【節分】
立春の前日、
太陽の運行関係で決まり2月はじめになる。
陰暦の正月がこのころなので両者の行事に混乱がある。
中国では、節分を農事初めとして祝ったが、日本でもこの時節に
事実上の農作業が始まり、冬から春への折り目があった。
この時、忌みの生活の期間があったことは、佐渡の忌みの日や、
伊豆諸島のヒイミサマの行事からも推測される。
また、除夜に行った追儺(ついな)の行事は室町期に民間では
節分の豆まきに変わっている。節分の行事については、
物忌みにこもった本来の意味が忘れられて、外から邪気悪霊が
入ってくるのを防ぐための行為のように考えられるようになった。
行事としては次のようなものがある。
① 鬼やらいと厄払い
寺社で年男が「福は内、鬼は外」と唱えて豆をもって鬼を打つ。
厄落としに銭や女の湯具を捨てた。
② ヤイカガシ
柊(ひいらぎ)に鰯(いわし)の頭をさして戸口にさすのが多い。
信州では鰯をくしに刺し「大根の花の虫の尻焼き頭焼き」と唱え、
つばをはきかけて火で焼く。渥美半島ではトベラを焼きその葉を入れて
豆まきの豆を炒るなど、悪臭をかがすことによって疫病を防ぐ。
にんにく・髪毛・タラ・グミの枝を焼くところもある。
③ オニノメツキ・メカゴ
④ 豆占
⑤ もぐら追い
⑥ オバケ
関西ではオバケといって変装する行事があった。
この夜、初夢をみるといって室町時代に船の絵をしいて寝たものが
江戸時代には宝船の絵に変わっている。
「大阪方言事典」から
=オバケ【お化け】=
年越(節分)の日、老女は若い時代を追憶するために島田や手鞠髷に結い、
若い娘は早く良縁があるように丸髷などに結って縁起を祝ったもので、これを
お化けと称した。明治末年頃まで、この「お化け」の風習は残っていた。
戦前、節分の日に、若い娘たちの間に日本髷がはやり出したとき、これを
お化けといっていた。
『日本民族辞典 大塚民俗学会編』弘文堂:参照
参考:「北新地の歴史探訪(ものしりガイド)」HP→ http://kgnet.jp/history.asp
一番下の記事『節分のお化け』です。
「オバケ」について詳しく載っています。(画像有り)
その中から一部抜粋させて戴きました、感謝!参考: 「お茶屋ブログ」はこちら→ 「節分お化け」
(京都宮川町「お茶屋しげ森」様)
「舞妓さん」「仕込み体験」「舞妓になるには?」もわかります。
リンクさせて頂きありがとうございます。
「お化け」、私にとっては懐かしい言葉です。
着付け講師時代、初めて花嫁の授業というものが出来た時、
学院長自らが着せ付けをされた事がありました。着付け講師の方々が、
これから生徒さんたちに教えるための要領をご伝授戴いたのでした。
そのときのモデルとなったのが、私のお師匠様でした。
着せ付けが終わりかけた頃、
「ほらほら、お化けになったでしょう~♪」
って言われたんですが、一番若かった私と地方出身の方が意味がわからず、
(へっ?)っていうような顔をしていたんでしょうね~、
廻りのご年配の方々は知っておられたようで、どっと爆笑されました。
すかさず「おばあちゃんが綺麗な着物着たり、若い格好することよ~♪」
と教えてくれました。へ~そうだったんだ、と思ってはいたんですが、
それが節分の日のことだとは知りませんでした。
今回、調べてみて最後の≪⑥オバケ≫をみたとたん、
あ~、これか~!と何十年ぶりかにはっきりと理解できました。
節分の日に呑みに出たことないもんね、見たことないのはあたりまえやんね。
と、PC検索して面白い記事に出合って納得したのでした。
昔は一般家庭でもされていたようですが。。。
・
あっ!!
≪コスプレ≫
あれって、「オバケ!」(もいてる)やん!