〈 総務省内の元郵政官僚、元自治省官僚の対立とは、どういうものなのか。〉
テーマは同じですが、今回は旧・内務省に関する情報を紹介します。1945 ( 昭和20 ) 年8月GHQが日本軍を解体した時、政府が閣議決定した〈 警察力の整備拡充 〉とは、次のようなものでした。
1. 警察官数を定員の二倍にする。・・定員 9万2713人
2. 騒擾事件・集団的暴動・天災などに対処するための、集団的機動力をもつ2組織の設置
・警 備 隊 ( 常時2万人、必要時には一般警察官により4万人編成 )
・武装警察隊 ( 軽機関銃、自動短銃、小銃、トラック、無線機などの武器・機材の整備 )
3. 海軍なき後の領海警備のため、水上警察の強化。( 2万人)
以上3項目が重点でしたが、さらにありました。
「特高警察については大幅な拡充を計画し、「昭和21年度警察予算概算要求書」で、特高警察拡充・強化のために、1900万円を要求。」
特高警察強化の内容は、次の7点でした。
1. 視察内偵の強化・・共産主義運動、右翼その他の尖鋭分子、連合国進駐地域における不穏策動の防止
2. 労働争議、小作争議の防止・取締り
3. 朝鮮人関係関係
4. 情報機能の整備
5. 港湾警備
6. 列車移動警察、
7. 教養訓練(特高講習、特高資料の作成)
「政府・内務省は、警察力の武装化と特高警察の拡充・強化によって、敗戦による未曽有の社会的悪条件の下にある民心の動揺を未然に防止し、不穏な策動を徹底的に防止することを企図していた。」
戦前の内務省の力を一番よく教えてくれるのが、「特高警察」ではないかと思います。横道へそれますが、息子たちのためには大切なことなので、今では誰も口にしない「特高」に関する情報を紹介します。
「特別高等警察 ( 略して〈 特高警察 〉〈 特高 〉) は、日本の秘密警察で、国体護持のため無政府主義者、共産主義者、社会主義者、および国家の存在を否認する者や、過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まることを目的としていた。」
「1928 ( 昭和3 ) 年には、内務省警保局保安課を総元締めとして、全国都道府県に設置された。」
特高は左翼主義者だけでなく、過激な国家主義者も取り締まりの対象としていますが、主たる対象は共産党を中心とする左翼主義者の取り締まりでした。そうなると「小西文書」の現在では、総務省内の「自治省系の官僚」と「郵政省系の官僚」の間に別の対立要素が見えてきます。
つまり、反日左翼報道を黙認する「郵政省系官僚」と、社会主義者を取り締まりの対象と考える「自治省系官僚」の対立です。小西文書が開いた「パンドラの箱」の中身は、「現業省庁」と「政策省庁」という図式でなく、「反日左翼勢力」と「頑迷保守勢力」の睨み合いだったのかもしれません。
ここでもう一度ウィキペディアの説明に戻り、敗戦後の内務省とGHQの動きを紹介します。
「1945年(昭和20年)10月、政府はGHQに上記の警察力拡充計画の許可を求めたが、GHQはこれを拒否した。
「同年10月4日GHQは、特別高等警察や政府による検閲の廃止を指示、さらに内務省下の中央集権的な警察機構の解体・細分化を求めた。また、警保局や地方局を中心に公職追放の対象となる官僚が続出した。」
息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、伝えたいと思う興味深い情報が次にあります。
「内務省廃止の式典の最後に、中堅・若手の内務官僚が集まり、〈 必ず将来、内務省を復活させます 〉と、内務省の先輩に誓って解散したという秘話が伝えられている。」
「式典の後、最後の別れの酒宴が開かれた席上で、居残り組(総理庁官房自治課)の中心である鈴木俊一が、内務省の先輩達に対して、〈 私があとに残って、必ず内務省を元通り復活させてみせます 〉と誓ったとされる。」
「官庁の中の官庁」、「官僚勢力の総本山」、「官僚の本拠」と呼ばれる最有力官庁が、他国の干渉で解体させられるのですから、このくらいのことを言う人物がいてもおかしくありません。日本人の魂を持つ官僚なら、言わない方がおかしいと言う気もします。
話がさらに横道へ進みますが、次回は鈴木俊一氏に関する情報を紹介します。