ねこ庭の独り言

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『 日本が軍事大国になる日 』 - 31 ( カンボジア軍の内情 -2 )

2022-03-11 17:14:34 | 徒然の記

 カンボジア軍の内情の、2回目です。氏の説明を紹介します。 

 「現在カンボジア海軍は、士官や技術者も失いつつあり、」「陸軍と違って海軍は、高度な技術を必要とするだけに、」「独立国としての最低の任務も遂行できなくなるのではないかと、心配されている。」「単にこれはカンボジアだけの問題でなく、東南アジア全体の問題でもある。」

 どうしてそうなるのかを氏が説明しますが、簡単な話です。各国ともに、国内に反政府勢力がいて紛争を起こすので、海軍や空軍の整備が必要と分かっていても、そこに回す余力がないのです。

 各国相互の利害関係については、複雑な経緯があるため、一度では頭に入りません。まずは、カンボジアを疲弊させた、過去13年間にわたる内戦の状況について、再整理します。当時カンボジア国内では、下記4つの勢力が戦闘を繰り広げていました。

  1. 北ベトナム軍とベトコンが、カンボジア国内に補給基地を持っていた。

  2. 米国と南ベトナム軍が、カンボジア国内の北ベトナム軍・ベトコンの補給基地を爆撃していた。

  3. 親中・反米のシアヌーク国王が、政権を握っていた。

  4. 親米のロン・ノル国防相がクーデターを起こし、シアヌーク国王を追放して政権についた。

 「ベトナム戦争」と一言で言われていますが、実際の戦場はベトナムだけでなく、カンボジアも含まれていました。紛糾した政治情勢と悲惨な社会事情は、他人事ではありません。上記1~4を見れば分かる通り、争っている政治勢力の背後には、ソ連、アメリカ、中国という大国がいます。

 日本との比較で考えますと、国内には親米のリベラル勢力がいて、反日・親中の政党があり、反日・親ソの政党もあり、自民党の中には保守、親米、親中、親ソの議員が混在しています。

 国会で罵り合っているうちは良いのですが、何かのきっかけで武力紛争になりますと、大国の介入が始まります。いったん外国勢力が国内で動き出すと、カンボジアのようにならないとも限りません。

 内紛を防止するのは、何と言ってもご先祖が残された歴史と伝統です。カンボジアのように内部崩壊をしないためには、国民の気持ちが一つにまとまっていることが一番です。東南アジアの国々は、どのようにして国民の気持ちをまとめていたのか、氏の説明を思い出してみます。

 国王のある国は国王を中心として、国王のない国は軍部を中心として、或いは「愛国心」の強い政治家を中心として、民意を束ねようと努力していました。反日・左翼の人々は反対しますが、日本の歴史と伝統を知っていれば、日本のとるべき道は二つです。

    1. 国民の敬愛の中心にある皇室の護持

      2. 国を守る軍隊を持つこと

 東京裁判史観から生まれた「日本国憲法」をそのままにしていては、ダメだということがここでも分かります。条文の中には、ろくに検討もしないで翻訳した拙速さが、あちこちにあります。日本人ならしないような言葉遣いや、表現があります。

  「平和を愛する諸国民の公正と信義信頼し、」

一つ例を挙げますと、この文章です。正しい日本語なら、次のようになります。

  「平和を愛する諸国民の公正と信義信頼し、」

 世界一素晴らしい憲法が、文法の基本を間違っているのですから、むしろ「世界一の恥」ではないのかと、そんな気がしてなりません。「我ら日本国民は、」などという自己主張を、公文書の中で乱用する習慣は日本にはなかったはずです。

 当時の連合国軍司令部がいかに強かったのか、敗戦後の日本人がどれほど萎縮していたのかを、如実に示す「日本国憲法」です。歴史的に貴重な、恥ずかしい文書として国立博物館に永久保存し、子々孫々に伝えるべきでしょう。

 話が横道へ外れたのでなく、カンボジアの混乱と内戦が他人事ではないということを述べています。171ページは大事なところなので、氏の説明を分解し、時系列で紹介します。

 ・1993( 平成5 )年12月、カンボジアを訪問したタイのプラソン外相が、ラナリット第一首相、フン・セン第二首相と会談した。

 ・タイ外相の訪問目的は、タイがポル・ポト派との関係を断つことを、カンボジア政府に公式に伝達することであった。

 ・タイとポル・ポト派の関係は、カンボジアがベトナムに侵攻された時から強化された。

 ・ベトナム共産主義がタイに浸透するのを恐れたためで、中国の支援を受けていたが反ベトナムだったポル・ポト派を、側面援助した。

 それだけでなくタイは、内紛で弱体化したカンボジアに、さらに追い討ちをかけました。ホテル業者、テレビ会社、砂利採取会社などが無許可で、カンボジア国内で堂々と営業を始めたのです。

 1993( 平成5 )年5月に、国連の監視下で新政権が成立した時、これら「無許可営業」のタイ企業に対する国民の反発が高まりました。カンボジア領海内で、タイ漁船の不法操業を取り締まっていた、カンボジアの係官が殺害される事件もありました。

 カンボジア新政府は、タイ資本の水上ホテルに立退きを命じ、他の無許可営業のタイ企業にも厳しい姿勢を見せ始め、両国の関係が冷却化の方向に進んでいました。タイのプラソン外相がカンボジアを訪れたのは、両国の関係改善のためでした。

 これに関する氏の意見は、次のようなものです。

 「もしタイが本当にポル・ポト派との関係を断絶するなら、」「すでに中国が、ポル・ポト派との関係を打ち切っているだけに、」「それは東南アジアの安定化を高める、好ましい方向に向かうことを意味するはずである。」

 現在のカンボジアがどうなっているのか、知りませんが、2月7日の千葉日報に、カンボジアの首相後継者・フン・マネット氏が来日する、という記事が掲載されていました。

 これからはもっと、東南アジアの国々のことを知ろうと思います。次回はラオスとミャンマーです。

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