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最も大きな異端とは

2006-08-23 18:10:35 | キリスト教
これは「キリスト教年鑑」(2006年版)に「今礼拝を考える」
と題される対談の中に出ています。(以下一部引用。)

 日本基督教団は実質的に各個教会主義によって成り立ってい
るようなところがある。・・礼拝の事柄について各個教会で判
断しなければならない。・・ことによると充分な検討が加えら
れずに、牧師個人の思いつきによって教会の礼拝が変化してい
くということもある。

 ウイリアム・ウイリモンの「主の祈り」にしても、リチャー
ド・リシャーの「説教の神学」にしても、現代の信仰で最も大
きな異端は何かというと、信仰はプライベートな事柄であると
いう考えである、とはっきり言っている。

 これは私たちの日本の教会の現状をも言い当てている指摘で
あろう。教会で個々人がばらばらになってしまっているだけで
なく、教会自体も各個教会ごとにばらばらになってしまってい
る。 (以上、日本基督教団代田教会牧師平野克己氏の発言)

私は'05年3月1日の当blogの「現代の異端」の視点が現実を
よく言い表していると受け止めているが、平野氏はそのような
考え自体が異端である、礼拝様式を始め信仰は統一されている
べきである、と日本の教会(日基教会)の現状に懸念を表明し
ている。

                        

  


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1 コメント

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異端は角度を変えて見れば・ (NJWindow(異端別定義))
2006-09-11 00:00:26
この本文と少し趣きの異なる方向ですが、異端について注目した言葉を引用します。(9/3のentryのcommentにも同文)。



異端」は高尚に聞こえる (NJWindow) 2006-09-10 23:37:34



C.S.クリフトンという人は異端(者)という言葉について次のように書いています。



 異端者という言葉はきわめて高尚に響く。(例、ガリレオ、ルター、さらにキリストの名をあげてみればわかる)。



 そして次のような言葉を引用しています。

 「宗教は椰子の樹のようだ。つまり頂上で繁茂するのだ。死んだ葉はすべて正統派であり、新しい葉はすべて異端者である。」(宗教研究者ロバート・インガソル)



  C.S.クリフトン「異端事典」三交社 1998



 これを読めば、異端は決して恥ずべきものではないし、非難に当たるものではないと思えてきます。

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