[右から≪アダムとエバ>と書かれている]
一般にアダムに与えられた妻はイブと呼ばれ、その名前が定着しており、末日聖徒もモルモン経昭和訳(佐藤龍猪訳)でイヴ(IN5:11)となっていて、その呼び方になじんできた。(但し、明治訳はエバ)。それが平成訳(1995, 2009年とも)でエバとなり今日に至っている。イブとエバでは発音がだいぶ違っているように見えるので、原語(ヘブライ語)を確認し、変遷のあとをたどってみた。
まず、ヘブライ語ではחַוָּהとなっており(創世3:20)、辞書に発音の手引きとして Chawwa とある。カタカナで書けば「ハウワ」が近いが、この[ハ] [chaはチヤではない] は[カ]と区別しにくいきつい喉音 (guttural or uvular fricative 口蓋垂摩擦音)で、ヘブライ語のח(Heth, アラビア語ではحに相当)を表わすものである。(חַוָּה の語根はחָוָהで to breathe, to live)。
このヘブライ語が新約聖書でΕὕα [heua]と表記され(ITim 2:13)、日本語のエバはここから来たものと思われる。なお、七十人訳は意味の上からΖωή (Life)、新約ではΕὕα[Heua] 、ラテン語(Vulgate)では Hava となっている。後世これがKJVでEve となるわけである。14Cのウィクリフ聖書、16Cのティンダル訳聖書でEve となり、この間、語頭の[h]が消失し、母音の[e](エ)が英語読みで[i:] になっていく。邦訳の聖書明治訳はエバと表記されている。
明らかに英語の発音が強く影響している。ほかにモーセのセはゼに、ホサナはホザナに、ヤ行音はジャ行に(例、イエス → ジーザス、エルサレム → ジェルーサレム など)、また、母音[i]が[ai]に変わっている。例、キリスト → クライスト、イザヤ → アイゼイヤ など)。アーメンをエイメンと言うのも英語読みである。この傾向が日本語にも入ってきているのは、困ったものだと私は思っている。例えば「交差対句法」χιασμός を英語Chiasmusの発音のままカイアズマスと読んだりする。(日本語で「キアスムス」が定着している。)原語でどう読むか、また日本語としてどんな言い方が定着しているかを調べるべきであろう。
その点で言えば、モルモン経の昭和版を出し、教義と聖約を和訳するなど、大きな貢献を果たした佐藤龍猪も、英語の発音をそのまま訳す傾向があったのは、彼の限界であったと言わざるを得ない。例えば、キリストと同時代の歴史家ヨセフスをジョシーファス、彼の「ユダヤ古代誌」を何か辞書から訳を借りてつなぎ合わせたような訳を当てていた。エリヤをエライジャと訳したのも逸脱か後退に思われた。いずれにしても、末日聖徒は独自の用語を使用してもよいという考えに立っていたようで、聖書学、キリスト教神学で定着した用語を参照されなかった。言語については、科学者の氏は聖書の原語に手をつけることまでされなかった。
[追記] 2020.09.23 Facebook 「聖書を原語で学ぶ会」に「ハバはなぜエバに」の質問に答える形で投稿した文
創世3:20でエバは חַוָּ֑ה とあり、[ハーワー]と発音されます。語頭(右端)の ח は「へート」で硬いハ行音です。それは新約ギリシャ語でΕὕα[Heua]となり(ITim2:13)、ブルガタ聖書(ラテン語)でHava とされますが、14Cウィクリフ訳、16Cティンダル訳、17CKJVで Eve となっていきます。この間に[h]が消えていることが分かります。
ほかにエノクもヘブライ語ではハノークであったのが、hの音が消え、アブラハムのハもギリシャ語で消えている例があります。アベルもヘブライ語でヘベル。
ハ行音は言語によって消えることがあり、エバもその例と考えられます。
(注、ヘブライ語の硬い口蓋音ヘートは軽い「へー」ה と入れ替わることがある、とあるラビは説明しています。aish.com。そのこともあって、消えていく道をたどったと考えられます。)
邦訳聖書は漢訳聖書の影響を受けているので見てみますと、現代語訳に通じる1919年の訳でエバは夏娃 [xiawa シアワ]となっていて、夏は音読みで「カ」ですからヘブライ語の「ヘート」を音訳した可能性が感じられます。しかし、ではなぜ邦訳でエバとなっているのかという問いが残ります。
独語のch とヘブライ語のヘートは近いように思いますが、もっと喉の奥で発音されるのだろうと理解しています。
モルモン書は、神殿に合わせて翻訳を変更したのかな?
って思うんですけど??
モルモンは、基本的に英語版のモルモン書が最も正確だとしているので、英語読みに近くなるのは当然の事だと思います。
ジョセフが大阪の人だったら、「エバはん」が「おばはん」に成ってたかも?
そういえばオムナイ(omni)は普通オムニと発音するのにとつらつら考えたことがあります。
オムニという科学雑誌があったり、香水とか時計もあったかな。
(脱線)
イブ/エバ問題ですが有名な「エヴァンゲリオン」は福音という意味らしく、縮めた言い方「エヴァ」はイブ/エバを連想させているとか。
今後はアダムとエヴァが定着するのかもしれなくもないかも。。
オムニと言えばロボコップですかね?
森羅万象すべての事に精通しているオムナイさんは、「オムニさん」って呼ぶべきですね。
最近もコンビニのセブンイレブンでomni7の文字を見つけておっ?と。。
オムニバスと無関係ではないらしい。
オムニ・バスのバスは乗り物のバスの語源とか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/オムニバス
オムニバス(omnibus)は、元々、ラテン語で「すべての人のために」を意味する語で、1826年以降にはそこから派生して「乗合馬車」の意味も加わったと言われる(語源の詳細は乗合馬車を参照)。公共交通機関のバス(bus、英語)の語源にもなった。
〜〜〜〜
モルモン書は「すべての人のために」書かれた書物。
だからオムニバス形式だったのだ!!(諸説あります)
脱線失礼。
いつからなのか?? 最初の版からか?
研究者によると、デビド・ホイットマー、エマ・スミス両者共に、ジョセフの翻訳の口述を筆記する時、ジョセフは、スペル・つづりに注意をはらっていて、そのジョセフが言うところのつづりを書いたと言ってたという話。その時、ジョセフは如何様かに発音したんでしょうね・・・
その変遷など、詳しくは・・・http://publications.mi.byu.edu/fullscreen/?pub=1395&index=11
どなたか有志に翻訳でも・・・
研究者によると、ヒュー・ニブレーいわく、筆記者であったデビド・ホイットマー、エマ・スミス両人共、ジョセフの翻訳の口述では、ジョセフはスペル・つづりに注意することがしばしばあったとのこと。
・・・想像するに筆記者はジョセフの口述を書き下して、それを読み上げるわけですが、スペルも言わせたんでしょうね、聞きなれない固有名詞は・・・
http://publications.mi.byu.edu/fullscreen/?pub=1395&index=11
誰か有志、翻訳でも・・・
それって、オムニチャンネルってやつじゃないですか?
総合的結合(接合)?かな?
いろんな方法で商品が買えますよって・・・たぶん???。
初めてコメントさせて頂きます。
このブログから新たな知識を得られ感謝致します。
私は最近、知識を得るに連れ、モルモン書はジョセフスミスの創作説に気持ちが傾きつつあります。
ただ、一点気がかりなこととしまして、金版を見たという複数人からの証言が記録されています。(FairMormonの記事などから)
ジョセフスミスがわざわざ作ったのでしょうか?
ブログの記事に関係ない質問で大変申し訳ないのですが、NJ様はどのようにお考えですか?
ジョセフの金版は信仰の手で触れ、信仰の目で見て、聖見者の石を使用して翻訳されるようなものだったと私はそう捕らえています。
ですから、ジョセフスミスと同じ信仰の目や手によって、彼らも見たり触れることができたと見ています。
彼らの表現方法については、学術的な誠実性を批判されても仕方がないかも知れません。
どちらにせよジョセフスミスによって英文がもたらされたわけですから、考古学者たちに馬鹿にされるかどうかの違いはあっても、霊的な値打ちは普遍のものでしょう。
(そうではない、金版の素材は正真正銘の物的Au(24金)だという信仰の方ももちろんすばらしいと思います)
NJさんはどちらでもないかも知れません。
信仰の手で触れ、信仰の目で見てというのは、どう解釈して良いのか、理解に苦しみます。
金版はあったのか、無かったのか、結局はどちらを信ずるか、個人の自由と言うことなのでしょうか。
200年近く前の出来事ですので不確定要素が多いですが、真理の探求は続けたいと思っています。
ありがとうございます。
>金版はあったのか、無かったのか、結局はどちらを信ずるか、
あったのか、なかったのかではなくて、物質か啓示かの違いでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/8c31910376b01a24c6b80a2448700eff
NJさんの答えを私も楽しみに待っているのですが、返事が遅いですね。
ところで、二世会員Yさんへ私から質問なんですが、
>ただ、一点気がかりなこととしまして、金版を見たという複数人からの証言が記録されています。(FairMormonの記事などから)
と書いておられますが、聖書には、「海が二つに分かれて道が出来た」「水が酒に成った」「不治の病が治った」「死んだ人が生き返った」等の現代の常識に照らすと有りえない事がたくさん書いてあります。
この事に関しては、何の疑問もお持ちにならないのでしょうか?
これらの事柄に関しても、それを見たと言う人が存在し(今は死んでいますが)現在もそれを事実だと認識している人が世界中に沢山居ます。
私が住む大阪には、3月ごろになると「今年はタイガースが優勝する!!」って信仰を持ってる人が沢山居ます。(笑)
人間って、自分が信じたい事を信じるんじゃないですかね?
それで幸福になれるのなら、それはそれでOKじゃないですか。
NJさんの様な賢い人は、相手に合わせて話をするので、本心で答えてくれるかな??
私も、NJさんの本心を聞きたい!!
懐かしいー。
まぁ金版のオムナイといたしましては客観的にはジョセフ・スミスが金に見える版を所有していたことは確かな現実の事象だったと思います。
聖書やモルモン書というのは霊的な事柄と物質的な事柄が強く結びついた宗教書ですから前のスレッドでもあったように「物質的な事柄」に真理を委ねてしまうと高潔さを失うきっかけになるのかもしれませんね。
(ただ、高潔さを失ったからこそ矛盾を捜し求める人の方が多いようですが。)
最近のインスティチュートのテキストにこのような記述があります。
モルモン書の外見上の証拠(P8−9)
• モルモン書の研究者の一部にはこの古代の書物の起源について地理学 ,作品分析あるいは考古学上の証拠に関心を持つ人がいる。
これらの研究は魅力的であり,有益であるが,この種の発見はモルモン書 の本質や真実性を左右するものではない。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910 -あかし2008 年)
モルモン書に対する証をこれらの発見だけに依存することのないよう勧 告している 。
「 証拠を執拗に迫る世の中において,モルモン書の真実性と正当性の証拠は,考古学や人類学がある程度助けになることはあっても ,こうした学 問 の中には見いだせません。
また,言葉の研究や歴史的な分析によって真実性を確認することはあっても,そのまま有効となるわけではありません。
真実か否かの証拠,正当性の証拠はこの書物自体にあるのです。
>聖書には、「海が二つに分かれて道が出来た」「水が酒に成った」「不治の病が治った」「死んだ人が生き返った」等の現代の常識に照らすと有りえない事がたくさん書いてあります。
この事に関しては、何の疑問もお持ちにならないのでしょうか?
聖書の内容につきましては、文字通りに受け取っていません。不完全な部分が多々あると思っています。話に尾ひれがついた部分もあると思っています。
となると、モルモン書についても同じだと言われると確かにそうかも知れません。
ただ、モルモン書はあまりにも史実と違うと思わざるを得ないため、話に尾ひれがついた範疇ではなく、完全にファンタジーの世界になっているのではと思います。
最近思うのは、なぜジョセフスミスが、モルモン書は神の啓示を受けて書かれたファンタジー作品だと言わなかったのでしょうか?
アブラハム書も同様に、パピルスから翻訳したなんて言わずに、単純に啓示を受けて書いたと言えば、これほど避難されることは無かったのでは、と思います。
史実は重要では無く、御霊によってのみ理解できるという弁明を繰り返さなくてはいけないのは、すべてはここから発していると思います。
ヨコ入り失礼します。
>なぜジョセフスミスが、モルモン書は神の啓示を受けて書かれたファンタジー作品だと言わなかったのでしょうか?
>アブラハム書も同様に、パピルスから翻訳したなんて言わずに
それはもちろん、ジョセフ・スミス自身が霊感を受けて歴史書を翻訳していると本気で思っていたからでしょう。
>史実は重要では無く、御霊によってのみ理解できるという弁明
史実は重要です。
「これらの研究は魅力的であり,有益である」とも言っています。
史実を霊感によって示したという信仰も受け入れられるべきでしょうし、霊感によるファンタジー作品にも価値があるという信仰もあるのかもしれません。
事実、福音の研究の論文もどちらにも配慮した両論併記が多いようです。
ちなみに私はモルモン書は史実を含む派です。
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/4386084bdf6baa9bc33861ae8daf4498
例のCES文書にもあるイチャモンのレベルですかねぇ。
https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://en.fairmormon.org/Criticism_of_Mormonism/Online_documents/Letter_to_a_CES_Director&prev=search
すみませんが、小生宛e-mail で人物紹介をしていただけますでしょうか。届かなければ、コメントを削除させていただきます。email address: jiro_nmn68@hotmail.com
In spite of the referece to Fairmormon, I smell you couold be John Do.
オムナイ=川尻が塞ぐ川
という意味だそう
私はジョンドゥさんではありません。
それに、ジョンドゥさんの知識量と比べますと、私は足元にも及びません。
ここで交わされる高度な知識をお持ちの方々からご意見を頂きたいと思い、投稿させて頂きました。
この場所は私の知りうる中で、日本語で最高のモルモンの知識を得られる場所の一つだと思います。
私の投稿が相応しくないのであれば、削除して頂ければと思います。
NJさまにメールを送ろうかと思ったのですが、少し抵抗があり、まずはこのまま匿名とさせてください。
色々とお手数おかけしました。
モルモン書の地理を例にすれば、中央アメリカ(メキシコ南部、グアテマラなど)を挙げる研究者のグループ(学者さんとか書籍とか最も多いのかな)とニューヨーク州から五大湖周辺を強調するグループの二つが代表的でしょうか。たまWEB的には後者に興味ありで、勘的には言えてそうと。
書籍でそれぞれのグループの代表的?なのを拾うと
前者 https://www.amazon.com/Deciphering-Geography-Mormon-Richard-Hauck/dp/087579128X
後者 https://www.amazon.com/Lost-Lands-Book-Mormon/dp/1555175104
本来なら、そういったのに目通してないとね・・・
ともかく
「06 ところで、イエスが実際に民に教えられたことは、その100分の1もこの書に書き記せない。
07 しかし見よ、ニーファイの版には、イエスが民に教えられたことの大部分が載せられている。
08 わたしがこれまで書き記したこれらのことは、イエスが民に教えられたことのほんの一部でしかない。わたしが書き記してきたのは、これらのことがイエスの言われた御言葉のように、異邦人からこの民に再び伝えられるためである。
09 彼らがまずこれを持つことは、彼らの信仰を試すのに必要である。彼らはこれを与えられたとき、これらのことを信じるならば、そのときにはもっと大いなることが彼らに明らかにされる。
10 しかし、彼らがこれらのことを信じなければ、そのときにはそれより大いなることは彼らに与えられることなく、彼らは罪の宣告を受けるであろう。
11 見よ、わたしがニーファイの版に刻まれているすべてのことを書き記そうとしたところ、主はそれを禁じて、「わたしは自分の民の信仰を試みよう」と言われた。
12 そこでわたしモルモンは、主から命じられたことを書く。わたしモルモンは、これでわたしの言葉を終え、命じられたことを書き進めよう。
」(3ニーファイ26)
ということで、信仰持ちつつ、より大いなることを求めつつということになろうかなと・・・
了解致しました。モルモン書の見証者と金版について、近いうちに記事にして掲載したいと考えています。
コメント欄がエバ/イブからそれてきていますので、この辺でコメント受付を閉じさせていただきます。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。