【 五月節供 】
端午の節供・五月五日の節供。
菖蒲(しょうぶ)・蓬(よもぎ)を軒にさして物忌み中もしるしとし、
鯉幟(こいのぼり)で祖先神を招きよせ、その依り代の武者人形を
飾り、粽(ちまき)・柏餅を供え祭り、災厄を追いはらい、おさがりを
揃って飲み食う。
三月の雛節供に対して行う。が、中部日本や四国地方の一部では、
五日またその前後を「女の家」「女の夜・宿・屋根」などといい、
この日・夜だけは、勇ましい人形に宿り災厄をはらってくれた先祖神
に仕える女が威張れるとしている。
★東京都伊豆大島(旧岡田村)
四日の宵節供に、主人が茅を束ねた棒で主婦の尻を叩きながら、
「五日のショウブひとしょうぶ」と唱える式があった。
五月は皐月つまり田植え月であって、別にイワイヅキ・ツツシミヅキ・
カミサマヅキ・オモヅキなどと呼ぶ所があるとおり、田植という祭り
のために、清く慎み深く過ごすべき時であった。
その月の初めにあたり、早乙女として、田植の折の主役
(サンパイ・タロジ――田の神をもてなすオナリ・オナリド役)を果たす。
「女の屋根」の示す意味は、女が菖蒲・蓬で葺いた屋根の下に
物忌み慎みの生活をする。すなわち、香りの高さが、魔力・厄災を
はらい、清め霊魂の鎮もりをもたらすとする。
蓬は草餅とし、その蓬の葉を干して作った綿状のもぐさに火をつけた
香り、それらは菖蒲湯の香り同様、除災・鎮魂の呪力・威力を示す。
★岡山県・・・「牛の菖蒲」という。
人より一日遅れて六日に牛小屋に葺く。
この日、石合戦(印地(インヂ)打ち)をするのと同じく、
農作占いの印象も含められている。
そして、男児の節供へと中国風の節の折目に、
子供の厄はらいに転換してきたのである。
【 女の夜・女の家 】
女の天下とも。
新嘗めの夜は、神と巫女と共に新米を食う晩で、神事に与らぬ男や家族は、
他所に出払ったのである。
「万葉集」(巻十四)
「誰ぞこの家の戸おそぶる。新嘗(にふなみ)に吾が夫(せ)を
やりて、斎(いは)ふこの戸を」
――この家の戸をこじあけようとするのは誰だ。新嘗祭りのために、
夫をはじめ家族残らず他所へ行かせて、私が謹んで、神祭りに
こもっているこの戸を叩くのは――(三四六〇)
神社が祭りを専門に行うようになり、家々の祭りがだんだん行われなくなると、
家々の処女や主婦が、巫女としての仕事を忘れてしまうことになる。が、
徳川の末頃まで、一時上臈(いっときじょうろう)などといって、女の神人を祭り
のために、臨時に民間から択びだす風があった。と思えば神来臨して、家々を
訪問する夜には、いわゆる女の家が実現したのである。
沖縄でも地方地方の祭りの日に、家族は海岸に出て、女だけが残っている
風がかなり多い。
本土では、五月四日の晩から五日、すなわち、五日の節供を女の夜ともいう
のは、田植に預かる早処女の物忌みにこもっての生活を中心にしていう。
≪女行事から男行事への移行≫
この日取りは、現在では男の節供になってしまったが、蓬・菖蒲を、物忌み
の標示(しるし)に軒に挿し(女の屋根)、男性の近づくのをさけて、女ばかり
が清浄な生活をしていたのである。
それが後には、女同志の懇親の集まりのようになり、さらに、男を近寄せて
はならぬとの注意が、かえって男を呼んで客にし、馳走することとなり、
男祭り風に転じた。
なお、九月十三夜を、姥月・女名月といい、女が幅を利かす日といっている
のも、収穫を控え、田の神送りをするための物忌みの折であり、また作業
に対する霊力を、月にすむ祖霊にむかって、魂乞いをした印象からの命名
であろう。
★岩手県・・・二月九日をオカタボンダシ
(旧家をオカタ――上流婦人のことから主婦の意となる)
この日だけ、女房を追い出せという。
★京都山科・・・十二月晦日にタナオロシといって、亭主が女房の欠点を
いいたてる行事がある。
『日本民族辞典 大塚民俗学会編』弘文堂:参照
【 端午 】
5月5日の節供の称。端五とも書く。
端ははじめの意味で、午と五とが同音であるため、中国において
古くから両者が共通して用いられた。五が陽数に当たり、3月3日
(重三〈ちょうさん〉)、9月9日(重陽〈ちょうよう〉)などと同様に、
陽数が重なるためめでたい日とされ、重五(ちょうご)とも称した。
平安時代宮廷では、5月3日に六衛府から献じた菖蒲・蓬を4日に
主殿寮(とのもりょう)が所々の殿舎の軒に葺き、5日には糸所から
菖蒲の鬘(あやめのかずら)を献り、天皇をはじめ群臣がこれをつけて、
五日節会に臨んだ。また、この日典薬寮から菖蒲のつく御案(つくえ)
を献り、群臣に薬玉(くすだま)を賜った。
中国の古俗では、端午には野外に出て、薬草を摘んだり、蓬で作った
人形を門戸かけ、蘭を入れた湯で沐浴し、菖蒲をひたした酒を飲むなど
の習俗があった。
これは病気・邪気などをはらう目的で行われたものであり、わが国の
宮廷の行事をはじめ、民間習俗の中に同類の様相のみられるのは、
これら中国から移入された習俗に基づくところが少なくないとみられる。
五月節供などと称するわが国の民間習俗では、この日菖蒲や粽を軒
にさし、鯉幟・武者人形を飾り、また柏餅・粽を作る。
この節供を男の子の節供とし、3月の節供と対比させる考えが一般的
となっているが、各地の習俗をみると女性に関する伝承も多い。
この日を女の家・女の宿などと称する地方は広く分布し、嫁の里帰り
の日と伝える所もある。これらの例は元来、5月が皐月、つまり田植え
月であったことと考えが深いと考えられる。
皐月は田植えという祭りに際して斎戒禁欲し、田の神を迎える月であった。
その月の初めに早乙女として祭りの主役をなす忌み籠りをし神を祀った。
節供に軒にさす菖蒲・蓬などは元来は緑の草の葉で祓い清めるためにも
用いられた習俗の残存と考えられる。
【 こどもの日 】
国民の祝日の一つ。5月5日。
昭和26年、児童憲章と共に制定された。
わが国では、中国伝来の行事として、旧暦5月5日に端午が祝われていた。
こどもの人格を重んじ、子供の幸福を祝う日である。
この日は世界子供の日でもある。
『日本祭りと年中行事辞典』桜楓社 編者:倉林正次
≪リンク集≫
宮崎神宮 御田植祭→ 早乙女による御田植写真(2009年)
ハレ着(紺の単衣に赤い帯、白い手ぬぐい、新しい菅笠)の早乙女
は宮崎農業高校の生徒、みこ、保育士たち11名さん達のお写真、
38年(2009年時点で)ぶりだそうです。
住吉大社 祭りと年中行事→ 御田植え
住吉では儀式を略することなく、当時と同じ格式を守り、華やかで
盛大に行っている祭りとして、重要無形民俗文化財に指定されている。