今回は横道に入り、吉田茂氏の著書『日本を決定した百年』の紹介です。
反日吉田教授のおかげで、50年ぶりに読み返しました。
参考までに、目次を転記いたします。
第一章 明治の創業 ・・・ 冒険と成功
第二章 近代化のジレンマ
第三章 戦後の二、三年 ・・・ 困難と努力
第四章 奇跡の経済発展 ・・・ 勤勉と幸運
第五章 奇跡の後で
ワンマン宰相と新聞で叩かれていましたから、少年だった頃の私は良い印象を持っていませんでした。わが家の新聞は朝日新聞でしたので、私と朝日も考えてみれば長いつき合いでした。
学生時代と違い、今回の再読は意義深いものになりました。朝日の酷評と異なり、氏は立派な日本の総理でした。田島氏の違法なメモよりずっと歴史的価値のある氏の著作を、息子たちにも伝えたくなりました。
「率直に言って、食うものも着るものもない当時の日本で、百年の大計などはおろか、先々のことを考えて対策を立てるなどと言う、生やさしい事態ではなかった。」
「極端に言えば、その日暮らしの窮境にあった。」
「政府と同じように国民もまた、その日の生活に追われて、生きるために奮闘しなければならなかったのである。」
この文を読みますと、父や母の姿が浮かんできます。それだけでなく、近所の大人たちの貧しい服装や笑顔などが思い出されます。陛下とだけでなく、吉田総理も、私の親たちと一つになり戦後を生きていたと、そんな気持なってきます。
息子たちに言います。せっかくの機会なので、総理の言葉にしばらく耳を傾けてください。NHKや反日学者たちの解説の誤りだけでなく、もしかすると父の偏見も、明らかになるかもしれません。
「幸か不幸か、われわれはその日の生活のことだけでなく、日本の将来に関することも考えなくてならなくなった。」
「占領軍が、徹底的な改革を指令したからである。」
「実際、第二次世界大戦後に訪れた占領軍は、歴史に例を見ないものであった。」
「すなわちアメリカは、ただ単に勝者としてでなく、改革者として日本を 〈 非軍事化〉するために、進駐してきたのである。」
敗戦後の日本で最高責任者であった陛下と吉田総理の、占領軍に対する想いを図らずも、知ることができました。日本を非軍事化し、弱体化させたGHQを憎んでいましたが、案外そうでもない事実がありました。
「彼らはそのための計画を、日本に進駐する前から作っており、日本に進駐してくるやいなや、計画通りに日本の非軍事化と、民主化を推し進めていった。」
「アメリカ本国で組織され、準備を進めて、日本に来た人々は日本を改革すると言う情熱に燃えていた。」
「彼らは典型的なアメリカ人として、精力にあふれ、楽天主義に満ちた人々であり、本質的な善意のため、日本人の尊敬と協力を得るのに成功した。」
50年前の読書では気づきませんでしたが、総理は、GHQに対しかなり肯定的な評価をしていました。居丈高に高圧的に、政府を追い詰めるばかりではなかったと言うことになります。
「しかしまた、彼らはいささか尊大であり、かつ過酷でもあった。彼らは、日本の経済の復興を認めていなかった。」
「昭和20年11月、アメリカ本国から、マッカーサー総司令部に与えられた司令は、貴官は日本経済の復興または強化に対し、なんらの責任を負う事なし、と書いている。」
「彼らは、古い政治構造を破壊し、徹底的な社会改革を行うことが、日本人の生活にどんな影響を与えるかについても、単純に、楽観的であった。」
学生だった50年前の自分と、今の自分の違いも教えられます。学生時代は何も知らずに読んでいましたが、今は氏の一言一言が、「生きた歴史」として心に響きます。
「8月末に進駐してきた進駐軍は、9月11日に、東条元首相などの戦争犯罪人を逮捕したのをはじめとして、日本軍隊の完全な武装解除と、軍事機構の廃止、国家主義団体の解散などの、非軍事化のための措置、」
「好ましからざる人物の公職追放、思想警察、政治警察の廃止、婦人参政権の付与、労働組合の結成、などの民主化のための措置を矢継ぎ早にとった。」
「教育改革、土地改革、財閥解体、新憲法制定などの措置も、だいたい一、二年のうちに行われたのである。それは、無血革命と呼べるような、大変化であった。」
総理の叙述には、GHQに対する怒りや憎悪がありません。この発見は、陛下のお言葉と同じくらいの驚きで、田島氏のメモ以上に貴重な歴史の資料だと、そんな気がしてきました。
( このまま続けたいのですが、スペースの都合で、一旦終わります。)