5月14日、新宿アルタ前で行われた「復帰」51年を問う 5・14デモ「マジ?戦争するんですか?沖縄を巻き込むな」に参加しました。
軍事優先の米軍統治下から「平和憲法」の日本「復帰」して51年。沖縄は人権や民主主義が守られるようになったのでしょうか。否! 「復帰」50年の式典に、バイデン米大統領は「沖縄返還を礎に築き上げられた現在の強固な日米関係を称賛する」というメッセージを寄せたそうだ。このメッセージが示すとおり、今や、沖縄は与那国から石垣・宮古・沖縄島・奄美まで軍事要塞化され長距離ミサイルが配備、「台湾有事は沖縄有事」と戦争の最前線に向き合わされ、再び「捨て石」にされようとしている。
主催者は「これまで沖縄は一度も自己決定権が行使されたことはない。沖縄の民意はないがしろにされ、国策の道具にされてきた。「復帰」51年を迎え、自己決定権を取り戻すスタートにしよう」と訴えた。次に米須さんが「沖縄は憲法の埒外におかれてきた。沖縄だけに適用される法律で米軍基地は70%以上も押し付けられ、米軍の自由使用を許し、住民の命や暮らしを危険にさらしているが、日本政府は米軍の擁護に終始して、県民の民意は蔑ろにされている」と訴えた。
そして、ナーグシク ヨシミツさんの唄サンシンが続き、埋めるな連の連帯発言後、デモ行進へ。200人の参加者でした。
5月6日、毎月第一土曜日の「辺野古NO]新宿南口のスタンディングに参加しました。天気は晴れ渡っているが風が強く、横断幕も広げることができないほどでした。いつもは道路にそって広げていたが、今日は建物の陰で、3人でもって広げていました。
シュプレヒコールのあと、道行く人に沖縄の民意を踏みにじって強行されている辺野古新基地建設断念を求める署名への協力の呼びかけや、軍事要塞化され、今や「台湾有事は沖縄有事」とまくしたて、戦争の最前線にたたされている沖縄の現状をリレートークで訴えました。
連休のさなかということもあり、那覇市に住んでいるが旅行でたまたま通りかかったという女性がチラシを受け取り、署名もしてくれ、そしてカンパまでしてくれたり、東京にでてきて数年だが・・・といいつつ署名をしてくれた若い男性など沖縄出身者の声掛けがうれしかったです。また、若いお父さんといっしょの小学低学年の男の子の応援などもあり、みんな笑顔にしてくれました。
前回のスタンディングに続き、今回も英語版のチラシも配りました。「NO]と受け取り拒否の人もいましたが、「グー!」と親指を差し出し、笑顔の外国人もいました。
そして、いつものようにエイサーや沖縄民謡の歌声も流れ、通りゆく人々にアピール。約70名の参加でした。
5月3日、青空のもと有明防災公園で行われた「あらたな戦前にさせない!守ろう平和といのちのくらし 2023憲法大集会」に参加しました。
南部の会も加盟している「とめよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会のブースの一角に、ジュゴンのマスコットやジュゴン袋、けいこさんからもらった貝のアクセサリなど素敵な小物も並べて販売し、ほぼ完売でした。辺野古の座り込みの写真などパネルも掲載し、辺野古建設断念を求める署名を呼びかけ、沖縄関係のパンフも並べました。
多くの人が辺野古請願署名に協力してくださり、沖縄関係のパンフも完売。小学校2年生や6年生も署名してくれました。「署名ありがとう!友達にも署名したこと話してね~」と仲間が声をかけていました。ほかに、稲嶺名護市長のときに造られた辺野古パンフや「ワタシタチハニンゲンダ」(6月16日 田町交通ビルで上映)のチラシなども配布しました。
集会には、沖縄からは沖縄大学の泉川さんが沖縄の置かれている厳しい現実と絶対に戦場にさせてはいけないと発言。その後、1分だが辺野古請願署名への呼びかけが行われました。貧困格差がすすむなか、安保3文書と軍拡、戦争への道にすすむ岸田内閣に歯止めをかけ、絶対に戦争させてはならないとスピーチが続き、大きな拍手が鳴り響きました。その後デモへ。参加者は、2万5千人と発表されました。
ブースでの販売等も含めて、お疲れさまでした~