昨日、新しい獅子身中の虫を発見しました。「武漢コロナ」による閉じこもり生活の無聊を慰めるため、ネットを検索していましたら、「哲学入門チャンネル」という動画にぶつかりました。
「今こそ知っておきたい、保守派の歴史認識が抱える根本的な矛盾」「ゲスト企画第6弾小島毅先生インタビュー」
挑発的な見出しが、目に止まりました。東大教授の小島氏は、文学部で教鞭をとる中国関係の専門家です。保守派の歴史認識の根本的矛盾とは、なんであるのか。氏の説明によりますと、靖国神社について、保守派が根本的な間違いをしているとのことです。
知らないことを沢山教えてもらい、有難い話でしたので、順序を追って紹介いたします。
〈 1. 靖国神社創建の経緯 〉
・ 文久2年 ( 1862 ) 津和野藩士福羽美静、長州藩士世良利定ら60余名が、京都霊山の霊名舎において、安政の大獄以来の国事殉難者を祀ったのが始まりである。
・ 明治2年 ( 1869 ) 東京招魂社鎮座祭 ・・靖国神社の創建 ( 千代田区九段北 )
・ 明治11年 ( 1878 ) 東京招魂社を靖国神社と改称
神社本庁が編纂した『靖国神社』をもとにした説明で、同書の作成者は元靖国神社禰宜 ( ねぎ ) 沼部順明氏だそうです。同書によりますと、靖国の名前は、漢書『春秋左氏伝』の中にある文字から取られたとのことです。
九段北の靖国神社の発祥が、京都霊山の霊名舎だとは知りませんでした。明治時代になり祀られていた国事殉難者は、東京の招魂社へ移され、それが靖国神社と改称され、その名は漢書から来ていると、さすがに中国関係の専門家です。学徒として、耳を傾ける内容でした。
〈 2. 靖国の起源は倒幕運動 〉
・靖国神社の創建の目的は、幕府から「国賊」として処刑された犠牲者を祀ることにあった。
・靖国神社では、彼らを天皇のために亡くなった「国事殉難者」として祀った。
しかしこのあたりから、氏の意見は、学者というより、反日の響きがしてきます。語り口が穏やかで真摯ですから、反日左翼というより公正な学者という風貌です。普通の人なら騙されます。
〈 3. 靖国祭祀対象は、「英霊」 〉
・幕末から維新にかけての主な殉難者は、吉田松陰、橋本左内、久坂玄瑞、坂本龍馬
〈 4. 「英霊」になっていない殉難者 〉
・井伊直弼、佐久間象山、近藤勇、土方歳三、西郷隆盛
〈 5. 御霊 ( みたま ) 信仰 〉
・死者を神として祀るのは、祟りを恐れる御霊信仰にはじまっている。( 相良親王・菅原道真 )
非業の死を遂げた相良親王と不遇な晩年だった菅原道真は、祟りを恐れた為政者たちが神社を作り、神として祀っています。相良親王を神として祀る神社は、崇道神社という名前で、奈良と京都にあります。また菅原道真は、福岡県太宰府市にある太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)で、天神さまとして庶民の信仰を集めています。
私がここで、氏の意見に疑問を抱いたのは、靖国神社の神道を語るについて、狭い解釈をしているところです。この解釈に従うと、靖国神社の神道が「祟りを恐れる御霊信仰」だけであると、聞こえてしまいます。
氏は意識的に靖国神社の神道を、狭い、融通の効かない信仰として定義づけようとしています。こうすると、氏の反日左翼学説の説明がやりやすくなるからですが、学者としての良心を疑います。神道というのはいうまでもなく、西欧の一神教と異なり、八百万の神を信じるおおらかな信仰です。これといった経典もなく、厳格な教義もありませんから、色々な人が様々な解釈をしています。
以前ブログで説明しましたが、氏と対立する立場にいる田中英道教授の意見を、もう一度紹介します。氏は、神道の特徴として三つを上げています。
1. 自然信仰 山や木や岩など、自然そのものの中に神を見、人間もその一部であると考える。
2. 御霊(みたま)信仰 優れた人や地域に貢献した人など、個人の魂を信仰の対象とする。
3. 祖霊(それい)信仰 自分の祖先を神として大切にし、これが国の祖先である天皇と、無意識のうちにつながる。
見ればわかる通り、小島氏は神道の三つの特徴の中の一つしか説明していません。なぜそのようなことをするのかは、次回以降の氏の説明で明らかになりますので、息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、お手数ながら足を運んでください。