「岩槻人形」
江戸時代後期の雛祭りや端午の節句は、大切で賑やかな行事であり、そこで大きな役割を果たしたのが人形です。
岩槻人形は、その江戸時代後期から始まり、明治初期には、農閑期に地雛細工人が作っていた節句人形と、士族が内職的に作っていた人形の技術が合流してできたとされる雛人形が、本格的に岩槻で製造され、主に関東を中心に商われ、伝統を伝える人形の重要な供給源となりました。
さらに、明治時代には、五月人形等の岩槻人形は生産拡大の一途を辿り、国内有数の産地並びに江戸時代の面影を伝える貴重な人形の産地に発展しました。
*https://kougeihin.jp/craft/1303/ より
Description / 特徴・産地
岩槻人形とは?
岩槻人形(いわつきにんぎょう)は、埼玉県さいたま市岩槻区で作られている日本人形です。
岩槻人形の特徴は、頭と目がやや大きく、丸顔で愛らしい作りであること、華やかな彩色が使われていることです。また、人形の肌はなめらかで美しく、髪も人毛のような美しい仕上がりとなっています。
なめらかで美しい人形の肌は、膠と胡粉から作られ、髪に使われているのは生糸です。人毛によく似た柔らかなものを用い、髪付師によって丁寧に仕上げられます。
岩槻区の周辺では、もともとタンスや下駄など、桐を使った製品が多く作られていました。また、自然豊かな城下町であった岩槻区は、良質な水にも恵まれており、人形作りに適した環境であったと言えるでしょう。次第に人形の街として栄えていった岩槻区では、現在でもひな人形や五月人形、浮世人形など、様々な日本人形が作られています。
History / 歴史
岩槻人形の歴史は、江戸時代から始まりました。1634年(寛永11年)より始められた日光東照宮の造営に合わせ、多くの工匠たちが岩槻を訪れ、いつしか定住する者も出始めます。定住した中に人形作りを得意とする工匠がおり、また、岩槻が人形作りの環境に恵まれていたことから人形の町として栄えるようになりました。
現在でも行われている桐粉を使った「桐塑頭(とうそがしら)」という技法が生まれたのも、人形作りの環境に恵まれたおかげです。
岩槻が人形の町として栄えた背景には、京都より江戸に入ってきた雛遊(ひいなあそび)が関係しています。1626年(寛永3年)には、入内する徳川和子が土産物として京都へ持っていくほど、雛遊は江戸で栄えていました。雛市や雛売も増え、江戸名所図絵にもその賑わいが描かれるほどです。そして、次第に上巳の祓いと結びつけられるようになり、現在の雛祭りとなりました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/iwatsukiningyo/ より
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