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うまいッ! NHK「みずみずしさが絶品!水なす~大阪 貝塚市~」

2024-02-16 08:07:28 | うまいッ!NHK

 うまいッ!「みずみずしさが絶品!水なす~大阪 貝塚市~」 2013年08月11日

 番組内容
 暑気を払う涼やかな味わいが大人気の「水なす」。アクが少なくジューシーで、その味わいはリンゴや梨に例えられるほど。中でも、漬け物は絶品で、おつまみにぴったりとお中元の注文が殺到するほどだとか。こだわりの生産現場に密着するとともに、研究機関の協力を得て、このおいしさの秘密を徹底解剖。また、大阪の地場野菜であった「水なす」を、全国区の味に押し上げた産地の人々のあくなき探求心にもスポットを当てる。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201308110615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「泉州水なすについて」

 泉州水なすのルーツ

 なすの原産地はインドといわれています。 日本への渡来年代は不明ですが、最古の記録として、奈良時代の書物「東大寺正倉院奉方書」になすを献上したという記録があり、少なくとも1,200年以上前には栽培されていたことになります。

 なすは栽培の歴史が非常に古いため、古くから独自の品種が分化・発達しその土地に合う地方品種の1つとして水なすができました。

 泉州特有の品種で、その由来は定かではありませんが、室町時代の書物に水なすの元になったと思われる「澤茄子」や、また一説には、泉佐野市に残る「日根野あずきに上之郷なす」の諺から泉佐野市上之郷周辺とも言われています。

 泉州水なす特徴
 水なすは他の品種に比べて独特な性質をもった品種です。その名の通り水分が多くて柔らかく、あくが少なく独特の甘みを持つため、生でも食べられます。

 水なす部会紹介
 水なす部会は、現在166名の部会員で構成されており、年間出荷量は1,362t・販売金額は4億3,447万円となります。(令和4年度実績)

 出荷時期は12月頃から加温栽培が始まり、3月~8月がハウス栽培・5月~11月が露地栽培となります。

 「泉州水なす」で地域団体商標登録をとっており、特に水なすの浅漬けは絶品で泉州地域の特産品となっています。又、水なすはあくが少ないので生食でのレシピも多くなっています。

*https://www.ja-osakasensyu.or.jp/agri/mizunasu.php より

 「水なすの一種 馬場なす」

 馬場なすについて

 馬場なすの歴史
 水なすの一系統として貝塚で大事に受け継がれてきた「馬場なす」。
 その「馬場なす」のルーツについて

 出典: なにわ伝統野菜応援団員 森下正博氏「水茄子の発祥について」

 ナスの記録:『東大寺正倉院文書』(750年)が最も古い。『長屋王家(770年頃)の木簡』に「韓奈須比二斗」、「山背薗司進上菁□束 茄子一斗二升」と記載された木簡が出土。また調理面では、神護景雲四年(771年)に「茄子生料」、さらに『延喜式』(33大膳)に「僧一口別菓菜料-茄子六顆」とある。
 中国では『斉民要術』(405~556年)にナスの記録があり、『本草拾遺』(713年)に紫、青、丸、長等の品種が、 『王禎農書』(1303年)、『本草綱目』には「一種白而偏者皆謂之「番茄」甘脆不渋生、熟可食。又一種「水茄」其形稍長、甘而多水、可以止渇。」同様、群芳譜(1620年)に「一種水茄、形稍長、亦有紫、青、白三色根細末大、甘多而津可止渇」とある。生食用の涼水茄という茄子を天津にて1998年確認。
 庭訓往来(室町時代)に澤茄子(ミズナス)の記載があったことから、大阪府貝塚市の澤村が発祥と推定。一方、諸国産物帳(1735年)に和泉国岸和田領に「よも張、いしり、白茄子」の記載がある。また、かりそめの独り言(文政2年、1819年)に泉佐野市上之郷に浅漬けに美味しい茄子があったとの記述。そして、茄子は軟弱野菜的で日持ちがしないことから、昔では輸送が難しく、それぞれの地域で、そこの食文化とマッチした品種が土着する。その一例として、泉南では水茄子が挙げられる。
 大正15年、茄子の品種比較試験に水茄子が含まれる。昭和19年頃より旧農業試験場において系統分離が始められ、昭和27年頃には雄信達の野中系、男里系、奥野系、樽井系及び岸和田・荒木系(絹茄)など24系統以上を収集調査している。
 茄子漫談(昭和13年)に「雄信達に明治中頃何処からか伝わり、・・・その後、雄信達の水茄子が泉州地域内に広がり、在来の丸茄子や、長茄子などとの自然交雑あるいは人工交配によりそれぞれ新たな特性を持った水茄子へと系統分化していったものと推定され、中丸水茄(絹茄系)は岸和田・春木の系統「きぬ茄」などから派生し、現在の絹茄系の誕生に繋がっている。また、昭和の初め頃、篤農家により新潟に導入された水茄子は、十全、梨茄子などに選抜淘汰され育成されていった。従って明治から平成までは雄信達周辺が水茄子の中心であったといえる。
 雄信達に明治の頃に水茄云々・・・この点については平安時代より、京都の天皇らが毎年のように熊野詣でを行う。
 その街道筋に当たるのがちょうど雄信達周辺で、宿場に泊まった時の食事の饗宴に際し、やはり珍しく、美味しいものが必要である。このことからも、地域の特産であった水茄子は重要なもてなしの食材であったと推定される。
 昔は、米に湯か水を掛けて食べることが多く、かりそめの独り言にあるよう「湯漬けのおさえに茄子の浅漬けを出せにし、こは格別の佳味上之郷の茄子なり」はまことに的を得た記述といえる。
 結論:水茄子の初見が庭訓往来(室町時代)の澤茄子であり、諸国産物帳(1735年)の岸和田領には「白茄子、よも張、いしり」の3品種の茄子が記載。かりそめの独り言(1819年)には、茄子の浅漬け・・上之郷・・。茄子漫談では明治の中頃、雄信達に水茄子がもたらされ、・・それ以降、泉州に広がり他品種との交雑から新たな果実色、形、水分量の違いなど様々な変異を持った水茄子が誕生していった。
 そして、現在はその一系統である絹茄が泉州の「水なす」としてのブランド化の主役として位置づけられるに至った。

 『馬場なす』という名称は当時は無く、一般的に中長系と呼ばれていました。
 それを畠武治が平成16年地元の直売所「たわわ」を立ち上げる際に、昔から(※)栽培していた(地域に在った)このナスを産地である馬場地区の名産品となるように『馬場なす』と名付けました。馬場なすは果実の諸特性から見て、昭和27年代の在来水茄子の品種比較写真の3段目左より7番目、新家村(南系)のような中長タイプの1系統が貝塚市馬場地区で受け継がれてきたものと推定されます。

 ※少なくとも明治時代後期には馬場地区で栽培されていたという伝承がありますが、実際にはもっと古くからけ継がれてきたかもしれません。

 馬場なすの特徴

 『馬場なす』は一般的な水なすのようなふっくらとした形ではなく、普通のなすに似た形をしています。また、『馬場なす』の中にも写真のものとは少し違った首が細く先が膨らんだタイプもあるようです。
 ヘタ(ガク)には鋭い棘が沢山ついていて、果実の表皮は全体に濃い赤紫ですが、首のところはガクの下から青い部分が覗いているのが特徴です。そして、手に持つと、一般的ななすとは明らかに違いが分かるほどずっしりと重みが感じられます。果皮はとても薄く、触った感じがしっとりとしていて傷つきやすそうです。写真のものは傷がほとんどなく、栽培から収穫まで凄く気を使われたであろうことがうかがえます。
 果肉はとても緻密で、水分をたっぷりと含んでおり、皮ごと丸かじりした時の食感は皮の上からでもサクッと歯が入り、ふわふわした感じがなくそれでいて硬さを感じない何とも言えない食感です。食味的には優しい甘さにほんのりなすの香りが鼻から抜けていきとても美味しいです。

 出典:北野農園「水なすってどんなナス?」 http://www.kitanofarm.com/kf/aboutmizunasu

 上記の馬場なすと水なすの果皮の硬さの比較測定の結果から、馬場なすは一般的な水ナスに比べて比べて数値的にも果皮が柔らかく食べやすいと推定されます。

*https://www.babanasu.com/babanasu.html より


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