2月1日のTBSニュースで、89歳で亡くなった石原慎太郎氏の追悼動画を見ました。16万9千人の人が見ていました。
「人から愛されて死にたいね」89歳で死去 石原慎太郎元都知事の歩み
この大きな見出しにふさわしい内容でした。この人の過去の経歴を、今更繰り返すことはしませんが、言いたいことを言い、やりたいことをやった人生でないかと、敬意を表したい気持ちがあります。
常にマスコミの話題を集め、何をするにもニュースの発信源になる人でした。皇室に関してどのような意見を持っていたのか、そこは知りませんが、「憲法改正」については、ほとんど意見が重なります。
日本語になっていない、ひどい文章だと言う意見も同じですし、戦後の日本人を個人主義という名の「利己主義者」に育て上げ、社会への連帯意識を失くさせた元凶だ、という考えにも同意しています。
海が荒れた時の避難場所として、尖閣の島に漁船の船だまりを作り、灯台も立てるべきという意見にも賛同しています。( 外務省と国交省が反対したと言います。)
動画を見終わった気持ちは、「この石原氏ですら、日本の政治を変えられなかった。」もっと言えば、「石原氏でさえ、自民党を変えられなかった。」という厳しい現実への認識でした。
最後は自民党に愛想をつかし、同志とともに新党を立ち上げ、国政復帰と政界刷新を目指していました。この時すでに80才でしたから、最後のご奉公でしたが、氏の最後の試みは花を開かせることなく散ってしまいました。
作った政党は、「太陽の党」「日本維新の会」「次世代の党(日本のこころ)」などでしたが、政界の長い動きの中で見れば、線香花火のようなものでした。
政党を作るのは簡単でも、維持し発展させるのは並大抵のことではないと、氏が教えてくれました。新党の仕事はちょっと考えてみるだけでも、時間と資金とが不可欠です。結党の精神と政策だけでなく、中心となる人物の強い精神と忍耐力が要ります。最初は少人数ですが、10人、100人、300人と増えても、結党の精神と政策が全員の心で燃え続けていなければなりません。
集まって議論を深めるには、活動の拠点が要りますし、その場所を党の事務所と呼ぶのか、会議所と言うのか、借りるにしても買うにしても、タダでは手に入りません。活動範囲が広がれば、地域ごとに必要になります。
最初は少人数ですから、個々人がボランティアで活動していても、多人数となれば、党の活動資金がまとまって要ります。
こうしてみますと、石原氏には向かない仕事ばかりであるような気がします。思索し、発案しても、周りの人間を振り向かせ、賛同させ、同じ気持ちにさせる仕事は、短気な人間にはできません。言うまでもありませんが、世の中には偉い人もいるしバカな人もいます。何を言っても素直に聞かず、他人を疑る人間や、儲け話になるのならと、利益を追い求める人間もいます。
記者会見のやりとりを見ていますと、質問する記者を馬鹿にしたり、言い返したりしています。テレビを見ている者には痛快だとしても、これではマスコミを敵に回すだけで、何も協力してもらえません。報道で取り上げられても、批判や攻撃の対象としてだけニュースにされるのでは、政党の活動が世間に広まりません。
それでも氏は、TBSニュースの動画ではあまり酷評されず、話した言葉がそのまま伝えられていますから、マスコミに愛されていたのではないでしょうか。
一人の政治家の生きた証として、特別番組が作られているのですから、やはり普通の人物ではありません。最後の最後までニュースバリューのある、ひとかどの政治家だったと言うことです。
さてここまできて、ハタと考えます。自分は息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々に何が言いたいのか。
「石原氏のような、すごい人物でも自民党が変えられなかった。」「政治も変えられなかった。」
ならばこの自分が、千葉の片隅からブログで発信して、何か日本が変わるのだろうか。何か意味があるのだろうか・・・そんな疑問を持ち、いやいやそうではないと考え直した・・と言うことを伝えようとしています。
「ねこ庭」のブログを訪れる方は多くても600~800人ですと言いましたが、それは読まれたブログの件数ですから、一人の方が3~4件読まれていることを考えますと、実際の人数は、一日せいぜい200~300人です。追悼動画の視聴者が16万9千人ですから、自分のブログと比較し、いささか気落ちしてしまいました。
しかし日本には、私のように国を大切に思い、毎日ブログを発信している人たちが、千人も万人もいることを忘れていました。千人、万人の人が毎日努力すれば、そのうち10万人、100万人となるはずです。いわば石原氏も、その多数の国民の一人です。
「大切な先輩の一人と、つまらない比較などせず、自分の分を尽くせば良いのだ。」
書く必要もなかった気がいたしますが、これが私の結論です。