〈 3. 7月12日 「トイレ制限 国に違法判決」「性同一性障害巡り最高裁 」「経産省職員 勝訴確定」〉
今はどうなっているのか知りませんが、私が入学した頃の大学では、クラスと言えるのは第一外国語の授業だけで、このクラスだけが同じメンバーの学生でした。それ以外の授業は、学生の選択がまちまちで、教室も大教室であったり中教室であったり生徒の数が違っていました。第一外国語のクラスメイトだけが変わらないメンバーで、卒業まで机を並べました。
18才で入学した私は希望に燃えた一年生で、第一外国語に英語、第二外国語にドイツ語を選びました。語学のクラスは複数ありましたが、クラス単位のメンバーは卒業まで不変で、30名くらいの小ぢんまりとした教室でした。
男子ばかりのクラスなのに、教授が出欠の確認をする時、いつも後ろの方で女性の声で返事がありました。どうしてなのだろうと思っている内に、4月が過ぎ5月が過ぎました。信じられない人もいると思いますが、当時の私は引っ込み思案で、積極的に友人を作るタイプではありませんでした。もう直ぐ夏休みになるという6月のある日、隣に座っている本田君にそっと尋ねました。本田君の父君は東京工業大学の教授だということで、彼は父を自慢にしていました。
「ああ、それは波多 ( はた ) だよ。」
以前から知っているらしく、なんでもない風に教えてくれました。波多君は、いつも教室の後ろに座っている無口な学生で、短髪の学生が多い中で前髪が垂れるほど伸ばしていました。細面で色の白いやさ男ですから、女性のような声を出すのかと納得しました。フランスにいるお婆さんに育てられているらしく、休みになるとフランスへ行くのだそうです。
当時はまだ日本が貧しかったため、政府の為替管理が厳しく、一般人の渡航を許可しない時でした。今からすると嘘みたいな話ですが、政治家、財界人、著名な芸術家、マスコミ関係者など特別の人間でない限り、外貨を使わせてくれませんでした。海外旅行は、当時の学生というより、多くの日本人の憧れでしたから、波多君がフランスと行き来していると聞くと、その方が羨ましくてなりませんでした。
その波多君が夏休みが終わると、女学生の姿で現れました。びっくりしたのは私だけで、他のクラスメートたちは何事もないように、波多君に接していました。髪を長く肩まで伸ばしスカートを履いた波多君が、声にふさわしい姿になったということです。美人だったら良かったのでしょうが、天は二物を与えなかったようでした。
その彼が10月の初め頃だつたと思いますが、突然クラスから姿を消してしまいました。
「波多は日本では暮らしにくかったらしい。フランスのおばあちゃんと暮らすと、決めたようだな。」
教えてくれたのは仲井君で、彼のお祖父さんは裁判官でしたから、そのせいかいつも穏やかで自信に満ちていました。
長い話をしましたが、性同一性障害と思われる波多君との思い出はこれだけです。言いたかったのは、男子だった時も女装した時もクラスでは誰も彼を奇異の目で見たり、特別扱いをしたりしなかったということです。
それでも波多君は何かに生きづらさを感じ、なにかに傷つき、学校を辞めたのだと思います。国を訴えた経産省の職員には、波多君のようにフランスに引き取ってくれる親族もいなかったのでしょうから、日本で生きるしかありません。だから私は、彼の気持ちが全く分からない訳ではありません。
思い出を踏まえた上で、記事の続きを紹介します。
・最高裁第3法廷はまず、個別事情や職場でのトラブルがなかった状況を考慮した
・職員は自認する性と異なる男性用か、離れたフロアの女性用トイレしか使えなかった
・これは日常的な不利益を受けていると、指摘した
人事院の判定を不服として、職員が訴え、最高裁判所の判決が出るまで8年が経過しています。この間関係する人々が、問題を放置していたのでなく、議論が続いていました。悪意の人間が誰もいない、どの人間の気持ちも分かる・・しかしこんなことを言っていたら結論は永遠に出ません。政治にも、日常生活にも、結論が入ります。千葉の片隅の「ねこ庭」であっても、結論が大事です。
分かっていますが、まだ考えがまとまりませんので、次回も記事の紹介を続けます。忍耐力と、愛国心が頼りです。