今日から、「 第5章 」の、(4)にかかります。
(1) 再軍備・改憲 やりとり詳細
(2) ソ連の侵略 現実的な脅威を認識
(3) 旧軍と軍閥 頑なに否定
(4) 基地反対闘争に批判的な見解も
(5) 再軍備・改憲 専門家の見方
上記 (4)の 内容は、下記3項目です。
上記 (4)の 内容は、下記3項目です。
◦ 現実を忘れた理想論は困る
◦ 米軍基地「止むを得ぬ現状」
◦ 誰かが犠牲になり、全体が賠償するべき
◦ 米軍基地「止むを得ぬ現状」
◦ 誰かが犠牲になり、全体が賠償するべき
まず最初に、「NHKの説明文 」です。
「『拝謁記 』 には、昭和天皇が、独立回復後の日本の安全保障や、米軍基地の問題に言及し、共産主義の脅威が高まる中で、国防をアメリカに頼る以上は基地を提供することもやむを得ない、という考えを示していたことが記されています。」
【 現実を忘れた理想論は困る 】 ・・・ 石川県内灘の米軍基地反対闘争について
〈 昭和28年5月25日の拝謁時のお言葉 〉
陛下
陛下
・新聞で見た事だけだが、小笠原でも奄美大島でも、米国は(基地を)返そうと思っても、内灘と浅間でも貸さぬと言われれば、返されず、米国の権力下において、そこでやるという事になる。
・米国の力で国防をやる今日、どこか必要なれば、我慢して提供し、(むしろ)小笠原等を米国が返すようにせねばいかん、と思うのに困った事だ。
〈 昭和28年6月1日の拝謁時のお言葉 〉
陛下
・平和をいうなら、一衣帯水の千島や樺太から侵略の脅威となるものを、先ず去って貰う運動からして貰いたい。現実を忘れた理想論は、困る。
田島氏
・理想論者は、千島の前に日本国土から米軍を引いて貰いたいと、申すかと思います。
陛下
・それに対しては、私は、朝鮮を見たらすぐ分ると思う、と言いたい。朝鮮の現状等を見れば、現実問題としてそれは大変なことだと思う。
親ソの田島氏は、米軍の撤退あるいは基地の縮小をするには、日本が憲法を改正し再軍備するのでなく、米国の駐留が問題でないのかと答えています。
ルーズヘルトとスターリンの、カイロ・ヤルタでの密約をご存知ない陛下は、日ソ不可侵条約を破ったソ連への警戒心の方が、強かったことが伺えます。
アメリカについてはマッカーサー元帥を通じて、親近感を抱かれているという事情があったのかと思います。元帥は朝鮮戦争勃発後、次のように陛下の望まれる方向で動いていました。
・ 日本への再軍備要請
・レッドパージ ( 共産党員とその親派の追放・押さえ込み )
元帥の独断でなく本国の指示でしたが、陛下には元帥の意向が大きく見えていたのかもしれません。日本の反日・左翼勢力はこれを「逆コース」と呼び、以後反米へと傾いていきます。
田島氏が、陛下にご報告していたのか分かりませんが、当時を伝えるネットの情報がありますので、参考までに紹介します。
「昭和25年、アメリカ極東海軍司令官から、山崎猛運輸大臣に対し、日本の海上保安庁の掃海部隊の、派遣要請があり、」
「10月7日、第一掃海隊が下関を出港した。」「元山掃海作業では、10月12日、眼前でアメリカ軍掃海艇2隻が、触雷によって沈没したが、日本は敵からの砲撃を回避しながら、3個の機雷を処分した。」
「10月17日に、日本の掃海艇のMS14号が触雷により沈没し、行方不明者1名、重軽傷者18名を出した。」
「12月15日、国連軍のアメリカ極東海軍司令官の指示により、解隊されるまで、特別掃海隊は46隻の掃海艇により、元山、仁川、鎮南浦、群山の掃海作業に当たり、」
「機雷27個を処分し、海運と近海漁業の安全確保に努め、国連軍が制海権を確保することとなった。」
「戦地での掃海活動は、戦争行為を構成する作戦行動であり、事実上朝鮮戦争における掃海活動は、」「第二次世界大戦後の日本にとって、初めての参戦となった。」
「平和憲法」を建前にする日本では、マスコミが伝えませんので、国民はこの事実を知りませんでした。
「特別掃海隊に対し、北朝鮮外相朴憲永が非難し、ソ連、国連総会で非難した。」
「李承晩韓国大統領は昭和26年4月、万一、今後日本が、われわれを助けるという理由で韓国に出兵するとしたら、われわれは共産軍と戦っている銃身を回して、日本軍と戦う、と演説で述べた。」
初めて知る情報ですが、こうした事実は、おそらく陛下もご存じなかったのではないでしょうか。左系の田島氏が情報を遮断していたと、勘ぐり過ぎかもしれませんがそう思ってしまいます。
反日左翼勢力に偏見の強い「ねこ庭」ですから、田島氏にも偏見が先に立ちます。念の為、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々には、他の情報も参照にされることをお勧めします。