シリーズの第一回目で「面白い」と言ったのは、ニュースの日付のバラつきでした。学徒兵上原良司氏の記事が、これだけの新聞に異なった日付で報道されている不思議さで、ついこんな言葉を使いました。
平成22年 5月17日 日本共産党
令和5年10月21日 毎日新聞
令和6年 5月11日 東京新聞デジタル
令和6年 8月15日 yahoo ニュース
令和6年10月24日 北國新聞 京都新聞 佐賀新聞
令和6年12月3日 北海道新聞デジタル 沖縄タイムス 新潟日報デジタルプラス
5 日前 山陽新聞
令和6年12月16日 千葉日報
一番早い記事は日本共産党の平成22年5月で、次に毎日新聞が取り上げたのは10年後でした。翌年の令和6年5月から12月にかけて、千葉日報を含む各社が一斉に同じ内容の記事を報じています。
毎年8月15日の「終戦の日 ( 敗戦の日 ) 」に、 マスコミが一斉に「戦争特集記事」を恒例行事として報道していますが、学徒兵上原氏の記事を一斉に報道する理由が分かりませんでした。
太平洋戦争末期のフィリピンで、大西中将が特攻隊を創設したのは10月でしたから、この時期に合わせているのは北國新聞と京都新聞と佐賀新聞だけです。
何の意図で、マスコミ各者は特攻隊上原氏の記事を拡散するのか ?
答えは、ウィキべディアの解説の中にありました。解説のタイトルと注書きです。
「出撃した日本の特攻隊の一覧」 (対艦船特攻)
( 日本軍の特別攻撃隊のうち、出撃したものの一覧である。)
出撃した特攻隊の名前と、出撃した機体の名前が、出撃日毎に一覧表になっていました。
〈 特攻隊名 〉
朝日隊 山桜隊 菊水隊 大和隊 敷島隊 彗星隊 若櫻隊 ・・・・
〈 出撃機種名 〉
零戦2 零戦17 彗星1 彗星6 99艦爆5 零戦3 彗星2 99艦爆8 ・・・
兵士が特攻機に乗って出撃した日付が、次のように書かれていました。
〈 出撃日 〉
10月 ・・ 21 25 26 27 28 29 30
11月 ・・ 1 5 6 7 11 12 13 14 15 18 19 21 24 25 26 27 29
12月 ・・ 4 5 6 7 8 10 11 13 14 15 16 17 18 20 21 22 25 26 28 29 30
何でもない数字の一覧表でなく、日付の数字の一日毎に、隊員たちが艦隊に体当たりし命を落としています。日付を眺めているうちに文字を打つ手が止まり、自然と涙が湧いてきました。
3ヶ月に亘り、これほどの回数を出撃しているのですから、「この悲惨な戦争を再び繰り返すな」と、いずれかの日に合わせて各社が記事を発信していたのかも知れません。
戦争に反対し戦争を否定する気持には、右も左も保守もリベラルもありません。この地球上から消えてしまえと憎む気持に、変わりはありません。だから「ねこ庭」は、マスコミ各社の報道に頭から反対しているのではありません。
疑問を抱くのは、沢山の特攻隊員が尊い命を捧げているのに、なぜ上原良司氏にばかり焦点を当てるのかという点です。
恋人を残して死ぬ運命を悲しみ、国が自分を死刑にしたと氏は批判しましたが、恋人や家族を敵から守るため戦うと覚悟を述べた隊員もいました。
・「いかなる講和になろうとも、日本民族が、まさに滅びんとする時にあたって、身をもって防いだ若者たちがいたという歴史が残る限り、500年1000年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう。」
大西中将の言葉を信じて、敵艦に体当たりした隊員もいたのですから、様々な隊員の姿を記事にして伝えるのがマスコミの使命でないかと考えます。
以上シリーズの一回目に述べた「びっくりする事実」の一つ、「記事の日付のバラつき」の理由を説明しました。次回は残っている「びっくりする事実」を報告いたしますが、何も驚かなかったと言われる方々は、次回をスルーしてください。