今回のテーマは、石井校長が苦心した「ジャカルタ日本人学校」の、国際化対応についてです。59ページから、書かれています。
「ジャカルタ日本人学校における、現地との国際交流は、」「その活動を学校の基本理念の一つとして、位置付けている。」「これを積極的に行おうとする目的は、国際性の涵養に他ならない。」「子供の立場に立てば、絶好の機会が、海外校で学んでいる時であると言える。」
つまりこれが、建前論であり、文部官僚の菱村氏が提案した、「教育の国際化」です。では現実はどうなのか、石井校長が説明します。
「インドネシアに暮らして、インドネシアを知らず、」「同世代のインドネシア人の友達も、数少ない。」「このような姿が、ジャカルタ日本人学校の子供たちの、」「平均像である。」「中学校を卒業して仕舞えば、多くの子供たちは、」「それだけの海外経験で、帰国することになる。」
簡単に言いますと、生徒たちの暮らしは、スクールバスによる学校と家庭の往復で、肝心のインドネシアとの接触が、ほとんどありません。現地の人々の暮らしは、あるいは現地の子供や大人たちは、バスの窓から眺める「風景」の一つでしかないのです。
「以前の新聞記事で、海外に住む邦人の生活態様を、」「『テフロン現象』という言葉で、批判的に語られていたのを、目にしたことがある。」「テフロン加工したフライパンには、物がつかないことに似て」「現地と接触を持たない、持ちたがらない邦人の生活姿勢は、」「現地社会の問題にもなっている、という指摘でした。」「なんとかして、やらなければならない。」「この面で学校がやれることは、多々あるように思う。」
氏は現地校と提携を結び、互いの生徒を年に何度か、交流授業をするところまで漕ぎ着けます。最初の頃は、イベント行事として行われ、お互いの国の文化を紹介し合います。相手校であるアルアズハール校は、目を見張るような伝統芸能を披露してくれます。
そうすると、日本の側で考えるのは、「日本舞踊」ということになりますが、生徒の誰もがやれませんので、結局は教師の中の経験者が披露します。その他、石井氏が発案したものは、「一泊二日の交流授業」、「日イ交流キャンプ」、「日本語講習会」などがあります。
校長が願っているのは、こうした交流を通じ、生徒たちが個人的につながり、友達になることでした。互いを見るだけでなく、友達になり、話すようにならなくては、真の交流にならないと、考えるからです。
「ところが、肝心の時になって、保護者の中には、」「これを良しとしない風潮が、過去にあったと聞いている。」「日イ・キャンプで親しくなった、現地校の生徒が、」「本校の生徒に、電話をよこすようになったものを、」「保護者が、一方的な理由で、」「これを進展させないようにした、というものである。」
「現地校の生徒は、日イ・キャンプとは、いったいなんのためなのかと、」「大変な不信感を持ってしまった、とのことである。」「現地校の保護者から、直接聞いた話であるが、実に残念な話である。」「このようなことになるのは、保護者にも、生徒にも、」「その根っこに、現地蔑視が存在するからである。」
この部分の読後、私は3年前に読んだ、田母神俊雄氏の著作に引用されていた詩を、思い出しました。平成元年に、詩人ラジャ氏が、クアラルンプールで書いたものと説明されていました。戦前の日本人は、アジア諸国を踏み躙った軍国主義者ばかりだったという、反日左翼への反論として、そんなことはない、戦後の日本人の方が悪いのだと、そのために引用した詩です。
そういうことは傍に置いて、石井氏の言葉と合わせながら、再読しますと、心の痛むものがあります。戦前と違う「新しい日本人」が、このような姿勢であってはなりません。息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々にも、新たな気持ちで読んでもらいたくなりました。
スクールバスは日本では、最寄駅から離れている場合が多く、運行も一般のバス会社に委託していることが多いです。
保護者が運行に関わっているのは、「我が子の『通学の足』は親が守る」意識の表れでしょう。
何しろジャカルタは交通機関が日本のように充実しておらず、交通事情・通信環境も劣悪です。
彼らが危機意識を高めたのも暴動事件だけでなく、こういう環境も大いにあると思います。
この詩の、特に後半は本当に心がえぐられる思いがします。
「失われた何十年」が長引くにつれ、国民の心は殺伐となってしまったと感じますし、「コロナ」はそれを高めてしまったと思います。
日本人は何か大切なものを失ってしまったのでは?と改めて感じます。
日本人が失った大切なものは、「愛国心」です。自分の国を愛せない者は、他国の人々の愛国心が見えませんし、理解もしません。
自分の国を愛する人間は、他国の人間が、同じように自分の国を愛し、誇りを持っていることを理解します。詩人ラジャ氏の言葉を、私はそのように解釈しています。
戦前の日本人は、なぜアジアの国々が貧しいのか、なぜ教育が行き渡っていないのか、その原因を知っていました。植民地だったアジアの国々を解放しようと、「大東亜戦争」があったという事実の中に、ラジャ氏のいう「昔の日本人」がいたのだと思います。
戦後の私たちは、経済大国となり、愛国心を無くしたため、経済的利益や繁栄を追い求め、アジアの人々を軽視するようになりました。
「愛国心」とは、「軍国主義」、「戦争賛美」という、戦後の「東京史観」の浸透がそれをさせています。今回の書は、そこまで言及していませんが、感じ取るものがあり、息子たちへ「遺す言葉」に追加いたしました。
「この詩の、特に後半は本当に心がえぐられる思いがします。」
これは私の気持ちそのままです。コメントに感謝致します。