今回は、昨年の9月から10月にかけ39回のシリーズで書いた「 6つの談話 」からのアプローチです。どんな談話があったのか、再度紹介します。
〈 日本の桎梏となった6つの「談話」 〉
1. 1982 ( 昭和57 ) 年8月26日・・鈴木善幸内閣
宮沢官房長官談話 歴史教科書に関する談話
2. 1993 ( 平成5 ) 年8月4日 ・・宮沢喜一内閣
河野官房長官談話 慰安婦関係調査結果に関する報告
3. 1993 ( 平成5 ) 年8月15日
細川総理式辞 日本武道館での「戦没者追悼式典」
4. 1995 ( 平成7 ) 年8月15日
村山談話 戦後50周年の「終戦記念日」にあたっての談話
5. 2005 ( 平成17 ) 年8月15日
小泉総理大臣談話 戦後60周年の談話
6. 2015 ( 平成27 ) 年8月15日
安倍談話 戦後70周年の談話 「歴史修正主義者」のイメージ払拭
6人の政治家の名前がありますが、細川、村山、安倍の3氏は除外します。細川・村山両総理は自民党員でなく、元々反日左翼系の人物であり、安倍氏は党内リベラルに邪魔されている当事者だからです。簡単に言いますと、残りの3人が反安倍勢力のりリベラル議員で、捩れ曲がった自民党を作った功労者です。
現在は保守の人々の間でも、「宮沢談話」は話題に上らず、「河野談話」が諸悪の根源として批判されていますが、私自身はそれに劣らない談話が「宮沢談話」と考えています。両氏は「東京裁判」を頭から信じ、「日本だけが間違った戦争をし、中国と韓国を侵略した」と本気で思っている政治家です。
二人とも新聞記事の大ウソを確かめもせず、中国と韓国にお詫びの政府談話を発表し、日本外交を縛ってしまいました。宮沢氏は日本テレビと産経グルーブの記者の誤報を確認せずに信じ、お詫びの談話を出しました。教科書の内容に近隣諸国が疑義を唱えたら、誠意を持って対処すると、世界のどこの国もしていない約束を公表しました。これが「近隣諸国条項」と呼ばれ、中国、韓国・北朝鮮に歴史問題で批判攻撃させる発端となってしまいました。
同じ東大を出ていても、法学部以外の人間は東大卒と言わないと、頭脳明晰のエリートを自負する氏は、農林省水産講習所 ( 現・東京海洋大学 ) 出身の鈴木善幸首相を軽視し、独断専行に近い形で「談話」を発表しています。自分一人が国を背負っていると錯覚し、学歴を鼻にかける官僚政治家の見本のような人物です。元々は旧大蔵省( 現財務省 ) の官僚でしたが、氏の影響もあってか財務省には今も首相を無視するエリートが仕事をしているようです。
先日出版された安倍氏の『回顧録』の中では、「省益のためなら、総理も倒す」とそのような財務省不信感が綴られていたと聞きます。
政治家の「談話」でありませんが、鈴木内閣の次の中曽根内閣の時、今日の日本外交を決定した国会答弁を外務省の次官がしています。のちに「屈辱外交」「土下座外交」と言われる「ハンデイキャップ外交論」です。
・ 1985 ( 昭和60 ) 年11月・・中曽根康弘内閣 衆議院外務委員会
社会党の土井たか子氏の質問に対する、小和田恒( ひさし ) 氏 の回答
「極東軍事裁判で日本は中国への侵略を認めている。」「従って日本は、相手国に対しては、相手が納得するまで、未来永劫謝り続けなければならない。」
当時の次官は所管の大臣より格が上で、次官の意見がそのまま国の外交方針となり、現在も引き継がれています。外務省の官僚だけでなく、自民党の議員も「ハンディキャップ外交論」を正しいと信じる者がいて、安倍氏の足を引っ張り続けました。「平和外交」「大人の外交」「他国を刺激してはならない」と主張し、「憲法改正」に反対する議員は、この流れに属する反日議員です。
そして最後の河野氏は、朝日新聞の大嘘記事(吉田清治の作り話)を鵜呑みにして謝罪し、泥沼の「慰安婦問題」のきっかけを作りました。誤報や嘘と分かった以後も、宮沢氏と河野氏は自分たちの誤りを認めず、頑固に「日本が悪かった」と言い続けていますから、彼らは立派な反安倍勢力です。( 竹中平蔵氏を重用し、米国に言われるまま日本の経済社会を崩壊させた小泉氏は、語るまでもないので省略しました。 )
日本を縛った理不尽な「談話」という視点から、自民党内の反日議員を紹介しました。横道へ逸れているのでなく、「小西文書」の背景を理解するには欠かせない情報です。
次回は、3月2日から3月17日まで、反日の共同通信社が全国にどのような記事を配信しているのか、千葉日報新聞の紙面から紹介します。