ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

ジャパン・アズ・ナンバーワン - 4 ( ネメシスの報い )

2019-09-19 15:15:45 | 徒然の記
 今回は、ヴォーゲル氏の序文を紹介します。
 
 「まず私が思い立ったことは、勤勉、忍耐力、克己心、」「他を思いやる心といった、日本人の美徳と考えられる特質を、」「検討してみることだった。」
 
 「しかしながら、日本人の組織、財界、官僚制などへの関わりを、」「調べれば調べるほど、日本人の成功は、」「そのような伝統的国民性、昔ながらの美徳によるものでなく、」「むしろ日本独特の組織力、政策、計画によって、」「意図的にもたらされたものであると、」「信じざるを得なくなった。」「こうした私の、知的労働から生まれたのが、この本なのである。」
 
 違和感を覚えたのば、この叙述でした。日本の成功について、氏はその原因を、2つ挙げています。
 
 1.  勤勉、忍耐力、克己心、他人への思いやりなど、日本人の美徳と考えられる特質、伝統的国民性
 
 2. 日本独特の組織力、政策、計画によって、意図的にもたらされたもの
 
 氏は1.でなく、2.が日本の成功の原因だとし、以後本は2.に重点を置いて語られていきます。論理が整然としていますので、多くの人が納得できる意見にです。しかし私は論理より感性で生きているためか、すんなりとは受け取りません。2.の土台なっているのが 1.であり、両者は不可分の関係だと、そのように考えるからです。
 
 私の考えの大枠を知るため、もう少し序文を引用します。アメリカについても、日本についても、厳しい批評をし、両論併記の公平さがあります。反日・左翼の学者のように、我田引水の主張を展開しませんので、読書の秋にふさわしい本です。
 
 「アメリカにとっての、過度のプライドとは、」「世界の他の国々の発展に、注意を払わず、」「国際情勢に効果的に対応するための対策を、欠いたことであるが、」「日本人には、この種の危惧は当てはまらない。」
 
 「なぜなら日本人は、自らこういった危機意識を持っていて、」「自己に対する批判も、怠っていないし、」「むしろ国際情勢の変化に呼応して対処することに、巧みであったからである。」
 
 「日本人の傲慢の罪は、自らの優秀性について、」「次第に自信を持つようになり、そこまでは良しとしても、」「外国人に対して、尊大な態度をとるようになり、」「狭量にも、自己の利益を追求するあまり、」「他の国々との友好関係を失い、ついには、」「必要な協力を、得られなくなることにある。」
 
 「ここにこそ、日本人が受ける、ネメシスの報いの可能性がある。」
 
 ネメシスとは、ギリシア神話の中に登場する、天罰の女神の名前です。得意になり、身のほどを忘れたイカロスが、ネメシスの報いを受け、命を落とすという話です。耳痛い言葉ではありませんか。昨年の6月にブログで引用した、マレーシア人のラジャ・ダト・ノンチック氏の詩を、思い出します。平成元年(1989)に、首都クアランプールで書かれたものです。
 
  かって 日本人は 清らかで美しかった
  かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
  アジアの国の誰にでも
  自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
  何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
  おこりんぼや わがままな人もいた
  自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
  いなかったわけじゃない
 
  でも その頃の日本人は そんな少しの いやなことや
  不愉快さを超えて おおらかで まじめで
  希望にみちて明るかった
 
  戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
  学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
  まじめに
  自分たちの父祖や先輩は
  悪いことばかりした残酷無情な
  ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
  だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
  私たちはそんなことはいたしませんと
  いえばよいと思っている。
 
  そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
  自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
  うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
  ひとりよがりの 
  自分本位の えらそうな態度をする
  そんな 今の日本人が 心配だ
 
  ほんとうに どうなっちまったんだろう
  日本人は そんなはずじゃなかったのに
  本当の日本人を知っているわたしたちは
  今は いつも 歯がゆくて 
  悔しい思いがする
 
  自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
  ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
  自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
  さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
  こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
  どうして
  どうして日本人は
  こんなになってしまったんだ  
 
 バブル経済が破綻したのが平成3年ですから、この詩が書かれたのは、バブルの絶頂期です。政治家や経済人だけでなく、海外で働く日本人も、このように驕っていたのでしょう。
 
 こういう事実をマスコミが報道しなかったので、多くの国民は知りません。札束で相手の頬を叩くような、成り上がり者の傲慢さだったと、そんな話も聞きました。急成長した中国や韓国が大国意識をかざし、日本を威嚇するのも、かってのわが国と同じことをしているわけですから、本当は、お互い様なのかもしれません。
 
 40年経った今、氏が指摘した傲慢さが影を潜め、立場が逆転してしまったということです。話が本題を離れましたので、軌道修正し、次回は書評へ戻ります。
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ジャパン・アズ・ナンバーワン - 3 ( 母国アメリカへの警告書 )

2019-09-19 07:06:37 | 徒然の記
 最近は書評が批判ばかりで、健康によくありませんでした。ヴォーゲル氏の著作は、どこを読んでも考えされられ、有意義でした。納得できないところがあっても、違う見方もあるのだと肯定的に読みました。
 
 戦後の私たちは、東京裁判のおかげで、すっかり日本人の魂を失ったと、悲観的に考えていましたが、氏の話を聞きますと、そうではありません。欠点と思っていたことを、氏が評価し、評価するだけでなく、アメリカは謙虚に見習うべきだと言います。
 自分たちのことは、自分が一番知っていると思っていましたが、氏が違った観点から考えさせます。
 
 NHKの反日番組を見、村上議員の愚論を聞き、ヴォーゲル氏の本を思いますと、不安に襲われます。氏が日本の長所として、脅威に感じていたものを、40年後の私たちは、ことごとく失ったのではないのかという不安です。
 
 三木内閣以来、23人の総理大臣が生まれ、現在が23人目の安倍総理です。昭和天皇が独立国には軍隊が不可欠と言われ、憲法改正を願われていたのに、23人の総理の中で、「憲法改正」と「再軍備」を口にしたのは安倍総理だけでした。
 
 吉田茂氏は、日本が貧しい間、再軍備は無理だと言いましたが、世界第二の経済大国と言われるようになった後でも、誰も「憲法改正」を口にしませんでした。影の総理と言われた小沢一郎氏が、湾岸戦争時に金だけ出して済ませたため、日本は欧米諸国から軽視されました。
 
 あとは歴代の総理が、アメリカの企業や政府に言われるまま、日本の市場を解放し、社会の仕組みを崩壊させました。米国の手先として活躍した竹中氏は、最後の仕上げに手を貸しただけで、実際は歴代内閣が、大切な日本の制度や伝統を、代替わりの都度、少しずつ壊していました。
 
 最近では、とうとう最後の砦である「皇室」まで、「人権」や「男女平等」などと言い、破壊しようとしています。自民党の中にも賛成する議員がいますから、恐ろしいことです。
 
 「それでもなお、氏が40年前に賞賛した日本の仕組みや、日本人の心は残っているのだろうか。」
 
 書評を始めるにあたり、一番心にかかっているのがここです。反日番組を作り続けるNHKや、中国や韓国・北朝鮮に心を傾ける村上議員を見ていますと、心配になります。
 
 これからやろうとするのは、40年前の氏の意見が、まだ健在なのかどうか・・の検証です。
 
 学者は自分の意見をアピールするため、研究対象をややもすると過大に表現します。忘れてならないのは、書かれていることが、日本への賞賛でなく、母国アメリカへの警告であるということです。その点に留意しつつ、序文の2ページから転記をいたします。
 
 「アメリカはほとんどの分野において、日本よりも、」「ずっと先を行っていた。」「研究能力の点でも、創造性の点でも、比べ物にならず、」「天然資源、人的資源は、共に十分すぎるほど、」「豊かであった。」「それから15年経った、1975 ( 昭和50 ) 年に帰国した時は、」「日本の友人たちに、指摘されるまでもなく、」「私自身が、一体アメリカはどうなっているのかと、」「疑わざるを得ない、状態であった。」
 
 「この同じ時期、日本はGNPの点では、世界一ではないし、」「政治の面でも、文化の面でも、」「世界の指導的立場に立つ国とは、なり得ていないのは確かだが、」「しかしながら、日本の成功を、いろいろな分野において、」「仔細に検討してみると、この国は、」「その少ない資源にも関わらず、世界のどこの国よりも、」「脱工業化社会の直面する、基本的問題の多くを、」「最も巧みに処理してきたという、確信を持つに至った。」
 
 「私が日本に対して、世界一という言葉を使うのは、」「実は、この意味においてなのである。」
 
 氏が日本を訪れたのは、昭和33~34年の ( 岸内閣 )と、昭和50~51年 ( 三木内閣 )の二回ですが、この時の印象が、いかに大きかったのかということです。日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年( 昭和29年)12月の、第1次鳩山内閣から、1973年( 昭和48年 ) 11月の、第2次田中内閣までの、約19年間だと言われています。この間には「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造景気」、と呼ばれる好景気が続きました。
 
 私が大学を卒業した昭和44年は、高度成長期の最中だったのです。「もうお金はいらないから、休みが欲しい。」と、泊り込みの勤務の続く日に、ため息をついたことを思い出します。日本中が忙しくて、どこも人手不足で、殺気立つほど活気に満ちていました。
 
 現在も多忙で、人手不足だと言われていますが、大きく違っているのは、若者たちの給料です。当時の経営者も、従業員を酷使しましたが、時間外や休日出勤など、誤魔化さずに払ってくれました。働いても貧しいままで、先が見えないという不安はありませんでした。
 
 この点についても、次回から検討し、苦労している息子たちに伝えたいと、思います。 ( こうなりますと、書評が他人事で無くなります。 )
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