ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

爽快な秋空と陰鬱な石破内閣 - 2 ( 岸田氏の弔文 )

2024-10-07 18:35:26 | 徒然の記

 菅氏の「弔文」の格調に比較すると落ちますが、そのかわり具体性があります。安倍首相と、同期当選だったことも知りました。

 北朝鮮と拉致家族のこと、「戦後レジームからの脱却」の意味、地球を俯瞰する外交を外務大臣として支えてきたこと。最後は、新渡戸稲造の言葉まで紹介して、安倍政治の継承を誓っています。

 菅氏のように心に染みる言葉はありませんが、凡庸な人物らしく真面目で退屈な弔辞です。以下、コメントなしで全文を紹介します。

 ・従一位、大勲位菊花章頸飾(けいしょく)、安倍晋三・元内閣総理大臣の、国葬儀が執り行われるに当たり、ここに、政府を代表し、謹んで、追悼のことばを捧げます。

 ・7月8日、選挙戦が最終盤を迎える中、安倍さん、あなたは、いつもの通り、この国の進むべき道を、聴衆の前で熱く語りかけておられた。

 ・そして、突然、それは、暴力によってさえぎられた。あってはならないことが起きてしまいました。

 ・いったい誰が、こんな日が来ることを、寸毫(すんごう)なりとも予知することができたでしょうか。安倍さん、あなたは、まだまだ、長く、生きていてもらわなければならない人でした。

 ・日本と世界の行く末を示す羅針盤として、この先も、10年、いや20年、力を尽くしてくださるものと、わたくしは、確信しておりました。

 ・わたくしばかりでは、ありません。本日、ここに、日本の各界各層から、世界中の国と地域から、あなたを惜しむ方々が、参列してくださいました。みな、同じ思いをもって、あなたのお姿に、まなざしを注いでいるはずです。

 ・しかしそれは、もはや、叶(かな)うことはない。残念でなりません。痛恨の極みであります。

 ・29年前、第40回衆議院議員総選挙に、あなたと、わたくしは、初めて当選し、ともに、政治の世界へ飛び込みました。

 ・わたくしは、同期の一人として、安全保障、外交について、さらには経済、社会保障に関しても、勉強と、研鑽(けんさん)に、たゆみなかったあなたの姿を、つぶさに見てまいりました。

 ・なによりも、北朝鮮が日本国民を連れ去った拉致事件について、あなたは、まだ議会に席を得るはるか前から、強い憤りをもち、並々ならぬ正義感をもって、関心を深めておられた姿を、わたくしは知っています。

 ・被害者の方々を、ついに連れ戻すことができなかったことは、さぞかし無念であったでしょう。わたくしはあなたの遺志を継ぎ、一日千秋の思いで待つご家族のもとに、拉致被害者が帰ってくることができるよう、全力を尽くす所存です。

 ・平成18年、あなたは、52歳で、内閣総理大臣になりました。戦後に生を受けた人として、初めての例でした。

 ・わたしたち世代の旗手として、当時あなたが、戦後置き去りにされた、国家の根幹的な課題に、次々とチャレンジされるのを、期待と、興奮をもって眺めたことを、今、思い起こしております。

 ・わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ。まだまだ大いなる可能性を秘めている。

 ・それを引き出すのは、わたしたちの勇気と、英知と、努力である。日本人であることを誇りに思い、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか。

 ・戦後最も若い総理大臣が発した、国民へのメッセージは、シンプルで明快でした。

 ・「戦後レジームからの脱却」――。防衛庁を、独自の予算編成ができる防衛省に昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた、大きな橋を架けられました。

 ・教育基本法を、約60年ぶりに改めて、新しい、日本のアイデンティティの種を蒔(ま)きました。

 ・インドの国会に立ったあなたは、「二つの海の交わり」を説いて、「インド太平洋」という概念を、初めて打ち出しました。

 ・これらはすべて、今日につらなる、いしずえです。

 ・そのころあなたは国会で、「総理大臣とはどういうものか」との質問をうけ、溶けた鉄を鋳型に流し込めばそれでできる鋳造品ではない、と答えています。

 ・叩(たた)かれて、叩かれて、やっと形をなす鍛造品。それが総理というものだ、と、そう言っています。鉄鋼マンとして世に出た人らしいたとえです。

 ・そんなあなたにとって、わずか1年で総理の職務に自ら終止符を打たねばならなかったことくらい、つらい事はなかったでありましょう。しかしわたしたちはもう、よく承知しています。

 ・平成24年の暮れ、もう一度総理の座につくまでに、あなたは、みずからを、いっそう強い鍛造品として鍛えていたのです。

 ・「二つの海の交わり」を説いたあなたは、さらに考えを深め、「自由で開かれたインド太平洋」という、たくさんの国、多くの人々を包摂する枠組みへと育てました。

 ・米国との関係を格段に強化し、日米の抑止力を飛躍的に強くしたうえに、年来の主張にもとづき、インド、オーストラリアとの連携を充実させて、「クアッド」の枠組みをつくりました。

 ・あなたの重層的な外交は、世界のどの地域とも良好な関係を築かれた。

 ・欧州との経済連携協定と戦略的パートナーシップ協定の締結、そして、アジア地域、ユーラシア地域、中東、アフリカ、中南米地域と、これまでにない果断で率直な外交を展開され、次々と深い協力関係を築かれていった。

 ・平和安全法制、特定秘密保護法など、苦しい経過を乗り切って、あなたは成就させ、ために、わが国の安全は、より一層保てるようになりました。

 ・日本と、地域、さらには世界の安全を支える頼もしい屋根をかけ、自由、民主主義、人権と法の支配を重んじる開かれた国際秩序の維持増進に、世界のだれより力を尽くしたのは、安倍晋三その人でした。

 ・わたくしは、外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友としてあなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に、一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとすることでしょう。

 ・国内にあっては、あなたは若い人々を、とりわけ女性を励ましました。子育ての負担を、少しでもやわらげることで、希望出生率をかなえようと、努力をされた。

 ・消費税を上げるかわりに、増える歳入を、保育費や学費を下げる途(みち)に用いる決断をしたのは、その途の先に、自信を取り戻した日本の若者が、新しい何かを生み出して、日本を前に進めてくれるに違いないと、信じていたからです。

 ・あなたはわが国憲政史上最も長く政権にありましたが、歴史は、その長さよりも、達成した事績によって、あなたを記憶することでしょう。

 ・「勇とは義(ただ)しき事をなすことなり」、という新渡戸稲造の言葉を、あなたはいちど、防衛大学校の卒業式で使っています。

   Courage is doing what is right.

 ・安倍さん。あなたこそ、勇気の人でありました。

 ・一途な誠の人、熱い情けの人であって、友人をこよなく大切にし、昭恵夫人を深く愛したよき夫でもあったあなたのことを、わたくしは、いつまでも、懐かしく思い出すだろうと思います。

 ・そして、日本の、世界中の多くの人たちが、「安倍総理の頃」、「安倍総理の時代」、などと、あなたを懐かしむに違いありません。

 ・あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします。

  安倍さん、安倍総理

 ・お疲れさまでした。そして、本当にありがとうございました。どうか、安らかにおやすみください。

  令和4年9月27日

    日本国内閣総理大臣、岸田文雄

 「厚顔無恥」とは氏のためにある言葉です。歯の浮くような褒め言葉を並べながら、たった2年後に安倍氏の政策を踏み躙るのですから、菅氏と似ています。

 呆れて、すぐにはブログが続けられません。岸田首相の「弔文」に関する感想は、時間をおいて頭を冷やし、それからといたします。

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爽快な秋空と陰鬱な石破内閣 ( 菅氏の弔文 )

2024-10-07 13:36:56 | 徒然の記

 ねこ庭の上空に、久しぶりの爽快な秋空が広がっています。

 私の部屋だけは、9月27日にリベラリストの石破氏が総裁選に勝利して以来、陰鬱で不快な曇り空の下です。

 「8年間も安倍さんを支えてきた菅さんが、安倍さんの全てを否定する行動に出たのが、最大の背信ですね。」

 ネットでは、菅氏への怒りと失望と疑問が語られています。

 同じ疑問を抱く私は、9月6日の「ねこ庭」で国葬の日の氏の「弔文」を紹介しました。何度読んでも心に染みる「言葉」で、後半部分は今も忘れていません。

 ・国難を突破し、強い日本を創る。そして真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。いつも周りの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 ・総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。

 ・衆院第1議員会館1212号室のあなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだという最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで線を引いたところがありました。

 ・印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

  かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 ・深い悲しみと寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。

 それからたった二年後に、菅氏は反日リベラリストの「小石河」の支援者になりました。安倍氏の反対側にいて邪魔をしていたのが、「小石河」の3人だったはずです。

 大手メディアでは取り上げませんが、ネットの世界では、9月30日の石破内閣・新役員共同記者会見での、菅氏の発言の動画が繰り返し放映されています。書かれたコメントの一部を、紹介します。

 ・こんなにヨレヨレになっても、自分達の私利私欲の為に、石破上げは出来るのね。
 
 ・これを、生きる屍っていうんですよね
 ・ガースーよ、なんということ...おいたわしや
 
 官房長官だった時、定例記者会見で会場を見渡し、堂々と記者を相手にしていた氏の面影は、どこにもありません。うつろな表情で言葉を探す氏の姿にボケの症状が見えました。

 安倍政権を支えてきたのは、外相だった岸田氏も同じです。菅氏と違い、もともと能天気なところのある岸田氏は、精神を痛めてボケる心配はなさそうですが、「裏切り行為」をしたという点で一致しています。

 次回は岸田氏の大嘘の「弔文」を紹介し、その後で二人の裏切りの原因を「ねこ庭」が検討して説明します。

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