前回で終わる予定でしたから、ネットで検索していた資料をほとんど削除しました。幸いにも、唯一残っていた資料が、東亜日報への反証データとなります。こういうことなら、データの作成年月日、作成者など、もっと詳しくコピーしておくべきでした。
東亜日報の記事を真似るなら、「全ては後の祭り」ということになります。
「旧日本軍出身の韓国人は、日本統治終了後、」「韓国軍の主力として、朝鮮戦争などでも指導的役割を果し、」「第18代(昭和44年)までの韓国陸軍参謀総長は、全て旧日本軍出身者で占められていた。」
「21世紀になると、日本軍の将官、高級将校を務めたものは、」「貴族院議員、衆議院議員、道知事、裁判官、朝鮮総督府高官などを務めた朝鮮人と同様に、」「親日反民族行為者と、認定されている。」
「他方、北朝鮮においては、旧日本軍の将校以上の地位にあった者は、」「対敵協力者として、ほとんどが粛清され、」「その代わりに、ソ連の士官養成教育を受けた者たちが、」「朝鮮人民軍将校団の、主軸となった。」
見つけたデータは、旧日本軍の中にいた朝鮮人の軍人名です。「将官」「佐官以下」「下士官兵」と、区分されています。
1. 将 官 ( 中将 6名 少将 3名 )
2. 佐官以下 ( 大佐4名 中佐2名 少佐2名 大尉2名 中尉5名 少尉3名 )
3. 下士官兵 ( 准尉1名 上等兵等 6名)
旧日本軍の中に、朝鮮人が何人いたのか知りませんが、中将以下34名の指揮官がいたのです。主として彼らが、朝鮮人部隊を指揮命令していたとしましても、植民地軍人の中に、これだけの指揮官を任命するのは、常識として考えられません。
朝鮮人部隊が無理矢理徴用されてきたというのなら、彼らに日本軍と同様の武器弾薬を支給し、行動させるでしょうか。彼らが日本の軍隊で、日本人として訓練を受け、教育を受け、信頼できる同胞だったから、こういう編成が可能だったのではないでしょうか。この事実は、韓国軍人が、植民地の人間として扱われていなかったという証明になります。
ここからが肝心のデータです。個人名と階級、日本の敗戦後、故国へ戻ったのちの彼らの状況が書かれています。
1. 将 官
- 洪思翊 - 中将(戦犯処刑)
- 趙東潤 - 中将
- 李秉武 - 中将 (丁未七賊)・・新日派・売国奴の意味
- 趙性根 - 中将
- 魚潭 - 中将 (日本名 西川潭一)
- 李垠 - 中将 ( 李 王 )
- 李煕斗 - 少将
- 金應善 - 少将 (日本名 宇都宮金吾)
- 王瑜植 - 少将
2. 佐官以下
- 李應俊 - 大佐 (日本名 香山武俊) (韓国軍中将、初代参謀総長)
- 金錫源 - 大佐 (日本名 金山錫源) (金鵄勲章、韓国軍少将)
- 安秉範 - 大佐 (日本名 亀村貞信) (韓国軍准将、朝鮮戦争で自決)
- 李鍝 - 大佐 (広島市への原子爆弾投下により被爆死)
- 李鍵 - 中佐 (日本名 桃山虔一 ) (李王家、日本に帰化)
- 衛喨 - 中佐
- 蔡秉徳(大島秉徳) - 少佐(韓国軍少将、参謀総長、朝鮮戦争で戦死)
- 白洪錫(徳川英一) - 少佐(韓国軍准将、韓国在郷軍人会初代会長)
- 金貞烈(香川貞雄) - 大尉(韓国軍大将、第19代首相)
- 丁一権(中島一権) - 満州国軍憲兵大尉(韓国軍参謀総長、第9代首相)
- 崔貞根(高山昇) - 中尉(所属していた第66戦隊から「特攻戦死」を認定され、陸軍第六空軍から感状も出された)
- 金擎天 - 中尉(抗日パルチザン、ソビエト連邦の大粛清により粛清)
- 池青天 - 中尉(抗日パルチザン、韓国無任所大臣)
- 朴正煕(高木正雄) - 満州国軍中尉(韓国軍少将、韓国大統領)
- 白善燁 - 満州国軍中尉(韓国軍大将、韓国軍連合参謀会議議長)
- 張都暎 - 少尉(韓国軍中将、参謀総長、国家再建最高会議議長)
- 崔慶禄 - 少尉(韓国軍中将、参謀総長、交通相、国会議員、駐日大韓民国大使)
- 安光鎬 - 少尉(ko)(韓国軍准将、大使、大韓貿易振興公社社長)