あまり人を褒めない石原真太郎氏が評価していましたので、興味を持ちました。おぼろな記憶になりつつありますが、その人物は賀屋興宣氏でした。
ウィキペディアで調べると、氏の略歴が次のように書かれています。
・賀屋は明治22年に広島で生まれ、東大卒業後に大蔵省へ入り、近衛内閣と東条内閣で大蔵大臣を務めた。
・東京裁判でA級戦犯となり、巣鴨刑務所で10年間服役し、昭和35年に岸信介氏たちと共に赦免され、池田内閣で法務大臣になった。
・その後、日本遺族会の会長を務め、昭和52年に88才で没した。
・政治家は誰もが勲章好きだが、氏は身を律することに厳しく、叙位・叙勲の全てを辞退している。
「ねこ庭」の過去記事を見つけましたので、石原氏による賀屋氏評を転記します。
・賀屋氏は、戦争前から戦争にかけて無類の財政能力を発揮したために、戦争犯罪人に仕立て上げられた。
・この人物は、私が今まで政界で眺め渡した限り最も知的な人物だった。
・当時彼は左の陣営だけでなく、右側にも嫌われていた。
・この事実は、氏が左の人間のインチキを軽蔑していたように、大方の右も、いい加減なものでしかなかったということの証拠だ。
・自由党総裁だった緒方竹虎は、健康に一抹の不安を抱いていて、自分に万一のことがあったら総裁の座を継いで欲しいと頼んだ。
・この時賀屋氏は、犯罪人の名を被った人間は、国家の首班となり得る地位に就くべきではないと頑固に拒んだ。
「ねこ庭」が注目したのは、石原氏が東京裁判への法的疑義を口にした時の、賀屋氏の返事でした。鮮明な文字となり、心に刻まれています。
・でもね、勝った者が、勝って奢って、負けた者を裁くのは、当たり前じゃありませんか。
・個人にせよ、国家にせよ、人間のやることは、所詮いい加減なものですよ。
・万が一、我々が勝っていたら、もっと無茶な裁判をやったでしょうな。
占領軍により軍国主義者としてA級戦犯にされ、10年間刑務所にいた賀屋氏の言葉です。東京裁判の不条理を体験しながら恨みを一言も言わず、自己弁護もしていません。
氏の答えを得た石原氏が、「冷静に、物事の本質を見通している」と感心していました。現在では多くの資料が世に出て、東京裁判の実態が見えるようになりましたが、それでも多くの国民は裁判について知りません。
一方現在でも、復讐劇でしかなかった東京裁判の判決を、金科玉条として押し頂き、日本批判を展開して恥じない人間たちがいます。
賀屋氏の言葉に最初は驚かされましたが、その後読書で色々な事実を知りますと、敬意を表すべき意見に変わりました。
戦勝国への恨みを言わず、世界の常識と受け止めた氏は、むしろ今後の日本を考え、私のように右往左往しない政治家でした。
「自分だけが正しいとおもわず、相手の意見も聞きなさい。」
「国も個人も我欲があるのはお互い様なのだから、どっちもどっちだと知りなさい。」
こういう姿勢で議論に臨めば、対立する相手との間にも、「和」のある結論が導き出せる可能性が出てきます。賀屋氏は身をもって、太子の教えを私たちに伝えた政治家だったということになります。
ですから「ねこ庭」の過去記事から「アメリカの意図」を整理する作業に臨む姿勢として、賀屋氏を見習おうと考えました。
つまり、「恨みと憎しみ」の上に立たない事実の整理です。