[Kathlyn Lester さんのPPT資料より] [画像の文:マタイ24章に最も多くの変更が加えられた。英語で1,050語が約1,500語に増加している。]
「高価な真珠」の三つ目(モーセ書、アブラハム書の次)に「ジョセフ・スミス マタイ」として収録されている。これが2019年6月2日日曜学校のレッスンで、他の関連した福音書3カ所と共に学ぶための資料としてあげられている。いずれも終末とイエスの再臨に関連した内容である。(マタイ25、マルコ12-13、ルカ21章)。
当ブログのコメント欄(5/22付け、豚さん発言)で議論された中で、幾つかの問題が指摘されていたのでここで取り上げてみたい。
まず名称の問題であるが、手引き「わたしに従ってきなさい」でジョセフ・スミス-- マタイ1章となっていて、ジョセフ・スミス訳(JST)のマタイ1章かと思って、JSTの抜粋が掲載されている合本(2009年)の末尾(306頁)を見ても1章は出てこない。結局高価な真珠の中のジョセフ・スミス マタイのことかと気づいてそちら(高価な真珠55頁)を見ると、それを指していることが分かるというわけである。そしてその頁の欄外(上)に1:1-6と付記されているのでマタイ1章と紛らわしく余計混乱を招くことになる。実際にはマタイ24章(23:39から始まる)の内容である。
(1952年発行の D&C PofGP では、「JSの残した文書」 1, 2, 信仰箇条と末尾に収録され、1がJSマタイを指していた。2は最初の示現。この1が上の1:1-6となったものと思われる。)
なぜマタイ24章のJSTが高価な真珠に入っているかと言えば、ある研究者は、初期の教会員が再降臨は自分たちの時代に起こるかもしれないと考えて、深い関心を寄せたからである、と書いている(John C. Duffy)。
なお、合本末尾に付録(聖句ガイド)として収録されたJSTは、296-327頁(32頁)にわたり101の節が掲載されている。実際には少なくとも3,410節の変更、補充・拡張がある中のごく一部である(1975年R.J.マシューズ)ため、全部を載せるわけにはいかない。全部ということになれば、JSTそのものを入手すればよいことになる。(ところが、ジョセフ・スミスは聖書の改訂【翻訳というより改訂 revision】を完成させていない。創世記とマタイなどに集中している。)
それからジョセフ・スミスのしたことは、聖書本文の回復や原文からの翻訳ではなく、むしろオムナイさんが書いたように、聖書解釈であり別の言葉で言えば注釈 commentary である。JSTをどう見るかについては、別に稿を改めて掲載するつもりである。
参考資料:
John C. Duffy, “Easy-to-Read Doctrine and Covenants and Pearl of Great Price.” 2000.
ありがとうございます。
>それからジョセフ・スミスのしたことは、聖書本文の回復や原文からの翻訳ではなく、むしろオムナイさんが書いたように、聖書解釈であり別の言葉で言えば注釈 commentary である。
とは言うものの、モルモン信者にとっては、「ジョセフスミスが、翻訳した」というより、「啓示により、正しい聖書が示された」と取る向きが多いように思えます。
モルモン信者に、「どちらが正しい?」と問えば、「神からの直接の啓示による、霊感訳聖書が正しい」と答えるでしょう。
それは、モルモン書に対する評価と同じではないでしょうか?
ここのところは、モルモン教徒の価値基準の中心ですからね。
>JSTをどう見るかについては、別に稿を改めて掲載するつもりである。
期待しています。
ある翻訳は(モルモン書の翻訳の場合のように)、彼が手にした古代の文書を用いました。
別の折には、現物の記録を見ることもなく翻訳しました。
たとえば、聖書のさまざまな部分のジョセフ訳には、原文を回復したもの、聖書自体の中にある矛盾を調和させるもの、霊感による注釈が含まれています。
「霊感された翻訳(an inspired translation)」は普通の意味の翻訳ではなく、霊感の受けて文章にした物です。
「翻訳」という言葉は一般的に、複数の言語について専門知識があることを前提としています。
ジョセフ・スミスはいかなる言語についても専門知識があるとは主張していません。
ジョセフ・スミスは自分が「天から」送られる言葉を語るように召された「世の弱い者」の1人であることをためらうことなく認めています。(教義 1:17,19,24)
ジョセフ・スミスの時代には、「Translate」(翻訳する)という言葉には、「解釈する,別の言語に直す」という意味がありました。
「Interpret」(解釈する)という言葉には、「理解していない人に言葉の意味を説明する」「予言、示現、夢、あるいは不可解な出来事の意味を説明する、あるいは明らかにする。理解できないように隠されていることの意味を説き明かし公開する」という意味がありました。 (ノア ・ウェブスター、An American Dictionary of the English Language 〔New York: S. Converse,,1828年〕 “Translate”,“Interpret”の項)
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1064814906.html
あらゆる事柄に対するこうした不誠実な姿勢がモルモン教会から人が去っていく原因です。
そうでもないですよ。
不誠実な人は残りますから・・・。
結局のところ、人には得手不得手が御座んして、自分の愛するところ好むところを選んで行くということなのかも・・・望むらくは選ぶ信仰の対象が偶像とはなりませぬようにみたいな?!
ただ今の星回りも、そんな選びの時とか・・・
「先週できていた牡牛座金星&牡牛座天王星と蟹座火星との60度については「愛しているもの、大切なことに心を寄せ、それらに自分のエネルギー(生命力)を集中させましょう」と・・・
この星回りの影響をどのように受け取り、受け取った影響をいかに表現するのかはさまざまであろうと思います。そのひとつが先週述べた「愛しているもの、大切なことに心を寄せ、それらに自分のエネルギー(生命力)を集中させる」です。そうでなければ・・・
今、できつつある牡牛座金星と山羊座土星、山羊座冥王星、魚座海王星の小三角は、来週頭の双子座新月にかけて目立つでしょう。真に大切なものを確かめるような、そんな星回りだと思います。」https://blog.vogue.co.jp/posts/6314556
コンセプトが違うのですから、いくらギリシャ語聖書を正確に英語に翻訳してもリビングバイブルが出てこないのと同様、ジョセフスミス訳が出てこないのは当然のことと思われます。
●他の文献などから丸パクリ。
●誤りを指摘した識者を弾圧。
まったく酷いものですね、え?、モルモン聖典の話じゃないですよ、百田尚樹の「日本国紀」です。
あれ?どうしてモルモン聖典の話だと思ったんですか、ひょっとして・・・似てる?