹のつまみ食いのトラブルから8つの病気がこの世に産まれ、その病気を癒す目的で、8人女が先に創造され、8人のうちの一人が肋骨の女から、人類が由来していたことがわかる。
創世記の著者がどうしても気に入らなかったので、物語の上書きが行われ、エデンが唯一神エホバの作となり、男のアダムが先に創造され、神々同士の果実のつまみ食いのトラブルは、へびと女による、反逆罪ということに堕落の責任がすり替えられたみたいです。
創世記の二本の果樹に対応するのが、原型がイシムード(2つの顔を持った神)であって、仲裁の神イエスキリストの原型は、キツネだったということがわかります。
シュメールの創世記では、ディルムンの楽園の地は光り輝く清潔な場所で、病気も死も存在しない命の土地、不滅の土地であったとされていたが、「水」が欠けていたとされる。
水の神エンキはディルムンの楽園に川を創造することで、豊富な果樹、花や茂みに溢れた神聖な庭にしたとなっています。
(聖書では光の創造の次に水を天の上と下に分け、その後生物を創造したになっています。)
その後、偉大なシュメールの地母神ニンフルサグが入り、この神聖な庭に8種類の異なる植物を創造した。
とても幸せだったエンキは、これら8種の植物の果実を味わいたいと願い、召使いのイシムード(2つの顔を持った神)に果実を集めて来させ、それらを代わる代わる食べていった。
その行為がニンフルサグの怒りを買い、呪いによってエンキは8つの臓器を患うようになったとあります。
エンキの病気が癒せないので、地母神ニンフルサグを探させ、キツネが彼女を見つけて和解したので、彼女はエンキを癒してあげました。
そして8つの臓器のうちのひとつがあばら骨であり、ニンフルサグがエンキのあばら骨を癒すために創造したのが、「ニンティ」と呼ばれる「肋骨の女」を意味する女を作った。 とされている。