九闋 遣唐使 ( けんとおし ) 帰らなかった遣唐使 7行詩
十闋 城伊澤 (いざわにきづく) 桓武天皇と蝦夷征伐 8行詩
十一闋 髫齓天皇 ( ちょうしんてんのう ) 藤原一族の繁栄 6行詩
十二闋 賢聖障子 ( けんじょうのしょうじ ) 菅原道真の出世と左遷 8行詩
十三闋 脱御衣 ( ぎょいをだっす ) 醍醐天皇のご親政 10行詩
九闋 (けつ) が終わりましたので、本日は「十闋 城伊澤 (いざわにきづく) 」を紹介します。NHKのドキュメント『緑なき島』のブログのため、一ヶ月間書評を中断していたので、ちょうど良い内容です。頼山陽の漢詩の解説に入る前に、氏がこれまでの経緯を要約しています。
「延暦十九年 ( 西暦800 ) の3月、富士山が爆発したが、それはなかなかおさまらず、2年後もまだ火を噴いていた。」
こういう叙述で始まるのですから、この本はまさに壮大な歴史書です。富士山の噴火にも匹敵する大地震が、近いうちに二つも起こるという物騒な予測がされている時なので、身に迫る緊張感があります。
〈 マグニチュード7~8クラスの地震予測 〉
1. 首都直下地震 ・・南関東のどこかで起こる
2. 南海トラフ地震 ・・ 東海から西南日本の広域
激しい揺れと津波による被害がおこる大地震が、いずれも30年以内に70%の確率で起こると言われています。
先日福島・仙台を中心として発生した東日本大震災が、マグニチュード9でしたから、多くの人が自然災害の恐ろしさを未だ忘れていません。およそ1200年前の出来事とは言え、あの富士山が二度も爆発したというのですから驚きました。
「その頃朝廷は、天武天皇 ( 大海人皇子・おおあまのおうじ ) の系統から天皇が出ることは、重祚の女帝 ( 孝謙・称徳 ) をもって永久に終わり、皇統は再び天智天皇 ( 中大兄皇子・なかのおおえのおうじ ) と弘文天皇 ( 大友皇子・おおとものおうじ ) の系統に戻った。」
「白壁皇子 ( しらかべのおうじ ) が第四十九代光仁 ( こうにん ) 天皇に、その子の山部皇子 ( やまべのおうじ ) が第五十代桓武 ( かんむ ) 天皇にとなり、都を平城から長岡へ移し、更にそこから平安京に遷都して数年経っていた。」「平安京は、言うまでもなく今の京都である。」
ここまで親切に説明をされると、忘れていた記憶が戻ります。関東地方が開かれた土地となり、人口が爆発的に増えたのは、家康が移り住んで幕府を開いた以降ですから、当時は人口の少ない辺鄙な土地だったはずです。もしかすると、京都に住んでいる人々には、富士山の二度の爆発はそれほどの脅威でなかったのかもしれません。
「〈百世遷らず〉と称された都を築いた桓武天皇は、器量の大きな方であった。皇太子になられたのが三十七才、即位されたのが四十五才、おかくれになったのが七十才であり、皇位にあることが四分の一世紀に及んだ。」
頼山陽の「書き下し文」と徳岡氏の「大意」について語る前に、氏は桓武天皇その人について詳しく説明しています。十闋で桓武天皇がいかに大きな比重で語られているのかが、伺われます。
氏の著作に従い、次回も桓武天皇についての説明を紹介します。