「串刺し公 ヴラド・ツェペシュ」
(1430〜1476)ルーマニア
ワラキア公国の君主で、オスマン帝国と対立した。オスマン帝国を相手に、夜襲や死の病が流行ったとか嘘をついたり、捕虜を串刺しにして見せつけるなどした。これらの奇策によって、オスマン軍は精神的に追い込まれて武力による侵略を諦めた。
*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E4%B8%B2%E5%88%BA%E3%81%97%E5%85%AC%E3%83%B4%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A5 より
ヴラド3世(Vlad III , 1431年11月10日 - 1476年)、通称ドラキュラ公(Vlad Drăculea) または串刺し公(Vlad Țepeș / トルコ語: Kazıklı Bey)は、15世紀のワラキア公国の君主(ワラキア公)。諸侯の権力が強かったワラキアにあって中央集権化を推し進め、オスマン帝国と対立した。
日本ではしばしばヴラド・ツェペシュと呼ばれるが、「ツェペシュ」は姓でもミドルネームでもなく、「串刺し公」、原義では「串刺しにする者」を意味するルーマニア語の異名、すなわち「ドラキュラ」と同様にニックネームであって、名前は単にヴラドである。
*Wikipedia より
ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』に登場する吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデルの一人として知られる。
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