5月29日、日本教育会館で「沖縄意見広告 第13期5・29報告集会」が開催されました。「沖縄の『日本復帰』50年 基地のない平和な沖縄、そして日本へ」と銘打って、副題は「沖縄を再び戦場にするな!辺野古新基地建設中止・断念を!」とうたっていました。
開会あいさつのあと、伊達判決を勝ち取ったあの土屋源太郎さん88歳がとても元気な力強い挨拶があり、会場から大きな拍手がわきました。事務局からの報告では、「復帰」50年という節目で1万5324人・524団体の多くの賛同があったこと、共同通信が配信したことで、北海道や九州でも広告運動が広がったこと、玉城知事の不承認を支持し、戦争ではなく平和構築で、沖縄に基地負担を強いる「この国のあり方」の根にある安保条約を変えよう、「ノーモア命どう宝」を支持しようなど訴えました。
次に、沖縄の風の伊波洋一さんが「『台湾有事』で沖縄・南西諸島を戦場にしてはならない」と沖縄が直面させられている現状=「再び捨て石にしてはならぬ!」「世界一危険な普天間基地を40年も放置していいのか」などとリモートで講演しました。そして、田中優子さんが「沖縄を平和外交の拠点に」と題して、すでにハワイにあるアジア太平洋共同センターのようなアジアの未来思想形成の多様な人々の交流の拠点にしていくことをこれからの50年という長い視点で”あきらめない”取り組みをすすめて「平和外交の拠点」にしてもらいたいと話された。プーチンと朝鮮に攻め入った豊臣秀吉は似ているなど朝鮮史も織り交ぜ江戸文化の専門家らしい視点で話された内容が面白かったです。
人権の集い(10/21田中優子さん講演)のチラシも、ほぼ全部まくことができました。約100人ほどの参加でした。
5月26日、日比谷野外音楽堂で行われた「『復帰』50年 辺野古新基地建設を許さず 憲法が生きる沖縄と日本を!in東京」の集会に参加しました。
6時、集会に先立ち太田さんとその仲間のサンシンと唄が披露され、「立ち上がろう」や「沖縄を返せ」など歌われた。
主催者挨拶は、戦争させない9条壊すな!総がかり実行委員長の勝島さん、引き続き、立憲民主や共産党、社民党、沖縄の風などが挨拶し、石川元平さんがビデオで話をされました。石川さんは屋良朝苗琉球政府主席の元秘書を務めた方です。米軍統治下の沖縄で、憲法9条の日本復帰を目指したが、日米による米軍自由使用の復帰案に反対して「復帰措置に措置に関する建議書」を作成し、屋良さんとともに国会への届けるために上京。しかし直前、自民党は返還協定特別委員会で強行採決!あれから50年。今も変わらず、基地は日米によってさらに強化され、中国敵視政策で沖縄は戦争の最前線にたたされている。平和な島・沖縄をめざしともに頑張っていこうと訴えた。
その後、平和をつくり出す宗教者ネット・一坪反戦地主関東ブロック・ピースボートから発言。
そして、銀座デモで、「辺野古新基地建設反対」「戦争反対」「9条j壊すな」など訴えた。1200人の参加でした。
当面の予定です。
* 5月26日(木)「復帰」50年 辺野古新基地を許さず 憲法が生きる沖縄と日本を!in 東京」
・場所:日比谷野外音楽堂
・ 時間:5月26日(木)18時~集会・銀座デモ
* 5月30日・6月6日・6月13日「辺野古新基地建設断念せよ」(総がかり主催)
・首相官邸前:18時半~
* 6月4日「承認されない辺野古工事をやめろ!6・4新宿行動」(埋めるな!連)
・6月4日(土)2時~ デモあり
・新宿アルタ前
* 6月9日(木)「南部遺骨土砂問題」6・9院内集会
「土砂問題と不承認の今後」・・・北上田さんと神谷弁護士
・場所:衆議院第一会館
・時間:14時30分~
* 6月19日 総がかり行動
・時間:14時~15時
・場所:衆議院議員会館前
以上、できる範囲でのご参加をお願いします。
5月18日から5月20日まで、辺野古シュワブゲート前の座り込みに行ってきました。
18日水曜日は、基地軍隊はいらない行動する女たちの司会であった。知事の不承認にも関わらず違法工事が強行されている辺野古の現状の説明や唄サンシンありのテントでした。到着してすぐに指名され、自己紹介や東京での取り組みを報告。その日の3回目の資材搬入の座り込みに参加できました。その日はシュワブゲート前座り込み「2873日目」、辺野古の海の方は「6605日+8年」と報告がありました。
翌19日は、ヘリ基地反対協議会が司会を担当。内田弁護士による「1972に田中首相が日中国交を開始して50年。この間、日中は4度の共同声明と平和条約を結んで、日本は一つの中国を認めており、台湾有事をあおり、中国敵視政策は間違っている。平和外交に戻すべき」と話されました。シュワブゲート前の座り込みはもちろん、木々が伐採され赤土が流れている第4ゲートにも行き、座り込みました。道路工事がかなり進んでいました。辺野古弾薬庫がすぐ近くでした。
5月20日は、平和運動センターが司会を担当。山城博治さんが、辺野古の現状や普天間基地、南西諸島の軍事要塞化など話され、絶対に戦争させてはならない、声を上げていこうと訴えました。1回目の座り込みに参加し、抗議の声をあげましたが、残念ながら夕方の会議に間に合わせるために11時には現場をはなれ、那覇空港へ。
南部の会の仲間が、名護に部屋を借りたり、旅館に泊まりこんだりして、ゲート前のたたかいの手助けをしているのがうれしかったです。
5月15日「沖縄『復帰』50年を問う ウチナーイクサバやナランドー 軍事基地は出て行け!」のデモに参加しました。
「復帰」50年の式典が東京・沖縄同時開催で、岸田総理は沖縄の式典に出席、天皇もオンラインで参加するという。しかし、50年前の復帰時にも、沖縄県民の要求に聞く耳をもたなかった日本政府の対応は、辺野古新基地の例を見るまでもなく、50年前から、一貫して沖縄県の民意を切り捨ててきている。その上に、与那国・石垣・宮古・沖縄島の軍事要塞化が加速され、今や、戦争有事の最前線に立たされていることに抗してのデモであった。
午後2時、主催者挨拶のあと、沖縄から駆けつけた山城博治さんがスピーチ。「50年前、東京にでてアルバイトしていたが、5月15日はどうしても沖縄でと沖縄に帰り、土砂降りの雨の中で復帰反対のデモに参加したが、50周を迎える今日の5月15日は東京に駆け付けた。沖縄の民意を投げ捨て、台湾有事をあおり軍事要塞化を加速し、今や、再び捨て石にしようとしている日本政府が許せない!台湾有事=中国脅威論は米国の謀略である。有事になったら米国は逃げ、戦うのは自衛隊。若者を殺してはならない。国が犯罪者をつくってはならない。戦争に反対しよう!地元から声をあげ、憲法を変え、戦争をあおる輩を国会議員にしてはいけない。今度の参議選は正念場である。ともに頑張っていこう」と発言され、「今こそ立ち上がろう」をみんなで歌った。
その後、霞門から鍛冶橋のバスステーションまでデモ行進。2013年の故翁長知事らが「建白書」をもって上京し、「ドブネズミ」「国賊」などのヘイトをあびながら行進したコースである。参加者650人。
参加されたみなさん、お疲れ様でした。
5月9日、元山仁士郎さんが「復帰50年」にあたり、50年まえから現在まで、沖縄は何が変わったのだろうか。復帰で求めた米軍基地の返還や基本的人権の保障といった要求がかなったんんだろうか。現在でも70%以上の米軍基地があり、基地被害に苦しんでいる沖縄の実態。県民投票で示された圧倒的な県民の声を無視し続ける日本政府に以下の3つの要求を求めてハンガーストライキを実行すると表明した。
①辺野古新基地建設を即時断念すること ②普天間飛行場の運用を数年以内に停止すること ③日米地位協定の運用にかかるすべての日米合意を公開し、沖縄県を含む民主的な議論を経て見直すこと・・・・をあげた。
復帰を推し進めた当時の総理 佐藤栄作が1965年8月に沖縄に降り立ち「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことはよく承知しています。これはまた、日本国民すべての気持ちであります」と語った言葉を引用し、沖縄が抱える基地問題は、日本に住む人々に忘れられてしまったのだろうか。沖縄の基地問題が「解決」されない限り、沖縄にとっての「復帰」、そして「戦後」は終わらない。「復帰50年」にあたり、3つの要求を掲げて15日までハンストに入ることを決意したと述べた。
9日は、官邸前だが、5月10日は「自民党本部前」、5月11日は「公明党本部前」、それ以降は場所は未定だそうだ。
現場では、3つの要求実現のための「ハンストへの賛同署名」を集めていた。元山仁士郎さんのブログでもネット署名を集めており、ハンストが終了した時点で、集まった署名を集約し、総理大臣・外務大臣・防衛大臣・国土交通大臣に郵送するという。
「沖縄・復帰50年」しかし、今も続く米軍基地の押し付け
友達に元山さんがハンストに入ると知らせたら「沖縄の若い青年にハンストさせるヤマトが恥ずかしい!」との返事が返ってきた。そのメールがあったよと元山さんにも伝えた。嬉しそうだったよ。
雨の心配をしながらの新宿南口のスタンディングは、意に反し、晴れわたり日差しが、汗ばむほどであった。それぞれのプラカードをかざし「辺野古新基地は中止せよ」「生物多様性の辺野古の海を壊すな」「沖縄にだけ基地を押し付けるな」などシュプレヒコールで始まった。
参加者からそれぞれのリレートーク。「宮古に行ってきたが、自衛隊の基地から、わずか200㍍のところに畑があるが、土地規制法が適用されたらどうなるのか。非常に懸念される状況であった」「3年前の辺野古の海への土砂投入から官邸前で抗議のスタンディングをしている。沖縄に地方自治はあるのか、何度も基地建設反対の民意が示されているが、政府は、沖縄の民意を踏みにじり続けており、許せない」「復帰50年の式典で祝うことか。今の沖縄の現状はまさに戦争の最前線にたたされている。声をあげて反対していこう」「玉城デニー知事の設計変更不承認に対し、国交相が是正指示をだし、5月16日までを期限にしている。沖縄を米軍施政権下に置いた70年目の4月28日に是正指示を出し、復帰50年目の5月15日翌日のにその期限を設定する日本政府の、沖縄に対する姿勢は本当に許しがたい。」「10・10空襲も教科書から削除された。事実を隠し、先の戦争を美化して子どもたちに教えている。戦争反対の声をあげよう」・・・・・など発言が続いた。
そして、途中に琉球民謡が流れ、エイサーの踊りも披露されました。
最後に、5・15の日比谷デモへの参加が呼びかけられ「絶対あきらめない!沖縄と連帯して、頑張っていこう!」と確認しスタンディングが終了。参加者は90人でした。
五月晴れの有明防災公園の「改憲発議許さない!守ろう平和といのちとくらし 2022憲法大集会」に参加しました。参加者が掲げる色とりどりの「のぼり」がいっぱいに広がり、参加者は1万5千と発表された。
オープニングのライブ終了後、12時半から集会がはじまりました。主催者を代表し藤本さんが挨拶、その後、ウクライナ戦争の終了を願う特別決議が発表。立憲民主・共産党・社民党の政党挨拶のあと、憲法審査会について大江さんが「改憲発議の地ならしが急ピッチで行われており、軍事力増強では決して平和と安全は守れない。政府は、安全保障関係が厳しさをましているというが、原因を具体的には示さず、それを解決するための平和外交をすべきだが、それはしない。すべての侵略戦争は『自衛』のためと称してきた。戦争は金持ちが起こし、犠牲になるのは名もなき市民。憲法9条をつかみ取る覚悟で改憲発議をとめていこう」と話された。次に、若い小川たまこさんが、ジェンダーについて「いちいち言っていかないと変わらない。要は、なめているんだ。女性は3歩下がらないでください。前にでて話をして下さい」と訴えた。次は、高嶋さんが「憲法の捉え方が沖縄と日本は違う。復帰のたたかいで沖縄は平和憲法をつかみ取ったが日本はGHQによって与えられたという感じがする。復帰50年だが、憲法の上に地位協定があり、明治の不平等条約と同じ。憲法の3章に「請願権」がある。防衛省でも裁判所にでもどこにでも請願する権利があり、それによって差別されないことが記されている。住所と名前を書けば、国内に300万人いる外国人も保障されている。高校生の校則を変えるなど未成年者でもOKです。」と話された。次は貧困・労働問題で竹信さんが発言「軍事力増強は、福祉の削減、暮らしのひっ迫と一体である。財源は一つなので、防衛費を増やせば、当然、暮らしや福祉の財源は少なくなる。戦前の戦争で、財源の7割、8割が軍事費に使われ、暮らしは悲惨であった。今も非正規の労働者が5人に2人。幸福追求権・生存権・労働権などが憲法にうたわれている。明日の暮らしがあるから、軍備増強に反対・9条守れと要求していこう。参議院選挙で示していこう」と訴えた。
その後、中野さんの連帯挨拶、米山さんの行動提起があり集会は終了。その後、デモに。
参加されたみなさん、暑い日差しのなか、お疲れ様でした~
4月29日、早稲田奉仕園スコットホールで開かれた「悲しみは消えない 基地・軍隊はいらない4.29集会」に参加しました。雨のなか、75人の参加でした。
2016年、結婚をまじかに控えた20歳のりなさんが、ジョギング中に、米軍族に拉致され、殺害されて恩納村喜瀬武原近くの森の中に遺棄された事件である。「米軍人・軍属による事件・事故が多い中、私の娘も被害者の一人になりました。なぜ、娘なのか。なぜ殺されなければならなかったのか・・・」との父親の言葉が、今も胸を締め付けます。あれから6年・・・昨年4月、10月も米軍による性犯罪が起きています。繰り返される性被害!
集会は、琉球舞踊と唄サンシン、高里鈴代さんのリモート講演であった。世界で最も多くの米軍が駐留し、登録証も検疫もなく日本の法律の及ばない基地に降り立ち、フェンスを越えて自由に民間地を行き来する米軍軍属。犯罪を犯して基地に逃げ込む。地位協定によって米軍・軍属の特権が守られている不合理。米軍の沖縄上陸から続く性暴力・・・・。由美子ちゃん事件の加害者の米兵が米国に帰り、減刑になり、保釈され、結婚し、死んだ後に米軍がお墓を立てたという。その彼に6歳で暴行をうけ殺され捨てられた由美子ちゃん。表にでるのは氷山の一角、誰にも言えず、痛みや苦しみ、恐怖を抱えて生きている人がたくさんいると思う。声を上げられる社会にしていかねばならない。と高里さんは語りました。0.6%の沖縄に70%以上の米軍基地を押し付け、99.4%の日本の人は何を思うのか、この不条理!日本で暮らす私たちは周りに訴えていかねばならないと同時にこれ以上の基地押し付けは許さない取り組みも沖縄と連帯しすすめていかねばならないと思いました。
琉球舞踊に見入り、唄サンシンの沖縄民謡に会場はシンと静まりかえりました。
「りなさんを忘れない」で性暴力・性被害を許さず、抗議の声をあげていこう!安全保障のために犠牲となり苦難を強いられ続けていることを許してはならない!と参加者全員で決意した集会でした。