「靖国神社は、全ての死者を祀っていませんね。」「死者の魂を、逆臣と忠臣に厳格に区別しています。」「しつこく過去にこだわっているのは、靖国神社も同じですね。」
小島氏はこう言って、靖国神社が日本の伝統に反した、特異な神社であると説明します。
「明治維新後、儒教の影響を受けた平田派の国学者たちにより、」「神道は国家神道、国教とされ、靖国神社が中心に位置づけられました。」「日本の国家意識がここから生まれ、数々の戦争につながったので、」「GHQは、靖国神社を解体し、一宗教法人にしてしまいました。」
「靖国神社は、今は国のものでなくなり、単なる宗教法人なのです。」「靖国神社を拝んでいる国民のうち、何人の人がこうした事実を知っているのでしょうか。」
靖国神社は国と関係がないのだから、昔のような権威がなく、中国や韓国もそれほど重要視する必要はないのではないか。まして敵味方を峻別する思想は、中国や韓国が教えた儒教から来ていますよと言って、苦笑します。
西洋かぶれの学者が、無闇に欧米諸国を称賛するように、中国に心酔する氏は中国と韓国に敬意を払い、丁寧な言葉を使います。遣隋使や遣唐使の昔から、大帝国中国は日本の先生でした。法律、学問、建築、絵画、文字・儒教・仏教・書道など、日本文化の全ては中国から伝わったものです。その点に関する敬意と感謝の気持ちは、私にもあります。
しかし大東亜戦争後の中国は、昔の中国ではありません。日本が変わったのでなく、一党独裁の共産党に支配された中国が、変貌したのです。寛大な大国だった中国は崩壊し、国民弾圧の強権国家となりました。貧しい頃は日本の支援を得ていながら、経済成長を遂げると、反日教育に方向転換しました。東京裁判の結果を利用し、「侵略国家日本」のレッテルで、韓国・北朝鮮と共に攻撃し、国際社会での日本の孤立化を進めています。
日本人の多くが中国を嫌悪し、反感を抱くようになったのは、彼らが武力を背景に無理難題をふっかけるためです。そのような現在の中国に何の疑問も抱かず、膝を屈している氏の意見に私は賛成しません。靖国神社を、国民信仰の対象から外そうとする意図にも賛同しません。
戦いに敗れた日本を、戦勝国連合のGHQが力ずくで変革しましたが、歴史や文化や伝統が、そんなに簡単に消滅するのでしょうか。彼らが強権で何を決めようと、皇室は今も国民の尊崇の中心にあり、靖国神社は、国のため命を捧げたご先祖を祀る大切な社(やしろ)のままです。
靖国神社は、明治天皇の意向によって建てられた招魂社に起源を発し、国のために殉難した人の魂(英霊)246万6千余柱を祀っており、全国にある護国神社と深い関わりがあります。靖国神社の内規により、祀られる祭神 ( 英霊 ) が大きく三つに分けられています。詳細な内規なので、その一部だけを転記します。
- 1. 軍人・軍属
・戦地、事変地、および終戦後の各外地において、戦死、戦傷死、戦病死した者。
- 2. 準軍属その他
・軍の要請に基づいて戦闘に参加し、負傷または疾病により死亡した者。(満州開拓団員・満洲開拓青年義勇隊員・沖縄県一般邦人・・・・・)
- 3. その他
・幕末の志士である吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎
戦前は、陸海両軍の審査によって合祀が内定され、天皇の勅許を経て決定されましたので、靖国神社に祀られることは、死者・遺族にとって最大の名誉でした。敗戦により、靖国神社は一宗教法人化され、陸海軍が廃止されたため、この合祀制度はなくなりました。しかしGHQが合祀制度を解体したからといって、靖国神社を大切にする国民の気持ちは変わりません。
軍国主義、絶対的天皇制と言う言葉で、反日左翼学者は戦前の政府を否定しますが、当時の国民にとって、天皇のために死ぬことは、国のために死ぬことと同じ意味でした。天皇個人のためにご先祖様は命を捧げたのでなく、天皇がおられる日本のために戦ったのです。昭和天皇を思い出せばよく分かりますが、天皇に私(わたくし)はなく、天皇は文字通り、国民統合の象徴としておられました。天皇は特別なことをされるから天皇であるのでなく、何もされなくても、「いらっしゃる」と言う事実だけで、敬愛の中心におられました。
こうした気持ちは、神がかりな盲信でもなく、無知な国民の勘違いでもありません。エリザベス女王も、イギリス国民にとっては、似たようなご存在ではないのでしょうか。中国研究を熱心にするのも悪くはありませんが、肝心の日本のご先祖さまを軽視する氏に、私は首を捻ります。
スペースがなくなりましたので、続きは次回といたします。