ねこ庭の独り言

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『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 6 ( 「国旗掲揚」 )

2020-12-22 09:38:49 | 徒然の記

 ウバチャラとは、インドネシア語で言うと儀式で、ブンデラは旗の意味だそうです。従って、ウバチャラ・ブンデラを直訳すると「旗の儀式」、正式な言葉で言いますと、「国旗掲揚」になります。

 日本とインドネシアの違いが、よく分かる話なので、紹介したくなりました。石井氏の説明を転記します。

 「筆者が、現地語習得をしている時に、日本の『朝会 ( 朝礼 )』を、」「現地語でどのようにいうのかを、通訳に問うたら、」「ウバチャラ・ブンデラだと、言う。」「日本人学校では、朝会の祈りに国旗掲揚は行っていないが、」「このような儀式の時、現地校では国旗掲揚が伴うものであるから、」「これが、当てはまる言葉とのことであった。」

 「確かに現地校においては、日本の朝会に該当する日に、」「まず、国旗掲揚から始められているので、現地の人にとっては、」「国旗掲揚式と表現することが、分かりやすいのであろう。」「またウバチャラ・ブンデラが、独立記念日の国家的な重要儀式になっているので、」「学校での扱いが、極めて重みのあることだと分かる。」

 国旗・国歌に反対する日教組を知っていますので、氏がどのような説明をするのか、自然と緊張しました。インドネシア社会との " 際(きわ) " に立ち、異文化体験を重ねている生徒と同じ立場に、氏がいるのだと感じました。

 「インドネシアが、独立国となる戦いの中で獲得した国旗・国歌は、」「歴史の遺産であると同時に、一つの文化として大切にされている。」「それは、形の上でも現れており、」「国歌の伴奏、旗の扱い、掲揚の仕方、注目の姿勢等、作法が決められているのである。」

 戦前の日本でも、同様の決まりがあったと聞いていますが、戦後生まれの私は知りません。学校で国旗が掲げられる時、私たちは姿勢を正していましたが、ほとんど無意識のままでした。

 「これが、日イ・キャンプで行われる、アルアズハール校の国旗掲揚である。」「見つめる日本人学校の生徒に、驚きと感動が走るのが分かる。」「自分の国の国旗・国歌に対して、ここまで、心と体を表することがなかったからである。」

 「1990 ( 平成2 ) 年に、自ら進んで、この行事の担当を引き継いだT教諭は、」「その理由の一つとして、国旗掲揚時の日本人学校の生徒の態度に、」「課題があるからだったと、述べている。」「つまり現地校が、国旗掲揚に対し、どのように望んでいるのかを、」「十分に理解していない態度が現れており、失礼なことになると感じたのである。」

 この叙述を読んだ時、氏もT教諭も、やはり日本の教師であったかと、失望を覚えました。国旗・国歌というものが、世界のどの国でも、敬意を払われ、大切にされていることを言わず、単に相手校に失礼になるという説明で終わらせています。また一方で、これが日本の教師の限界かもしれないと、理解もしました。

 「T教諭は、日本がインドネシアに軍政を敷いた、歴史的背景があることを学びとらせている一方で、」「国際社会のマナーを、身につけさせておく必要性を、」「肌で感じているのである。」「この反省は、こちらの国旗掲揚のあり方にも及び、」「掲揚係の生徒に、入念な指導をする教員の姿があった。」「それは両国の生徒が、対等な立場に立って交流をすることを、願うからである。」

 本を読む視線が止まったのは、「日本がインドネシアに軍政を敷いた、歴史的背景」という言葉でした。これ以上詳しいことは書かれていませんが、言葉の響きには、批判と反省があります。ここでもまた、自虐史観かと、身構えました。400年を超えるオランダの植民地だったこの国を、独立させたのは日本だったというのが、私の知る歴史だったからです。

 いまさらの感がありますが、早速ネットで調べますと、意外な事実が分かりました。同時に私の「温故知新」の読書も、まだ不十分であることを知らされました。次回は、ネットで調べた「日本統治下のインドネシア」について、ご報告します。

 氏の本には、まだ多くの知らない話がありますが、次回で書評を終わります。( ネットで調べた情報が、私をひどく疲れさせました。)  興味のある方は、図書館で借りてお読みください。

 

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