いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 宮城 はっと汁

2024-01-30 10:14:42 | 郷土料理

 「はっと汁」

 主な伝承地域 県北地域(栗原、仙北・大崎耕土、北上丘陵、三陸沿岸地域)

 主な使用食材 小麦粉、大根、人参、ごぼう、干ししいたけ

 歴史・由来・関連行事
 はっとは、県北一帯で食べられている、小麦粉を使用した郷土料理。小麦粉に水を加え、耳たぶ程度のかたさになるまでよく練り、適当な時間寝かせ、指で薄く伸ばしてゆでる。かつては向こうが透けるほど薄く伸ばすのが女性の得意技であった。
 登米地方、栗原地方では「はっと」や「はっとう」、玉造地方では「つめいり」「つみれ」、そのほかの地域では「ひっつみ」などと呼ばれている。食べ方は餅のように多様で、汁物にした「はっと汁」のほか、あんこやずんだ餡などと和えることもある。
 その歴史は古く、400年前の藩政時代にさかのぼる。伊達藩でも有数の米どころだった登米地方では、「買米制」によって年貢を納めた後の米も藩に献上していたため、農民は満足に米を食べることができずにいた。知恵を絞った農民たちは、麦飯のほか、畑でつくった小麦を粉にし練ってゆであげ「はっと」として食べていた。当初「はっと」は米の代用食であったものの、長年の工夫でより美味しい食べ物となり、好んで食されるようになった。ところが、登米地方を治めていた領主は、農民が米づくりを疎かにするのではと心配し、この料理をハレの日以外に食べることを禁止「法度」するようになり、それ以来「はっと」と呼ばれるようになったともいわれている。
 「はっと汁」の出汁や具材は、登米地方の中でも地域や家庭によりさまざまである。出汁はカツオ節、煮干し、具材は季節の野菜やきのこ類、鶏、豚など、代々母から子へ受け継がれる家庭の味となっている。
 現代でも、四季を通じて地域の行事には「はっと汁」がふるまわれる。

 食習の機会や時季
 四季を通じて、行事があると食される。また、家庭料理としても通年食されている。

 飲食方法
 出汁の中に季節の野菜や肉を入れ、耳たぶほどのかたさに練った小麦粉を薄くのばして入れ、醤油などで味付けをする。大鍋でつくって行事でふるまわれることも。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 「みやぎの食を伝える会」がイベントで紹介している。ほか、登米市内にある飲食店でも提供している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/hatto_jiru_miyagi.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<おせち> 和歌山 サンマずし

2024-01-30 09:41:11 | おせち

 「サンマずし」

 主な伝承地域 南部地域

 主な使用食材 サンマ、米

 歴史・由来・関連行事
 サンマは、10月下旬から3月になると、産卵のために三陸沖から寒流にのって熊野灘に南下する。サンマは和歌山県の沿岸部全域でとれるが、特に南方の熊野灘でとれるサンマは、長い時間潮にもまれて身が引き締まり、小ぶりで脂もほどよく抜けているため、すしに適している。
 「さんまずし」はもともと、米飯や魚の保存食としてつくられ発展したもので、秋祭りや正月など、人が集まるときに振る舞うごちそうだった。とくに稲作のできない山間部では、貴重な栄養源となっていた。
地域によってはサンマのことを「さえら」「さいら」と呼ぶ。硬く握った「さんまずし」は、鉄砲の筒のようでもあることから「さえらの鉄砲」とも呼ばれる。
 新宮市生まれの作家、佐藤春夫も「さんまずし」を好み、「ふるさとで一番美味しいものは、一にめはり、二にサンマ」と語ったという。

 食習の機会や時季
 秋祭りや正月、船の進水祝いなど、行事ごとになると必ず家庭でつくられていた。現在も、正月にはつきものである。祝い事のときは頭をつけたままで押しずしにする。潮岬を境に、西牟婁郡では腹開き、東牟婁郡では背開き、と捌き方に違いが見られる。大晦日につくり、年明けに焼く「焼きさんまずし」もある。

 飲食方法
 サンマを開いて内臓をとり、べた塩をして洗い流したあとに酢でしめ、すし飯にのせて押さえてかたちをととのえる。小骨までていねいに抜きとってあり、醤油などにつけずそのままいただく。柚子やだいだいのしぼり酢を隠し味に使うと、さっぱりと食べられる。家庭やお店によっては、これを数ヵ月かけて発酵させ、「なれずし」にすることもある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 現在も県南部地域で幅広い年代に親しまれており、昔ながらの製法でつくる老舗もいまだ数々存在する。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/sanma_zushi_wakayama.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまいッ! NHK「絶品!とろける舌触り 馬刺し~熊本 菊陽町~」

2024-01-30 09:36:23 | うまいッ!NHK

 うまいッ!「絶品!とろける舌触り 馬刺し~熊本 菊陽町~」 2013年02月03日

 番組内容
 今、東京の渋谷や新宿で「肉食系女子」に人気なのが「馬肉」。鉄分やビタミンが豊富で、一般的な牛や豚の肉よりもタンパク質が多く、低カロリーだと注目されている。生産量日本一の熊本県を訪ね、繁殖から肥育まで一貫して行う牧場に密着。極上の馬肉を生み出すこだわりのエサや飼育法を紹介する。あわせて、野球選手の間に伝わる意外な馬肉活用法から、知られざる馬肉文化まで、盛りだくさんでお送りする。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201302030615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「馬刺し」

 馬刺し(ばさし)とは、馬の肉を薄く刺身状に切って生で食べる日本料理のことである。

 概要
 馬刺しには、大別して「トロ」や「霜降り」、「赤身」があり、また一頭あたりから採れる量が少ないので珍重される「タテガミ刺し」や「こうね(タテガミの脂)」のほか、匂いがほとんどない「レバ刺し」や「タン刺し」などもある。「トロ」と呼ばれる部分は、バラ肉の極上部位であり、赤身に霜がふっている部分を「霜降り」と呼ぶ。また、馬の肩からアバラにかけて広がる3層肉は「ふたえご」と呼ばれ、コリコリとした食感がある。流通は、冷蔵のほか、食中毒防止などの観点から冷凍でも行われている。

 馬刺しは、おろしショウガやおろしニンニク、刻みネギなどを薬味に醤油につけて食べるのが一般的である。福島県会津地方では薬味ににんにく辛子味噌を使って食べるのが普及している。 また、馬刺しや炙った馬刺しをのせた寿司としても親しまれ、回転寿司などでも見かけるようになった。牛と異なり馬肉の油脂の融点は低く、口内の温度でも十分溶けるため、霜降り肉でも刺身で美味しく食べられる。ほかに小さく刻んだ馬肉を少しの醤油と納豆とあわせて食べる桜納豆がある。赤身肉に人工で「さし」を入れて霜降り肉とした肉も流通している。

 郷土料理
 日本国内で馬肉を生で食べる習慣は熊本県、長野県、山梨県、福島県、静岡県などに存在している。馬肉食の習慣のある地域は古来から馬の名産地であり、馬の生産と直結した文化が根付いていたと考えられる。このうち熊本県産は、馬の生産頭数は少ないが屠畜後の馬肉生産量の4割を占めており日本一の産地となっている。これに福島県、青森県が続いており、熊本県および青森県では農耕馬である重種、福島県ではサラブレッドなどの軽種が飼育されている。なお、現在の日本で流通している馬刺し用肉の多くは輸入物、あるいは生体を輸入して国内肥育したものであり、純国産はわずかである。

*Wikipedia より

 「菊陽町」

 菊陽町(きくようまち)は、熊本県の中部にある町。菊池郡。近年熊本市のベッドタウン化が進み、人口増加率が全国トップクラスとなっている。

 「馬刺し」

 主な伝承地域 熊本市、阿蘇地域

 主な使用食材 馬肉

 歴史・由来・関連行事
 馬肉生産量日本一・熊本の名物として一番に名前が上がるのが「馬刺し」。薄く切った生の馬肉を薄切りのたまねぎやおろししょうが、にんにくなどと一緒に甘口の醤油をつけて食べる。低脂肪、低カロリーで高タンパクで鉄分やカルシウム、亜鉛などミネラルも豊富で、今注目の食材だが、熊本では昔から滋養強壮に食されてきた。
 発祥は諸説あるが、熊本藩の初代藩主の加藤清正が朝鮮出兵した際、朝鮮半島で食料がなくなり、しかたなく軍馬を食べたところ、大変美味しかったので帰国後も馬刺しや馬肉を好んで食べたというのが始まりといわれる。江戸時代には肉を食べる習慣がほとんどなく、一部の農民などが食べていたのみだったが明治の時代に入ってしだいに熊本や阿蘇地域に広まっていった。軍馬の産地だった阿蘇地域で、戦後の食糧難で馬肉を食べ始めたことで広く一般に伝わり、昭和30年代には飲食店でも扱うようになった。「馬刺し」と一口に言っても、ロースなどの霜降りやもも肉など赤身のほか、レバ刺し、タン刺しなど部位によって味わいに違いがある。ふたえご(バラ肉)、ネッコ(大動脈)、たてがみの下の脂肪・コーネなど馬肉独特の呼び名も多い。産地の表示には、熊本で生まれ育てられた熊本産馬肉と、カナダなどから輸入した仔馬を、厳選した飼料を与えて1~1年半ほど肉質を育てた熊本馬肉がある。
 もともと馬は牛や豚よりも体温が高く、食中毒の原因となる細菌が繁殖しにくいのも馬肉が生で肉を食べられる所以でもある。また、現在、徹底して衛生管理された食肉加工場で解体し、必ず冷凍して流通させることで寄生虫などへの万全の対策をとっている。

 食習の機会や時季
 主に正月や祝い事などで食すことが多いが、スーパーなどにも馬肉(馬刺し)が並び、日常的にも食べられている。

 飲食方法
 肉を切った切り口がきれいな桜色なので別名「桜肉」といわれるが、酸化しやすいので少し時間が経つと黒ずんでいく。店では注文が入るまで塊のまま冷やしておき、切りたてを提供する。スライスたまねぎやおろししょうが、おろしにんにく、小口切りにした小ねぎなどの薬味を添え、甘口醤油とともに食べる。霜降りやたてがみの下の「コーネ」など、馬の脂は融点が低く、溶けやすいので早めに食べる。
 馬刺しを細かく包丁で叩き、納豆と合わせ、うずらの卵をのせ、小ネギを散らして甘めの醤油でいただく「桜納豆」も、日本酒や焼酎のつまみとして人気である。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 熊本名物として飲食店、専門店があり、手軽に食すことができる。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/basashi_kumamoto.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<伝統野菜> 高知 潮江菜

2024-01-30 09:23:42 | 伝統野菜

 「潮江菜-うしおえな」

 【生産地】高知市

 【特徴】アブラナ科の葉野菜。ツケナと呼ばれる非結球のカブの仲間。京菜、水菜の原種とされる。草丈は30cm程度で、水菜と比べ葉の切れ込みが少なく葉柄が太い。緑色の葉柄に切れ込みがあり、軸は白い。牧野野菜の一つ。

 【食味】味わいは濃厚で加熱すると旨みと甘味が増すのが特徴。生食も可能。

 【料理】雑煮、漬物など

 【来歴】かつては、高知市の潮江地区で栽培されており、土佐の伝統的な雑煮の具材であったり、漬物として親しまれていたが、潮江地区では1958(昭和33)年、春野地区では1979(昭和54)年を最後に、栽培が途切れてしまった。ところが近年その種子が発見され、潮江地区で葉菜類を栽培している熊澤秀治氏の下へ届けられました。消滅したかと思われていた潮江菜は、熊澤さんの手により復活。往時を懐かしむお年寄りや、地元の小学校で栽培や調理に取り組む児童たちに愛されている。

 【時期】11月~3月

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%EF%BC%8D39-%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%9C%8C/#i-20 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<異名-人物> 鬼小島

2024-01-30 09:03:12 | 異名

 「鬼小島 小島弥太郎」

 小島 弥太郎/小島 貞興(こじま やたろう / こじま さだおき)は、戦国時代の武将。上杉氏の家臣。『絵本甲越軍記』では鬼小島弥太郎として登場する。妙高高原辺りの出身といわれ、越後国の戦国大名・上杉謙信の幼少期から側近として仕えた。強力無双の豪傑で「鬼小島」と恐れられたといわれているが、上杉氏の軍役帳や名簿に記載されておらず、実在したかどうかを疑われている。上杉家中には小島姓を名乗る人物が多く存在するため、そこから創作したとする説もある。

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<料理用語-和食> 生上げ

2024-01-30 08:34:31 | 料理用語

 「生上げ-きあげ」

 茹でた素材を、水に放たずザル等に取り自然にさます。
〈岡あげ〉と同じ

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/6_G/03.html より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<慣用句・諺> 袖に時雨る など

2024-01-30 08:32:43 | 慣用句・諺

 「袖に時雨る」

 袖に時雨が降りかかる。袖に涙が落ちるたとえ。

 

 「袖に縋る-そでにすがる」

 袖にとりついて哀れみを請う。助けを求める。

 

 「袖にする」

 親しくしていた人をないがしろにする。冷淡にあしらう。

 

 「袖に露置く」

 露がかかって袖がぬれる。また、涙で袖がぬれる。

 

 「袖に湊の騒ぐ」

 港に波が打ち寄せて騒ぐように、袖に涙がひどく流れる。

 

*goo辞書 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<難読漢字-魚> 穴子

2024-01-30 08:23:26 | 難読漢字

 「穴子 あなご」

 アナゴ(穴子、海鰻、海鰻鱺)は、ウナギ目アナゴ科に属する魚類の総称。ウナギによく似た細長い体型の海水魚で、食用や観賞用で利用される種類を多く含む。30以上の属と150以上の種類が知られる。好みの環境や水深は種類によって異なり、砂泥底、岩礁域、浅海、深海と、様々な環境に多種多様な種類が生息する。

*Wikipedia より

 「あなご」は夜行性で、日中は海湾の泥中や岩穴に潜んでいるところから「あなご(穴子)」と呼ばれるようになったとするのが定説です。
 「あなご」の「ご(こ)」は 「アイゴ」や「カサゴ」や「モロコ」などの魚名と同様の語末だと思われますが、その意味は不明です。

 一方、「あなご」の「なご(nago)」と「うなぎ」の「なぎ(nagi)」に共通する「nag」という語根が、水中に棲む長い生物を意味するとする説もあります。
 この説では「あなご」と「うなぎ」は同源ですが、「うなぎ」が古くからみられる語であるのに対して「あなご」は江戸中期になってからみられる語という時間的な差異を考慮する必要があります。

*https://gogenyurai.com/2019/04/26/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%94%EF%BC%88%E7%A9%B4%E5%AD%90%EF%BC%89%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%83%BB%E7%94%B1%E6%9D%A5/#%E7%A9%B4%E5%AD%90%E3%81%AE%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%83%BB%E7%94%B1%E6%9D%A5 より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日本酒メーカー> 青森 八戸酒造

2024-01-30 07:59:55 | 日本酒

 「八戸酒造」

 八戸酒造株式会社(はちのへしゅぞう)は青森県八戸市に本社を置く酒造メーカー。製造する代表銘柄は、陸奥男山、陸奥八仙。

 大正年間に建設された6つの建造物(北蔵・西蔵・煉瓦蔵・主屋・文庫蔵・煉瓦塀)が国の「登録有形文化財」に登録され、八戸市により「八戸市景観重要建造物」に指定されている。

 概要
 1740年(元文5年)に近江国を出た駒井庄三郎(初代)は丁稚奉公から身を興し、南部町で「糀屋(こうじや)」を開いた。

 1775年(安永4年)から蔵酒造を開始。当初銘柄は陸奥男山のみだったが、酒質・味・地場にこだわった新銘柄・ブランドとして陸奥八仙の醸造を開始する。

 1888年に駒井庄三郎(四代目)が湊浜通りで酒造店を開業する。

 1944年、太平洋戦争中の企業整備令により三戸郡内の酒造家15軒によって設立された八戸酒類の一員となり、第三工場となる。

 1998年に八戸酒類より離脱し、八戸酒造として独立する。

 2003年からは、醸造に用いる米も自社で有機栽培するようになる。

 2010年には醸造施設(木造蔵3棟、主屋1棟、れんが蔵1棟、れんが塀)が青森県初の景観重要建造物に指定された。夜間は建物のライトアップを行う、酒蔵見学を開催する、改装した蔵を利用してコンサートや演芸会を主催するといった地域振興への協力も行っている。

 2021年12月 酒蔵の格付けを決める❛世界酒蔵❜ランキング1位に選ばれる。

*Wikipedia より

 代表銘柄

陸奥八仙 赤ラベル 特別純米 生原酒

栓を開けた瞬間、果実の様な華やかな香りが広がり八仙らしい旨味が特徴的な1本です。旨味や酸味がバランスよく取れており、口当たりまろやかな味わいです。

原料米 青森県産米
精米歩合 55/60%
アルコール分 16度

陸奥男山 クラシックヌーヴォー(生) 

「陸奥男山」は長く地域の方々に愛され続けているブランド。ほのかなバナナやメロンの香り、瑞々しい旨味・甘みが口の中に広がりますが後味にキレイな酸味と清涼感を感じます。生酒はより香り高く、口の中に旨味が十二分に広がります。キンキンに冷やして、または30分程室温に戻してお召し上がりください。

原料米 青森県産米100%
精米歩合 55/60%
アルコール分 16度

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<大阪-観光> 万代池公園

2024-01-30 07:56:32 | 観光

 「万代池公園」

 阪堺電気軌道上町線の帝塚山3丁目駅から東へ歩いて数分。周囲約700メートルの万代池を中心に広がる総面積4.3haの公園。昭和2年(1927)に発行された住吉村誌によると、その昔、万代池には不思議な魔物が住み、人々を悩ませていたが、聖徳太子が四天王寺から人を遣わし、お経をあげさせたところ、魔物は現れなくなった。その時、あげた経が曼陀羅(まんだら)経だったことから、当初は曼陀羅池と呼ばれていたが、いつの間にかその名が訛り、萬代池(まんだいいけ)になったという。現在の万代池公園は子供向けの遊具などが置かれ、ラジオ体操やウォーキングなどを楽しむ市民の憩いの場。桜の時期には地元の花見客でにぎわい、冬はやってくる渡り鳥めあてに野鳥ファンが集う。

*https://osaka-info.jp/spot/mandaike-park/ より

 「万代池」

 万代池(まんだいいけ、ばんだいいけ)は、大阪市住吉区にある池。池の周辺は万代池公園(まんだいいけこうえん、ばんだいいけこうえん)として整備されている。

 概要
 池の周囲は約700メートル。歴史ははっきりしないが、上町台地の浸食した谷をせき止めて作られたといわれている。「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めた」という言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと伝えられている。明治時代までは灌漑池として利用されていた。大正期、昭和初期には東側に「共楽園」という遊園地があった。

 大阪市は池とその周辺4.4ヘクタールを整備し、1940年6月1日に万代池公園として開園させた。池を取り囲むようにサクラの木が植えられている。万代池公園のサクラは、近隣では花見の名所として知られている。

 池の名称
 「万代池」および「万代池公園」の読み方は「まんだいいけ」と「ばんだいいけ」の2通りがあり、地元では両方の言い方がされている。

 池を管理する大阪市が作成している資料でも、2000年代半ばまでは「まんだいいけ」という読みを採用しているものと、「ばんだいいけ」という読みを採用しているものの2通りの資料が存在していた。

 現地に2000年代半ばまでに立てられていた看板には、「万代池公園」の漢字表記の横に「ばんだいいけ」とふりがなが振られていた。また、住吉区役所の英語版ウェブサイトでの「区内の災害避難場所の一覧」では、広域避難場所に指定されている万代池公園について「Bandaiike Park」(ばんだいいけ)と表記されていた。

 一方で、住吉区役所ウェブサイト内の子ども向けページ「キッズページ」や、大阪市の外郭団体・財団法人大阪市スポーツ・みどり振興協会のウェブサイトでは、漢字表記の「万代池公園」に「まんだいいけ」とふりがなが振られている。また、住吉区役所の英語版ウェブサイトでの「区内の名所案内」によると、万代池の紹介のページには「Mandaiike Park」(まんだいいけ)と表記されていた。

 住吉区役所は2009年、区での表記は「まんだいいけ」を採用するが、「ばんだいいけ」とも読まれることがあるという見解を示している。住吉区役所のウェブサイトでは「まんだいいけ」と「ばんだいいけ」の読みを併記する形に変更されている。

 なお、池の周辺の町名の「万代」は、「ばんだい」と読む。ただし、当地付近にある大阪市営バスの停留所「万代東二丁目」は、現在の車内アナウンスでは「ばんだいひがしにちょうめ」となっているが、住吉区に住居表示制度が導入されるまでは「まんだいひがしにちょうめ」とアナウンスされていた。

*Wikipedia より

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする