【高江から】高江4日目(22日)。
10時過ぎN1テント前現場からの撤退の方針が示された。機動隊員の監視付きの下で自分の荷物をなんとか取りまとめ、いったんの再結集場所、新川ダム公園に徒歩で向かった。
「敵に陣地を明け渡した敗残の兵」。
機動隊にやんばるの森は完全に制圧され、座り込みテントの拠点を失い、工事が開始され、これから高江のたたかいはどうなるのだろうか、高江住民の会は? 高江連絡会は? そなことを歩き歩き考えていると涙が流れてきて仕方なかった。
機動隊に対するたたかいの布陣はN1テントを軸に県道70号線を南北に長かった。最初は北側と南側を固め、N1テント前はほとんど人は配置されていなかった。ぼくはいったんは北に向かったが、その後南側で座り込んだ。それが4時から5時。
その後、北からの機動隊の圧倒的な数と暴力の前にすさまじいたたかいを強いられながらN1テント前が制圧されたらしい。「らしい」というのはたたかいは分断され、北の情報は伝わってこず、全体状況がわからない。
N1テントに向かおうとしても機動隊の阻止線が固められ突破できない。阻止線の前に座り込んだものの、途中からその座り込みは全然意味がないことに気がつく。
阻止線を突破しようと機動隊の壁に突き進む若者が、機動隊員に腹部を膝蹴りされ救急車が手配された。熱中症で倒れた女性もいる。
テント前でも女性が倒れ救急車の到着を待っているらしい。救急車を待っている人が4人。
後で知ったのだが、テント横の工事用入り口《もう何年も閉じられているトタン張りのゲート》の前中央に置かれた街宣車の屋根に撤去されまいと登っていた女性が機動隊員にロープで首を絞められ引きずり下ろされ失神、手足の痙攣を起こしていたという。その動画がアップされているだろうからどのようことが起きていたのか確認しよう。
現場には簡易トイレが1箇所ある。だがそこも機動隊に制圧され、いくら人権無視と抗議しても力付くで通さない。
南側にトイレカーが配置されていて距離4kmの所にある新川ダム公園のトイレを使うことができるが、県道との分岐点で降ろされ、帰りは徒歩でしか戻ってこられない。トイレカーのピストン輸送が警察によって妨害されていた。
そしてテント前の簡易トイレの使用さえも禁止。女性たちはどんな苦痛を強いられていただろうか。
抗議を繰り返す中で弁護士も駆けつけ、一人一人に機動隊員の監視付き添いつきでトイレ利用が可能になった。
この報告は翌日のけさ書いている。あの時、たたかう場所も情報も分断された状況の中で、自分がどこにいたかで、自分が何を目にしたか、何を成し得たかが違ってくる。これから様々な報告、総括が出てくるだろうから、そのつど考えていきたい。
それにしてもである。これからどのようにたたかうことができるか、よくわからない。
ぼくは今回、時間の許す限り現場の「頭数」の一人になるために高江に来た。この現場でそいう人たちにたくさん出会った。
(車168台、約200人が参加。バスを仕立ててきたものの県道封鎖でたたかいに参加できんかったグループがいくつもあったらしい)
当初は明日の便を予約していたが、キャンセルして日曜日の便に変更したところで、「撤退」。東京での自分の高江へのかかわり方もこれからよく考えよう。何よりも高江の住民の方々が気になるところ。
新川ダム公園への「撤退」の道々、「でも、沖縄の人たちって、こうやってたたかいを続けて来たのだなあ。勝つまで負けないって」。そうつぶやいて炎天下を歩いていた。
非暴力にも強かさを駆使して実働部隊も視野に置くべきかと
ただ際の始まりは緩やかでも
加熱するほどに暴力が前面に出てくる
非暴力だけで良いのか?
ここは考え所と思いますね。
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