奧氏を有名にした事件ついて、ウィキペディアの情報を割愛して紹介します。
・2017 ( 平成29 ) 年3月、奥は韓国・忠清南道天安市の国立墓地に深夜侵入し、設置されている謝罪碑の前に立った。
・謝罪碑は、1983 ( 昭和58 ) 年12月に吉田清治が著書の印税で建てたもので、慰安婦への謝罪文が彫られている。
・謝罪文を覆い隠す別の碑を貼り付けるよう、奥は吉田清治の長男から依頼された。貼り付ける碑の大きさは、横幅120センチ、縦80センチ。
・貼り付けた碑文の内容は、「慰霊碑 吉田雄兎 日本国 福岡」と韓国語で記していた。吉田雄兎は、吉田清治の本名。
・奥は実行後に、管理事務所に置き手紙を残して帰国した。
・2017 ( 平成29 ) 年4月、韓国の天安西北警察の刑事から電話連絡があり、出頭を求めらた。
・同年6月24日、奥は仁川国際空港到着後、空港内で身柄を拘束され、 警察、検察の取り調べを受けた。
・処分が決定せず、80日前後出国禁止処分が解かれず軟禁状態であったが、9月14日公用物損傷と建造物侵入の罪で在宅起訴された。
・公判での最終意見陳述で奥は、「日本で碑は、吉田氏個人のものと認識されている。そうでなければ、長男も依頼しなかったし、私も実行しなかった」と犯意を否認。検察が懲役1年を求刑し。即日結審。
・2018 ( 平成30 ) 年1月、大田地裁天安支部は「故意があり、犯行を緻密に計画した」として、懲役6ヶ月、執行猶予2年を言い渡した。
・奥は、検察側や弁護人と裁判官のやり取りの大半に加え、論告求刑や最終弁論も通訳が日本語に翻訳しなかった等の対応を、高裁に控訴をした。しかし周辺の勧めを受けて、控訴を取下げた。
・出国禁止措置で、220日間日本に帰国出来なかったが、同年2月2日、仁川国際空港経由で那覇市に帰国した。
ネットで検索しますと、氏について産経新聞や朝日新聞、時事通信などが報道していました。参考までに紹介しますと、次の通りです。
平成29年9月14日 産経新聞 時事通信
平成29年12月21日 産経新聞 朝日新聞
平成30年1月11日 時事通信 1月16日 産経新聞 1月30日 産経新聞
平成30年2月2日 産経新聞
朝日新聞と時事通信社の記事を読もうとしましたが、「該当する記事が見当たりません」と表示され、読めなくなっています。大嘘の記事を世界に発信した張本人が朝日新聞ですから、削除する理由があるのでしょう。
産経新聞の記事は全部読めますので、紹介しようと思いましたが、「ねこ庭」への侵入を阻止されたトラッカーの件数を見て、驚きました。3月6日19時35分現在、124件になっています。息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々も、長すぎるシリーズに退屈されるている頃だと思いますし、本気で終わらせなくてなりません。
中国人女性 「私が島を買った」
調べるほどに広がりを見せ、このまま続けますと蜘蛛の糸にかかった虫のように、情報過多で身動きの取れなくなる自分が見えます。平成30年2月13日に、帰国した奧氏が福岡市で「慰安婦裁判帰国報告」と題して講演をしていました。主催は福岡県郷友連盟ですが、ブログのまとめになりそうな内容なので、これを紹介します。情報源は、「選報日本」です。
・奥茂治氏は、フリージャーナリストである大高未貴氏の依頼で調査活動を行っており、その課程で故・吉田清治氏の長男に出会い、同氏の依頼によって「謝罪碑」を書き換えたと言う。