さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

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私の中の神仏

2009年09月30日 16時11分00秒 | 神・仏教・民俗の話

最近少し仏教に興味を持ち始めました。

私の中の仏さまは、いわゆる

ご先祖様(=亡くなった人)

という感覚でしかなかったのです。

 

葬儀のときにのみ、それなりの仏教儀礼に従って

教えていただく通りの作法で見よう見まねできました。

それ以上必要と感じなかったからです。

そして同時に神様も信じていません。

大自然の中にいると、凄く感じるものはあったのですが、

それが神々とは思えず、神=人が作ったもの

ということが頭から離れず、距離を置いて考えてきました。

 

人が作った宗教に頼りたくない!

という自分自身の強い反発心が

昔からあったのです。

 

帯ちゃんシリーズをお読みの方はもうご存知でしょう!

 

けれども、お寺や神社に拝みに行かないわけでもありません。

それなりに修行を積まれた方や、皆から尊く敬われてきた方々

などがモデルとなって神仏像になった慈愛の満ちたお顔は、

観ているだけでも心静かに感じるものはありますからね。

やはり厳粛な雰囲気はわりと好きな方です。

 

この間、実名敬避習俗』(2009.9.4のブログ記事参照)

で、実力を超越した絶対不可侵の権威の確立を必要と

するために首長の神格化が起こり、名前も恐れ多くて

呼ぶことができずに廃れてしまったのかもしれない、

ということを知って、やっぱり神も人間だった!

という私の思いが一致しました。

 

すると、いつか嫁ぎ先の仏壇を見ていくことになる

であろうことを考えると、少し実家と嫁ぎ先の仏教を

勉強しておきたい、と言う風に変って来ました。

気になることなどを少しづつ覚書として

載せていこうと思います。

 

 

今回は、『仏教と道標』本の中から、

「テレホン説法を昭和60年の3月から始めた」

とかいてあり、5年目に本を出されたようですが、

24年たった今もされているのかしらん?

と興味が湧いて、かけてみました。

ご本人かどうかはわかりませんが、

なんと、まだ続いていました。

 

9月は、イソップ童話の《カラスと狐》

からの説法でした。

3分間の電話代はかかると思いますが、

興味のある方、心豊かになりたい方はどうぞ。

(テレホン法話=078-732-5800)

兵庫県神戸市・大本山須磨寺

 

 

 

 『仏教という道標』:小池義人著


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