5月24日の千葉日報の11 面に、上皇陛下と美智子さまが、手を振られる写真が大きく掲載されていました。「論考」という不定期のコラムで、今回は社会学者大澤真幸氏の意見が、お二人の写真の解説という形で紙面を飾っています。
これも、共同通信社の配信記事ですから、全国の地方紙に同時掲載されているはずです。私のブログの一貫したテーマの一つは、「戦後の日本をダメにした学者」を、息子たちに伝えることです。自分の国を否定し、決して愛することをしない反日左翼学者とグローバリストを、日本に巣食う害虫として指摘することにあります。
色々な人間がいて、様々な意見を述べることに、反対しているのではありませんから、氏のような主張が紙面を飾っても当然だろうと思います。ただ息子たちには、こんな意見には注意しなさいと警告をします。
「平成の終わり、令和の課題」、メインの見出しはこれで、サブタイトルが「現れた日本人の無意識」、となっています。社会学者らしい長い叙述が、もっともらしい言葉で綴られますが、私の言葉に直し、簡単に言ってしまうと以下の内容です。
「戦前の日本が犯した過ちを、上皇陛下と美智子さまだけが率直に認められた。」「平成時代に、国民は何も成し遂げていないが、お二人だけが戦争の傷跡に向き合い、戦争を終結させようとされた。一般国民は無意識のうちに、お二人のなされたことに賛同した。」
「令和の課題は、国民が無意識のうちにしかできなかったことを、今度こそ政治的に、実質のあるものにすることである。」
つまり、「東京裁判史観」をきちんと認め自分の意思として実行することが、令和時代の課題であると、こういう愚論を述べています。「日本だけが、間違っていました。」「日本だけが、悪い戦争をしました。」と、世界に向かって謝りなさいと、こんな寝言を発信しています。憲法改正はもってのほか、軍を再建し、自主独立を目指すなどとんでもないと、言外に語っています。
こういう学者は、日本人の心を汚染する害虫なので要注意です。戦後に変節し、GHQに協力した著名な学者が、沢山いましたが、氏はそんな学者の教え子の一人なのでしょう。別途、履歴を調べてみました。
「大澤真幸 (おおさわ まさち ) は、日本の社会学者。元京都大学教授。 」「専攻は数理社会学、理論社会学。」「社会学博士(東京大学)」
「昭和33年、長野県松本市に生まれた。」「長野県松本深志高等学校卒、東京大学文学部社会学科卒業。」「昭和62年、東京大学文学部助手。」「平成2年、東大社会学博士。その後、千葉大学文学部講師・助教授。」「平成10年京都大学人間・環境学研究科助教授。」「平成19年同研究科教授に昇格。」
東大の文学部には立派な学生もいますが、反日左翼の学生も同じくらいいます。彼らは教授になり、学者になり、左翼思想と反日思想を、教壇の上から語り続けます。朝日新聞や共同通信社のような、腐れマスコミに重用され対価を得ます。
「日本人は、平成最後のーを連呼してはしゃいだ。この盛り上がりから分かるのは、日本人が平成の終わりを一区切りとし、我々は何かを成し遂げたと思いたかったと、いうことだ。」「が、これはおかしなことだ。平成の30年間に、日本人はこれといったことをしなかった。平成の終わりは、たまたまやってきただけだ。平成最後に、特別な意味はない。」
日本人の一人として言わせてもらうなら、連呼してはしゃぎ、盛り上がっていたのは、マスコミの報道ではなかったのか。来る日も来る日も、「平成最後の」という飾り言葉で国民を煽り続けていたのは、新聞とテレビでした。多くの国民が感じていたものは、上皇陛下と美智子様への労いと、新しい令和への期待でした。
「平成時代に、何かを成し遂げたと、はしゃいでいた・・・。」こんな薄っぺらでひねた思考をしていたのは、大澤君、君くらいではなかったのかと、私は問いただしたいくらいです。ありもしないことを、さもあったかのように主張するのは、反日左翼学者たちが、戦後繰り返してきた常套手段ですが、いつまでも国民が騙されると思っているのでしょうか。
「だが、平成に何かを成し遂げたと言うことを、許される人が、この日本に二人だけいる。今や上皇・上皇后となった、平成の天皇皇后夫妻である。」
たいそうな持ち上げ方ですが、氏は最低の敬語さえ使っていません。失礼な学者なのに、お二人を必要以上に誉めそやします。息子たちに言います。これが、反日左翼学者による「天皇の政治利用」の例です。お前たちのため、不愉快な文章を我慢し、もう少し紹介します。
「確かに二人は、幾つものことを成した。平和を始め、戦後憲法にうたわれた価値を明確に支持した。」「父である昭和天皇が、本来なすべきだったことを実行した。」
「日本人は天皇のように、戦争の傷を直視できず、侵略戦争の過ちを率直に認めることもできずにいる。日本人は、二人が自分たちの代理人として、行動したかのような気分になっていた。」
社会学者なのにこんな分析しかできないのかと、軽蔑と怒りがこみ上げてきます。日本人は戦争の傷跡を直視していないとか、侵略戦争の過ちを認めることもできないとか、どういう歴史を、誰から教えられてきたのか、カビの生えた左翼用語を並べます。まして「父である昭和天皇が、本来なすべきだったことを」という、一文については言語道断です。
東大で左翼教授に教えられると、氏のような、日本人のクズが再生されるのだと、息子たちは知ってください。温故知新のため読書をしていますが、日本の過去を賞賛したり、憎悪したりするためにやっているのではありません。非情な国際社会の中でご先祖様たちが、どのように日本のため働いてきたのか、事実を知ろうとしているだけです。
私のような市井の親父に比べたら、氏はずっと頭脳も明晰だと思います。私と氏の違いは、自分の国への愛です。自分の国を愛せない人間だから、日本の歴史を蔑視し、ご先祖様を軽視し、平気な顔がしておれます。共同通信社も、いつまでこんな記事を全国配信できるのか。令和の時代に、終焉が来そうな気がいたします。
別のところで読んだ、天皇制に関する氏の論文を紹介します。
「王権自体は、一般的に見られる社会システムである。細部を省略し、基本的なことだけを述べれば、天皇は、呪術や神話を権威の源泉とする、比較的原初的なタイプの王に属する。」
「たとえば、『古事記』や『日本書紀』などのテクストのかたちで、自身の正統性を公言している点では、天皇制は最も原初的な王権や首長制よりも、複雑なシステムだが、なお呪術王の系列に属している。このようなタイプの王権は、めずらしくはない。」
反日左翼学者は、同じ資料で歴史を勉強しても、心根が歪んでいますから、得られた知識も屈折しています。呪術王の系列に属するという蔑みの言葉は、歪んだ魂にしか言えません。保守の学者を自認し、日本を愛する田中英道教授が読んだら、どんな反応をするのでしょう。
「天皇制のもうひとつの顕著な特徴は、直属の軍隊をもたないということである。古代の天皇は、直接的に動員しうる軍事力をもっていた。しかし、ある時期(平安時代のごく初期)以降、天皇は軍事力とは切り離された。」
「それゆえ、天皇や朝廷は軍事的にはきわめて弱かった。軍隊とのこのような(無)関係という伝統は、今日の天皇制にも受け継がれている。もちろん、現在の象徴天皇が、軍隊(自衛隊)から切り離されているのは、直接的には、大日本帝国憲法の下で、天皇が統帥権をもっていたことに対する反省からである。」
息子たちに言います。御覧なさい、国を思う心を失った学者の言葉がこれです。ここには、 昭和天皇もGHQもマッカーサーも出てきません。敗戦国となった日本の指導者たちが、どのような思いで憲法を受け入れたのか、そんな一切が無視されています。
論文は新聞記事の数倍の長さですが、これ以上紹介する意味がありません。バカな教授は、どこで意見を述べても、バカな内容に変わりがありません。息子たちが、このような学者に騙されないようにと、願うだけです。